第21話 幻の拠点と暴走の胎動

 幻術の中の洞窟の中には外の光は届かない。


 薄暗い空間に静けさが満ち、焚き火の残り火がぱちぱちと小さく音を立てていた。


 シエラは簡易寝具の上で体を起こし、周囲を見渡した。

 体にはまだ疲労が残っているものの、意識ははっきりとしていた。傍にはリタが、壁に背中を預けて座っていた。



 「……もう起きてたんだね。」

 シエラが微笑むと、リタは静かに頷いた。



 「ずっと看病してくれてありがとう。」


 言葉は短く、それでもどこか安心したような声音だった。


 リタは少し顔を赤らめながらシエラを見る。


 「あのさ…さっきのことだけど、キスとかして困らなかった…?」


 シエラはリタの可愛さあふれる表情と恥ずかしげな雰囲気に微笑む。

 

 「困るって…そんなことあるわけないじゃない。

 さっき私だって、そのキスに熱く返したでしょ?

 それにリタがいつも私を見る時の瞳を見てたら、私のこと好きなのはわかってたし。」



 それを聞いたリタは余計に顔を赤らめて顔をそらした。

 その姿が更にシエラには可愛く見えた。



 「そうなんだ…。…それは良かった…。

 この国のほとんどが信仰してるザイファ教の同性愛の罪の価値観が根強いから、怒られるかなって思ってた…。」



 シエラは座ったまま、静かに身を寄せながらリタの隣に肩にくっついた。

  


 「私は信仰なんてない。

 ザフィーラおばさんを奪った政府と騎士団はザイファ教の神と教えを守ってる。

 だから私は絶対に許さないし、そんなもの信じてないよ。」



 シエラの真剣な言葉にリタはすぐに返した。

 「ごめん…そうだよね。」



 「ううん、いいの。

 ところでリタってなんで灰狼旅団に入ったの?」


 シエラがリタを見つめると、その瞳にはどこか遠くを見るような陰りが差していた。


 沈黙のあと、リタがぽつりと話し始めた。



 「私は両親は熱心なザイファ教信者だったの。

 でも長年続く、宗教戦争に疑問を持った母さんはザイファ教を辞めようとしたの。

 私を連れて、国外に逃げようとしてた。でも見つかって……信者たちに……集団でリンチされて、殺された。」



 シエラの顔が固まり、リタを見つめる。



 「まだ小さかったけど私は訴えたんだよ、ザイファ教の本山に。母を殺したのは信者たちだって。

 でもね……返された言葉は、『教えを捨てる者は死をもって償う。罰は正当なものだ』って。」



 リタは笑ってみせたが、顔の奥底には憎しみが感じられた。


 「でも父は母の死に無関心で、神の教えに逆らうのは愚か。

 私のことなんて“神のために生きろ”ってしか言わなかった。」



 しばらく言葉を失っていたシエラは、そっとリタの手を握る。



 「だから私は一人で逃げ出して……追っ手の信者に見つかって、殺されるか……それよりも酷いことをされそうになったとき、レオンに助けられた。

 灰狼旅団に入ったのはそのすぐ後。」



 リタはシエラに向かって、微かに口元を緩める。



 「だから神なんか信じてないし、いるとしてもクズ。

 レオンやシエラみたいに誰かのために命をかけられる人間が……“神よりよっぽど人を救う”んだって、そう思ってる。」



 シエラは何も答えず、ただリタの手をしっかりと握り返した。言葉はなくとも、想いは確かに伝わっていた。


---

 

 安全が確保され、洞窟の空気が、少しずつ穏やかになっていく。


 静寂がようやく薄れ、焚き火の温もりと共に人の活気が戻ってきていた。


 各々が警戒を解き、わずかな休息を得ようとしている最中──


 ミーナが、銀の腕輪にそっと指先を触れた。



 淡い光が輪の中心から広がり、まるで空間を裂くように、そこから一振りの巨大な大剣が現れる。

 重厚で、刃に紋様が刻まれた──カイルの剣だ。



 「預かってた、カイルの剣。」


 ミーナは微笑みながら、大剣を両手で丁寧に抱え、洞窟の壁際へと運ぶ。


 岩肌に沿って、ゆっくりとその剣を立てかけた。

 まるで、そこにカイルの意志と力を宿すかのように。


 「ほんと……いつもカイルに任せっきりだよ。」


 背後から声がかかる。アルスだった。


 「やってくれるさ。アイツなら。」


 続いて、キーファも同じように頷きながら寄ってくる。


 「信じてるさ。なんだかんだで、あいつは何でもやりきるからな。」


 「迎えてやろうぜ、なんせ俺達は不死身だからな。」

 バロスが皮肉混じりに豪快に笑ってみせた。



 重く、頼もしい剣が、静かな洞窟に存在感を放ち続けていた。


 その剣は、確かに言葉ではなく「信頼」として、そこに託されていた。


--------


 砂漠に沈みかけた夕陽が、熱の残る地表に赤い影を引いていた。

 蒼井、エリック、カイル、ライザの四人は、岩陰に身を潜めながら、眼前にそびえる塔を見上げていた。



 それはまさに騎士団の象徴──アルザフル騎士団の本陣にして、連合軍の中枢。


 塔の周囲には厳重な警戒線が敷かれ、ミハイルの言った通り、およそ二百人もの騎士が展開していた。



 「やっぱ正面突破なんざ無理だな……。」

 カイルが低く唸る。



 「問題ない。目的は突入じゃない、潜入だ。」

 蒼井が視線を巡らせると、塔の北東の崖下に、地面が不自然に盛り上がった箇所があった。



 「あれか。地下道の入り口だな……あのルートを通れば、塔の内部に繋がっているはずだ。」



 「本当に地下道なんて通れるの?」

 ライザが眉をひそめた。



 「他に手段はない。正面から行けばさすがにやられる。忍び込むには、あそこしかない。」

 エリックが言い切る。



 カイルは、蒼雷の柄にそっと手を添えた。


 「……よし。奴をブチのめすためなら、どんなとこだって通ってやるさ。」



 「慎重に行こう。見つかったら終わりだ。」

 蒼井の声に、全員が無言で頷く。



 四人は足音を潜め、陽が落ちた砂の上を走るようにして、塔の裏手へと回り込んだ。

 石と砂に覆われた入り口の扉を押し開けると、そこには薄暗く、湿った空気が漂う地下道が広がっていた。


 「じゃあ……行こうか。レオンを助けに──そしてデラートを殺す。」



 ライザの言葉に、三人は黙って頷き、薄闇の地下道へと身を滑り込ませていった。


 その先に、何が待っているのか誰にも分からなかった。

 だが、全員の胸にはただ一つ、揺るがぬ覚悟があった。


--------


 静寂が支配するアルザフル地下研究所──

 その最奥、厚い強化ガラスに覆われた円柱の培養カプセルが、ぼんやりとした光を放っていた。


 内部で既に呼吸しているかのように眠っているザフィーラ。


 ──褐色の肌。艶やかな紫の長髪が、水中で揺れる。

 締まった体躯には一切の衣を纏わず、唯一、腹部──鳩尾には、黒い魔導石が深く埋め込まれ、その部位を守るように硬質な外骨格が浮かび上がっていた。



 「……いよいよ始まるぞ。」

 研究室の端で、技術者の一人が呟いた瞬間──



 ゴウンッ……と重厚な音を立て、カプセルの上部から気泡が漏れ出す。


 警告灯が静かに点滅し、液体が徐々に排出されていく。

 ザフィーラの瞼が、ゆっくりと、しかし確実に開かれた。


 紅蓮の光を宿した瞳が、無機質な天井を見ている。



 「この反応!完全に復活だ……!

 やったぞ成功だ!」



 研究員たちが興奮の声を上げた瞬間、

 ザフィーラは無言で両腕を振り上げ、カプセルの内壁に掌を打ちつけた。


 バァンッ!!


 圧縮ガラスをいともたやすく破壊し、カプセルを内側から突き破って出現したその姿に、室内は一瞬でパニックになった。


 水滴が肌を滑り落ちる。

 その褐色の肉体は、女神のように神秘的でありながら、鬼神のような殺気を孕んでいた。



 「か、完成だ……ザフィーラが……完璧な形で……!」


 誰かが呟いた──が、それが最後の言葉となった。


 ズンッ!


 目にも止まらぬ速さでザフィーラが床を蹴り、

 直後、研究員の首がもぎ取られ吹き飛ぶ。


 「なっ──!?」


 悲鳴すら上げられないまま、ザフィーラの肉体が研究室内を奔る。

 掌で、足で、時には壁を跳ねながら。

 その殺意は、まるで神聖なものへの冒涜に対する怒りのようだった。



 「まずいッ!停止コードを──!」



 叫びも空しく、次々と研究員たちが叩き潰され、血飛沫が舞う。

 殺し方に一片の躊躇もなかった。情けも、容赦もない。


 やがてザフィーラは、静かに歩き出した。裸のまま、警報が鳴り響く中廊下を進む。



 その脚は、通信室へ──



 無人となった部屋に入り、ザフィーラは端末の前に立つ。

 淡い光に包まれた情報パネルを無言で操作し、記録映像や通話履歴を高速で確認していく。



 その目が、ある一つの通信ログで止まった。


 ──『ザフィーラの蘇生と引き換えに、灰狼旅団をお前の手で殺せ。』

 ──『リーダーのレオンを捕らえた。エサを撒けば、我々の言いなりになり、全てを裏切る。』



 その瞬間、ザフィーラの紅い瞳がわずかに揺れた。


 「……レオン。」


 ただ一言だけ。


 その名を呟いた、彼女の声は、冷えた鋼のように静かで、だが奥底に燃え上がる感情が確かに宿っていた。



 ──死者が蘇り、そして動き始めた。



 ザフィーラは、すでに「従順な兵器」などではなかった。

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