第22話 蠢く黒い傷跡
淡い光がほのかに差し込む洞窟内。
紫の魔導原石の結界が外界の気配を遮断し、空気は冷たくも穏やかだった。
岩壁に寄りかかるように座りながら、アルスとキーファが上半身をあらわにして治療を受けていた。
治療を担当しているミーナとバロスは、ふたりの身体に浮かぶ異様な“黒い傷”をじっと見つめていた。
「……ねえ、アルス。これ……何なの?」
ミーナが問うと、アルスは苦笑しながら傷跡をなぞった。
「さあな。だが……気持ち悪いのは確かだ。
でも、平気だよ。痛みもほとんどない。」
一方、いち早く治療を終えたキーファは立ち上がって洞窟内を歩き始めていた。
しかし──
「……っ……ぐ……!」
突然、キーファが呻き声を漏らして膝をつく。
「キーファ!?」
ミーナが駆け寄ろうとしたその時、
彼の黒い傷跡が蠢き始め、血管のように全身へ広がっていく。
そして──
「…なんだこれは…!……う、うああああ……!」
キーファの瞳が真っ黒に染まり、口元から泡を吹くようにして、理性を奪われたように叫び声をあげた。
「──ゾンビ化!? まさか、黒い霧の残滓が……!」
バロスが叫んだ瞬間、キーファは異常な俊敏さでミーナに襲いかかる。
「くっ……!!」
ミーナは咄嗟に防御するも、強化されたキーファの剛力に押され、洞窟の床に叩きつけられる。
その混乱の最中、今度はアルスが震えだした。
「ぐっうぅぅ…!まずい……俺もか……!」
彼は自らの剣を逆手に持ち、自刃しようとするが──
「っ!」
手が、自分の意志に反して止まった。
次の瞬間、彼の瞳も黒く染まり、意識は奪われた。
「ミーナ、後ろだ──!!」
バロスの叫びも虚しく、
ゾンビ化したアルスの剣が背後からミーナの心臓を貫いた。
「が……っ……。アルス……。………。」
「ミーナ! クソっ! ……なっ!」
倒れるミーナに気を取られた一瞬の隙にキーファの槍がバロスの心臓も貫かれる。
「く、そっ……。」
灰狼の仲間ふたりが倒れ、返り血を浴びたゾンビ化アルスとキーファがうめき声をあげながら、次なる獲物を探すようにゆらりと歩く。
──死屍累々、混乱と絶望。
先ほどまで安らぎに満ちていた空間は、突如として血と絶叫の地獄と化した。
ゾンビ化したキーファとアルスの足取りは、獣のように鋭く、狂気に満ちていた。
そんな凄惨な光景を奥の方にいた村人が様子を見に来ていた。
「な、なんだあいつら……!? ウソだろ……!」
村人の一人が怯えた声をあげる間もなく、
キーファが一気に距離を詰め──
男の顔面に鈍い音を立てて拳が叩き込まれ、
骨の砕ける音と共に、そのまま洞窟の岩壁に叩きつけられる。
「や、やめてぇえええ!!」
若い女性が叫び声を上げて逃げ出すが、
後ろからアルスの剣が一閃、肩口から腰まで斬り裂かれる。
絶叫が洞窟中に響き渡り、他の村人たちも逃げ惑うが──
「こ、こっちも塞がってる!! 道が……ない!!」
老人が足をもつれさせて倒れ込む。
その頭部にキーファが無造作に足を振り下ろした。
グシャッ──!と岩にスイカが潰れるような音が響く。
「お願い……助けて……。」
年若い母親が小さな子供を抱えながら祈るように声を漏らすが、アルスの暗黒に染まった瞳には一片の感情も宿っていない。
その手が振るわれると、母子ふたりの身体が裂け飛び、血の雨が降った。
逃げ場のない洞窟、希望も光も見えない。
あとを追うように、他の村人たちも次々に襲われ、
呻き声、断末魔、肉が裂ける音、骨が砕ける音が静かな空間に重く響く。
数分も経たないうちに、村人八人は全滅していた。
その場に踏み込んできたのは、リタとシエラだった。
「ミーナ!? バロス──!?」
「……まさか…何で?…。」
リタは短剣を取り出し、目を伏せる。
「もう……こうなっちまったら、殺すしかない。」
シエラは震える指で、自分の腕輪の魔導石に手を添えながら言った。
「私の“氷界”……確かに効いたはずなのに……
闇の魔導の影響がこれほど強いなんて……。」
リタは強く叫んだ。
「しっかりして、シエラ! 今はやるしかない!!」
ゾンビ化したアルスとキーファが、再び襲いかかってくる。
――この地獄の中、ふたりは涙を浮かべながら剣と魔導で対抗しようとしていた
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一刻前
豪奢な装飾が並ぶ会議室の中。
重厚なカーテンが光を遮る薄暗い空間に、焦燥と緊張が充満していた。
「──報告!!」
ドアが勢いよく開かれ、アルザフルの装衣の部下が血相を変えて駆け込む。
「ザフィーラの蘇生には……成功しました! しかし……!」
その言葉に、テーブルに並ぶ高官たちがざわめく。
「しかしとはなんだ?」
「……制御不能です。暴走しました。
地下研究施設の研究員が全滅。
付近の警備騎士も……全て壊滅しました……。」
部屋に沈黙が落ちた。
「……なんだと……!? 本当か……!?」
怒鳴り声をあげたのは、恰幅の良い偉そうな態度の高官の一人。
手に持っていた金のカップを床に叩きつける。
「バカな! あれだけ慎重に進めた計画だぞ!?
我々の資金と国の威信をかけた──!」
「──そうですか…。」
低く落ち着いた声が、彼らの声を遮った。
その声の主──カシアンが、ゆっくりと立ち上がりながら微笑む。
「やはり、彼女は……制御できませんでしたか。まあ、想定の範囲内です。
研究所の一つや二つ何でもありません。」
「想定!? お前……!」
別の高官が憤然と立ち上がろうとするが、カシアンはそれを制するように、ゆっくりと懐から小さな黒い魔導石を取り出す。
机の中央に置かれたその魔導石は、じわりと不気味な紫光を放ち、空気が重くなる。
「……それは?」
「“闇の魔導石”です。
ザフィーラの黒き本能、そしてゾンビ共の闇核すら、これ一つで掌握可能となる。──魔導科学の結晶ですよ。」
カシアンの笑みが濃くなる。
だが高官は尚更怒りが深くなる。
「なら何でそれをザフィーラが復活する時に立ち会って使わなかった。
おかげで莫大な資金を投じた地下研究所と人員がパァだ!」
カシアンは一度だけ、冷ややかな目で高官たちを見回した。
「──うるさいですねぇ。あなた達は黙っていなさい。」
その一言と共に、室内の空気が一気に凍りつく。
まるで見えない刃を突きつけられたような、圧迫感。
誰一人、言葉を継げなかった。
騒然としていた会議室は、嘘のように静まり返る。
「あなた達がどんなに頭を絞ろうと、所詮は無能の集まり。
私がちゃんと考えてますから安心なさい。
さて、手始めに今野に彷徨っている探索用ゾンビ部隊にこの信号を送ります。
より強い衝動、殺しの本能の開放を。
灰狼旅団の残党が潜伏している可能性のある鉱山で、力を解き放ちましょう。」
魔導石が妖しく光ると同時に、遠くの地で彷徨っていたゾンビたちの瞳がいっそう赤黒く光り始める。
「……ザフィーラの……件は…?」
一人の高官が問う。
カシアンは冷ややかな笑みを浮かべて答えた。
「彼女は特別な存在です。ゾンビ共とは異なり、
完全な“応用魔導科学”による人工生命体。
今、無理に回収する理由はありません。」
「放置で問題ないと?」
「はい。彼女は我々にとって必ず、極めて“有益な存在”となります。
それに彼女は完璧だ!
あの美しい顔と身体、そしてあの気の強そうな絶妙な声……。
年齢も二十九という私の理想のバランスだ!!
あぁぁ~良いですねぇぇ。」
うっとりしながら、椅子に身を預けて身悶えるその姿に──
会議室内の者たちは更に言葉を失った。
高官たちは誰も目を合わせようとせず、咳払い一つすら躊躇う。
静かに、確実に、空気が引いていた。
まるで“本物を見てしまった”ような、薄気味悪い沈黙が支配する。
カシアンは、机の上の魔導石を指先で軽く弾いた。
「見ていてください。
この国も、この世界も、すべては“制御された闇”のもとに形作られていく。
神も法も、もはや過去の残骸です。
真の支配とは──幻想と恐怖、そして技術の上にあるのですから。」
室内の空気は、魔導石の微かな震動と共に冷たく震えていた。
--------
辺りには、無惨に倒れた村人たちの亡骸と、灰狼の仲間であったミーナとバロスの血に染まった姿が転がっていた。絶望が染みついた岩肌の静寂を、今もなお唸るような呻き声が引き裂いている。
「……バロス……ミーナ……。」
リタの震える声が微かに漏れた。
その目の前に立ちはだかるのは、かつての仲間――アルスとキーファ。
黒く蠢く血管。白目を剥き、狂気に満ちた瞳。
人の理性のかけらすら残さぬ、異形の存在。
かつて信じ合い、笑い合った仲間が、いまやただの“殺戮の化け物”として目の前に立っている。
その時、ゾンビ化したアルスとキーファが咆哮を上げて飛びかかってくる――!
リタは素早い動きでかわしながらも、短剣を手に応戦する。
だが、強化された速度と力は凄まじく、二人はじりじりと追い詰められていった。
「……っく! 動きが早い……!」
戦いながらも、リタの目に涙が浮かぶ。
「なんで……あんた達が……こんなことに……!」
その時、シエラがふと足を止め顔を上げた。
「この洞窟には……まだ、魔導石の力が……!」
彼女は両手を広げると、周囲に眠る魔導石の原石のエネルギーを感じ取り、その力を指輪に集中させ始めた。
「シエラ!?」
「……お願い!少しだけ、時間を稼いで!」
リタが短く頷き、ゾンビ化したアルスとキーファの動きを引きつける。
刃が交錯し、火花が散り、地面がえぐれた。
そして、シエラが囁いた。
「凍てつけ……氷霧結晶界(ひょうむけっしょうかい)──!」
洞窟全体の空気が一変した。
吐く息すら白く染まるほどの冷気が吹き抜け、紫の光を反射する岩壁に霜が広がっていく。
次の瞬間――!
氷の衝撃波が放たれた。
透明で鋭利な氷柱が無数に生まれ、まるで意思を持ったかのように、アルスとキーファの身体を一瞬で貫き、凍結させた。
「ぐあああああああああああ!!!」
悲鳴とも咆哮ともつかぬ声をあげながら、二人の身体は音を立てて凍りつき、動きを止めた。
――静寂。
崩れ落ちる氷の破片の音だけが、しんとした洞窟内に響いていた。
リタはふらふらとシエラのもとに歩み寄り、膝をついてその肩を抱いた。
その瞳には、涙が溢れていた。
「……終わったの……?」
「……うん。でも……皆、もう……。」
振り返れば、村人たちの骸、そして灰狼の仲間たちの冷たくなった身体。
ふたりは肩を寄せ合い、静かに泣いた。
悔しさと、悲しみと、怒りと――無力さに、打ちひしがれながら。
ただ、抱き合うことしか、できなかった。
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