第15話 眠れる牙、再び

 旧寺院跡に到着したシエラ、ライザ、エリックの三人。


 辺には風が一切吹いていない。


 焦げた土と焼けた鉄の臭いが、かすかに鼻を刺す。旧寺院跡――かつて神の像が立っていた祭壇は、今や無惨に崩れ落ち、まるで何か巨大な力に潰されたように地面が抉れていた。


 「……これは。」

 シエラ・アルティナが足を止め、言葉を失った。彼女の隣で、エリック・モーガンも静かに眉をひそめる。


 「大規模な戦闘……魔力痕跡が残ってる。敵の戦力は強大だったはずだ。」


 後方から来たライザ・ヴァレリアが足元の焦土を見下ろし、歯を噛み締める。

 「まさか、ここで……。」


 その時だった。

 祭壇跡の奥、折れた柱の陰に一人立っている男の姿が見えた。


 「……蒼井!」


 彼の手には、一本の大剣が握られていた。柄の部分に刻まれた雷紋が、すべてを物語っていた。


 「それは……まさか、レオンの大剣?」


 蒼井レイモンドは無言で頷く。コートの裾には血が乾いてこびりつき、その表情に、深い哀しみを見せていた。


 「ここで……レオンは奴と戦った。

 おそらくノア連邦元帥、グレゴール・ヴァルデンベルク……レオンは奴に連れていかれた。」


 その瞬間、物凄いスピードで駆けてくる影があった。


 「おーい、大丈夫かぁ!!」


 叫びながら現れたのは、カイル・マクレガーだった。泥にまみれた姿、息を荒げたまま祭壇の中心に駆け寄る。


 「どうだ、村人達は? 

 ……あれ?レオンは! アイツはどこにいる!?」


 蒼井はカイルに歩み寄り、ゆっくりとレオンの大剣を差し出した。


 「……おそらくレオンは捕まった。ここで戦闘があったらしい。」


 カイルの目が見開かれた。

 そして、黙ってその柄を握った。重さではない。そこに込められた覚悟が、腕を震わせた。


 「……レオンが? 負けたってことか? ありえねえ!」


 「いや、レオンは生きてる。連合騎士団に捕らえられたんだ。しかし、相手はデラートとグレゴールの連合騎士団だ。急いで助けないとまずい。」


 ライザが二人の間に入ってきた。


「なぁ…レオンをわざわざ捕まえたってことは、アルザフル政府も絡んでるんじゃないか?

 今までの連合騎士団のやり方だったら、レオンは殺られてもおかしくないはずじゃないかな…?」



 「確かにそうだな…。

 政府まで本格的に動き出したってことか。

 俺達もいよいよ瀬戸際に来てるってことだな…。」


 エリックの言葉に、沈黙が落ちる。


 この空気感の中、突然ライザは「はっ!!」と旧寺院の扉に駆けていく。


 「村人達を早く迎えないと!

 エリック、手伝って。」


 ライザの勢いにエリックは無言で駆け寄り、術式を解く。


 ――軋む音を立てて、重い扉が開いた。


----


 鉄と木を何層にも組み合わせた古びた防衛用扉。その内側には、明かりのない地下の空間が広がっていた。

 ライザ・ヴァレリアが懐中の灯を掲げると、薄ぼんやりとした明かりが通路を照らし出す。後ろからエリック・モーガンが慎重に足を進める。


 「この下にいるはずだ。村人たち。」


 「静かすぎるな……だが、生きてる気配はある。」


 二人は壁に刻まれた古い防火符を越えて、さらに奥へと歩を進める。数分ほど歩いたその先――


 小さな石室の中で、数人の人影がぴくりと動いた。


 「……誰だ!?」


 先に声を上げたのは、白髪混じりの中年の男だった。手には短い鉄棒を握っている。


 「落ち着いてくれ!」エリックが手を上げる。「俺たちだ!」


 「……あっ…あぁ、あんたらか!」

 目を見開いた男が声を上げる。「良かった……! てっきり騎士団の連中かと……。」


 周囲にいた村人たちも、ようやく顔を上げる。老人、妊婦、年若い男女、小さな子供もいる――合わせて八人。全員、恐怖と不安に塗れた表情だったが、その目にわずかな光が戻る。


 「外で凄まじい音と、地鳴りがあった。あれは……あんた達が?」


 「……ああ。ここも、そろそろやばい。行こう!」

 ライザが短く言った。「今すぐ出るよ。次の避難場所へ向かう。……ついてきて!」


 村人たちが顔を見合わせる。誰もが安堵と不安の入り混じった目をしていた。


 その横で、エリックが小声でライザに囁く。

 「なあ……“次の避難場所”って、どこだ? 何か目星があるのか?」


 するとライザは、わずかに笑って肩をすくめた。

 「ないよ。」


 「……は?」


 「だから、探すの。何とかするしかないでしょ。」


 その目には、確かな強さが宿っていた。

 エリックは数秒だけ目を見開き、やがて苦笑するようにうなずいた。


 「……わかったよ…。君のそのたくましさは誰かさんにそっくりだな。」


 「あのアマツのハーフ君のこと?

あははは。なるほどね。ならエリック君は慣れっ子だね。」ライザは軽く笑って、再び村人たちに振り返った。


 「全員、立って。ここは安全じゃない。次は保証できないけど、必ず安全な場所を見つける。歩ける?」


 一人、また一人と頷き、ゆっくりと立ち上がっていく。

 小さな子どもを抱いた若い母親が、震える足で歩き出すのをライザがそっと支える。


 「よし、俺について来てくれ!」エリックが言った。

 「了解!」ライザが短く返す。


 その背後、遠くの空に雷鳴が一つ、低く鳴った。

 すべては、まだ終わっていない。

 だが、前へ進む意志がここにはあった


----


 一方、旧寺院の外ではシエラはその場に座り込み、カイルは落ち着かない様子で辺りを行ったり来たり、蒼井は静かに壁に背を預けて目を瞑っていた。


 「なあ、レイモンドよぉ……。」


 カイルがぽつりと問いかけた。


 「その“グレゴール”って奴が……お前の親父、なんだよな?」


 蒼井はゆっくり目を開ける。


 「……ああ。」


 「で、お前は……どうするつもりだ?」


 蒼井は、何も答えなかった。いや、正確には言葉を選んでいた。

 そして、迷いのない声で言った。


 「殺すしかない。」


 座っていたシエラや聞いたカイルも蒼井の迷いのない言葉に空気が凍る。


 「もはや奴は国家や大衆に狂わされ、自らを神と錯覚している。

 過去の栄光、自らのプライドを満たすためなら、国の一つや二つ壊しかねない。」



 「……そうか。」

 カイルは立ち上がり、握った蒼雷を肩に担いだ。


 「まぁ…そっちの事情は任せるぞ。

 デラートとファビアンは、俺がぶっ殺す。」


 その奥底には、燃えたぎる怒りがあった。


 ザフィーラを殺し、弱者を切り捨てた権力者たち――それが許せなかった。


 「そっちはお前の戦いだ。だが、俺たちの戦いでもある。」


 シエラが言う。「冷静に見ても、政府は異常よ。正義も、秩序もあったものじゃない。」



 三人の重い会話の中、旧寺院の重い扉がギィ……と音を立てて開かれ、地中から姿を現した。

 一行に、外で待っていた三人がほぼ同時に振り返った。


 「……ライザ! エリック!」

 カイルが真っ先に声を上げる。


 「よかった、無事だったんだな……!」

 蒼井もほっと息をつき、わずかに眉を緩めた。

 シエラも静かに歩み寄る。彼らの後ろから姿を見せた八人の村人たちは、目の焦点こそ定まらないものの、確かに生きて、歩いていた。


 「皆、大丈夫だ!」

 ライザがそう声をかけ、妊婦の女性にそっと手を添えて支える。

 「もうここは危険だ。……出よう、すぐに。」


 目を細めながら、ライザがシエラに顔を向ける。

 「シエラ、どこかいい場所はある?」


 その問いに、シエラは小さく息を整えると、静かに立ち上がった。

 先ほどまでの疲労の色はすでにない。

 完全に回復したようで、彼女の思考を冷静に保たせていた。


 「私たちは、レオンを一刻も早く助けなければならない。けれど……今はまず、村の人達を安全な場所に導く。」


 蒼雷を肩にかけてカイルが、無言で頷く。


 シエラは記憶の中をたどる。

 一拍の沈黙のあと、言葉を続けた。


 「……一つだけ、思い当たる場所がある。ザフィーラおばさんが、かつて武器の材料を調達していた鉱山。」


 「鉱山……?

 あ!そういえばあそこにいい場所あったな!」ライザが思い出したように声を大きくした。


 「ええ。鉄鉱石や玉鋼、それに魔鉱石が取れる鉱山の中腹に、天然の洞窟があるの。」

 シエラの声は抑えめだが、はっきりとした確信を帯びていた。


 「その場所は、ザフィーラおばさんと、ライザ、それに私しか知らないはず。」


 「うん。私も覚えてる。あそこは騎士団にも政府にもテロリストにも見つからない隠れた洞窟。」

 あの洞窟なら、しばらく身を隠すには最適のはずだよ!」


 そうライザは断言する。


 蒼井が少しだけ目を見開いた。「玉鋼?

 アマツ刀の原料だ。よくそんな場所を……。」


 「ザフィーラおばさんは、“備え”だけはいつも完璧だったのよ。」

 シエラの目が少しだけ和らぐ。


 「……じゃあ、決まりだな!」

 カイルが力強く言う。「まずはそこに避難して、体勢を立て直す。そのあとで……レオンを奪い返す!」


 「そして、決着をつける。」

 蒼井が低く呟いた。


 その時。


 「おーーーいっ!!」


 風を切るような叫び声が、旧寺院跡に反響した。

 全員が一斉に振り返ると、崩れた参道を駆け上がってくる五つの影が見えた。


 「……あれは……!」

 カイルが目を細めて言う。


 「みんなぁ!!」


 先頭を走っていた細身の女性――リタが、息を切らせながら手を振る。

 「……まったく、無事だって言ったら、急に猪みたいに走り去るんだもん……!」


 続いて到着した長身の青年、アルスが肩をすくめながら笑った。

 「まあそれがお前らしくていいけどな。」


 「ははっ、悪い悪い!」

 カイルが笑いながら駆け寄り、五人と軽く拳をぶつけ合う。


 「……良かった、無事だったのね。」

 シエラが歩み寄り、五人を見渡す。「洗脳の影響は?」


 「あの黒い霧、うかつだったよ。」

 リタがうなずく。「感覚は戻ってる。もう大丈夫。ありがとうね…助けてくれて。」


 蒼井が一歩前に出て、真剣な目を彼らに向ける。


 「状況は最悪だ。……レオンが、騎士団に捕まった。」


 空気が止まる。五人の仲間の表情が凍った。


 「……親父…が…?」

 リタが呟く。


 「政府と連合騎士が動いているんだ。」


 カイルが続きを話し始めた。


 重たい沈黙が数秒、場を覆った。

 しかしアルスがすぐに前を向いた。


 「……まあ、今は急ぐんだろ?

 話は移動しながらでいい。とりあえず俺たちもついていくぜ。」


 カイルが蒼雷を手に持ち、力強く言い切る。

 「騎士団も、デラートも、全部ぶっ潰してやろうぜ!

 灰狼旅団は、まだ終わっちゃいねえ!」


 カイルのたくましい言葉にリタが短く笑う。


 再集結した“灰の狼”たちも動き出す。


 朝焼けが、ようやく暗い雲を押しのけて顔を出す。

 長い夜が明ける。けれどそれは、戦いの夜明けに過ぎなかった。

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