第10話 魂を映す太刀
カイルが背から下ろした大剣を、ライザは丁寧に両手で受け取った。
重さを確かめるように少し揺らし、柄に指を這わせると、
どこか懐かしそうに小さく息を漏らす。
「……やっぱり、あの人の匂いがする。
ザフィーラおばさんが、“未来”のために鍛えた剣……だな。」
カイルは黙って頷いた。
その目には、かつて剣を渡された日のことが、静かに浮かんでいた。
「これ、鍛え直すんだろ? この鍛冶場でやるのか?」
ライザは首を横に振る。
「いや。ここじゃ足りない。普通の炉で火を通すには、この剣……重すぎる。」
そして、懐から小さな鍵のような魔導装置を取り出すと、奥の武器庫へと続く扉を開ける。
「あんた達は武器、装備をこの武器庫で揃えな。
私とカイルは更に奥にある特別な場所でこの大剣を鍛える!
シエラ、後は頼んだぜ!
ほらカイル来な!手伝ってくれよ。」
「え!?俺が手伝えるのか!?」
カイルは驚いたように言った。
「ザフィーラおばさんがお前に託した大切な剣だろ?一緒に鍛えないでどうするんだよ!ほらほら!」
こうして、ザフィーラの遺志を継ぐ“火の再鍛”が幕を開けた。
二人が奥の部屋に向かうのを見送ると、シエラの視線が、蒼井とエリック――かつてノア連邦の騎士団に属していた二人に向けられていた。
「……さて、ノア連邦の騎士団に聞きたいことがあるんだけど。いいかしら?」
シエラは、ずいと蒼井に歩み寄る。その眼差しは獲物を見極める獣のように鋭い。
「本当に裏切ったの? 潜入だの、芝居だのっていうのはナシよ?」
彼女の瞳は氷のように澄んでいた。
「……でもこの呼吸のリズム、視線の揺れ、立ち姿。どれも本気で死地に向かった者のそれね。」
蒼井は何も言わず、その視線をまっすぐにシエラに返す。
エリックもまっすぐ見つめて言葉を返した。
「鋭い観察眼と感覚を持ってるね。
確かにノア連邦騎士団としてここに来た。
だが、俺達は自分の保身や出世、名誉のために罪のない人達を苦しめるデラートみたいな悪党に協力するなんてゴメンだ。
だから裏切って討つことを決めたんだ。」
数秒の沈黙の後、シエラがニヤリと口元を緩めた。
「……そうなんだ…その言葉信じるよ。
それにしてもいい目をしてる。ただ殺すんじゃなく、何かを守るために刃を抜いた奴の覚悟ある目。
キレイ…。」
シエラがうっとりとしたように蒼井とエリックを見つめる姿があまりに妖艶でエリックは顔を伏せ、赤らめる。
「でも…もう一つ気になってるの。そっちの蒼井君って言ったかな?
その身体つき、“ノア連邦仕込み”には見えない。」
蒼井が眉をわずかに動かすと、シエラは蒼井に密着する程近づき、匂いをクンクンと嗅ぎながらまじまじと彼の立ち姿を眺め始めた。
「金髪と蒼眼はノア連邦の血の特徴。
でもこの凛とした気配…あなた……アマツの血、引いてる?」
「……ああ。母がアマツの剣士だった。」
その言葉を聞いた瞬間、シエラの表情が変わった。
沈黙。小さく息を吸う音。
「……やっぱり、そうだったんだ。
これを聞いたらライザも歓喜する。
…ちょっと待ってね。」
シエラがそう言うと腰にある布ポーチから鍵を取り出し、この鍛冶場の床にある小さな鍵穴に挿した。
そこから取り出したのは一振りの太刀。
「ザフィーラおばさんが遺した設計図と、私とライザで研鑽を重ねて完成させた一振り。
伝承と記録を再現して、命を吹き込んだアマツの魂……《雪霞(せっか)》。」
シエラが慎重にその刀を蒼井の前に差し出す。
黒い布に丁寧に包まれていたそれは、まるで魂を封じたかのように静かで、ただならぬ気配を放っていた。
蒼井がその布をほどくと、露わになったのは――
雪の霞を思わせる、柔らかくも冷ややかな白の鞘。
淡い銀光を含んだその白は、まるで凍てつく霧のように、触れれば消えそうな儚さと、見つめれば凍りつくような鋭さを内包していた。
余計な装飾は一切なく、ただ静かにそこに在るだけで、凛とした威圧と、研ぎ澄まされた気迫を漂わせている。
鞘の中央には、わずかに黒墨で刻まれた一文字。
――「霞」
それは、この刀がただの刃ではなく、“想い”を継ぐ存在であることを静かに語っていた。
蒼井はその白い鞘に手をかけると、わずかに息を飲んだ。
それは、彼の過去と未来に寄り添い、運命を共にする“刃”そのもののようだった。
そして持ち主の魂を計っている――そんな錯覚すらあった。
「この刀は、使い手の心を映す。精神が濁れば、刃も曇る。
けれど……あなたの魂なら、きっとこの刃は応える。」
蒼井はそっと刀に手を伸ばし、柄を握る。
「……この刀…アマツで修行していた時のことを思い出す。
素晴らしい一振りだ。
ありがたく受け取らせてくれ。」
その言葉にシエラは優しく柔らかく笑顔になった。
「ついに現れたのね。この太刀に共鳴する者が…。」
蒼井が刀を腰に差し、静かに目を閉じた。
アマツの風が、遠くで揺れた気がした。
蒼井の内側で何かが静かに噛み合った。
少し歩いて石壁に蒼井は背を預ける。
ふと、幼い日の風景が、心に立ち上った。
***
――母は、言葉の少ない人だった。
黒い長髪を高く結い、藍染めの着流しに身を包んだ姿は、凛としていて、優美な気品を纏っていた。
言葉は少なかったが、目はすべてを語っていた。
夕暮れの剣道場。風に砂が舞い、板の間には少年の蒼井レイモンドが、木刀を構えていた。
「構えが高い。心が浮いているよレイ。」
静かな声が道場に響く。
「刀はただ斬るものじゃない。己の心を映し出す。
そして悪しきを断ち、良きものを守るためのもの。」
言葉に反して、彼女の打ち込みは重く、鋭く、澄んでいた。
「精神が乱れれば、刃も濁る。……心を鎮めなさい。」
少年の蒼井は、母の動きに見惚れながら、木刀を振った。
打ち込む。受ける。また打ち込む――繰り返すごとに、何かが内に染みこんでいくようだった。
***
蒼井は目を開けた。
《雪霞》が静かに、まるで眠っているように腰に揺れている。
そこに、シエラが近づいてくる。
「装備、見に来ない? 武器庫、開けてある。エリック君はもう先に行ったわよ。
……みんなも準備してる。」
「……ああ。感謝する。」
蒼井が立ち上がると、シエラがふと口を開いた。
「あなたの父親は……ノア連邦の英雄でしょ?」
「グレゴール・ヴァルデンベルク。
秩序を掲げ、実力主義を貫き、異端を切り捨てる男だ。」
しばしの沈黙の後、シエラが言う。
「その父を、あなたは……どうするつもり?」
蒼井は雪霞に触れ、答える。
「……斬るさ。
父を許せば、この国に未来はない。」
その瞳に、一切の迷いはなかった。
彼の目は、もう“父を想う息子”ではなかった。
“この世界を正す剣”としての覚悟が、そこにはあった。
シエラは微かに笑い、「なら安心ね。」とだけ言って歩き出した。
静かに、それでも確実に。灰狼旅団に、新たな“刃”が加わっていた。
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鍛冶場の奥――石の扉を開いた先には、まるで一つの城塞のような武器庫があった。
壁面には歴代の武器が幾百と並び、魔導器を埋め込まれた鎧や盾が整然と配置されている。
灰狼旅団の仲間たちとエリックも、黙々とそれぞれの装備を選び始めていた。
蒼井は棚の一角から、深い藍染めの軽装鎧を選び取る。魔導繊維で織られた黒いコートを羽織り、最小限の護身だけを整えた。
そして、腰に差された《雪霞》をそっと確認する。それだけで十分だった。
「……後はこの刀で十分だ。感謝する。」
隣ではエリックが、新たに鍛えられた標準型の騎士剣を腰に装着していた。
柄には精度の高い魔導器の接合部があり、動きと攻撃の効率を計算された造りだった。
エリックは軽装鎧に防御魔導を組み込んだ外套を重ね、長期戦に耐える構成を選んでいる。
「騎士団を裏切った身だ。長期に備えて戦う。
これからはレイと傭兵にでもなるか?」
エリックはそう呟くと、蒼井と目を交わす。
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その頃、地上では。
砂を被った廃屋の屋上に、灰狼旅団の見張り役が一人、双眼鏡を構えていた。
空は澄んでおり、風もない。……だが、どこか、静かすぎた。
「……? あれ、影……?」
見えたのは、一瞬だけ揺れた砂煙だった。
次の瞬間、背後から喉元を刃が裂いた。
声すら上げられず、男は音もなく崩れた。
もう一人別の見張りが振り向こうとした瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
何が起きたか、理解する前に喉元に冷たい何かが触れ――
そのまま、また一人命の灯が消える。
最後の見張りの背後に何かが通った気配を感じて振り返った。
「なん……だ…。」
言葉の途中で、腹部に突き立てられた短剣の存在に気づく。
刃は深く、角度は正確。声を出す暇もなく、彼は静かに崩れた。
わずか十数秒の間に、三人の見張りが無力化されていた。
その場に現れた“彼ら”は、まるで影のように砂に溶けていた。
顔は布で包まれ、表情は見えない。
だが、ただならぬ気配が漂っている。
腕や脚の動きに無駄がなく、それでいてどこか人間味を欠いたぎこちなさがあった。
息をしていないのか、呼吸の音すら感じられない。
地面に足音も残さず、砂の上を滑るように移動していく。
一体が立ち止まり、わずかに首を傾ける。
死体を確認したわけでも、合図を送ったわけでもなかった。
だが、次の瞬間、他の影が同時に動いた。
指先から短く火が灯り、ひとつの標識を焼くと、それが静かに消える。
まるで“誰か”に合図を送ったようだった。
――何者かが、侵入してきていた。
何の音もなく、何の言葉もなく。
そして、今なお誰も気づかないまま、それは地下の気配に近づいていた。
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武器庫は活気に満ちていた。
レオンと灰狼旅団員たちは鎧を身にまとい、剣の重みを確かめ、蒼井とエリックも準備を終えていた。
そんな中、蒼井がふっ、と鍛冶場の方へ視線を向ける。
「……何か変な気配を感じた。」
隣にいたレオンも、わずかに眉をひそめた。
「ああ、気のせいとは違うな…。」
他には誰も気づいていなかった。
鍛冶場へ通じる通路から、異様な何かの気配を。
「俺が見てくる。」
蒼井がそう言い、腰に帯刀する雪霞に手を添えた。
ランプの火が灯る鍛冶場は、誰もいないはずだった。
蒼井は静かに歩を進める。
火の光に照らされる鉄床、冷えきった炉の縁、削りかけの鋼片。
蒼井が一歩踏み出した瞬間、鍛冶場のランプの火がふっと消えた。
風はない。誰もいない。だが確かに、“何か”が横切った。
反射的に蒼井は一歩下がり、手を腰の《雪霞》に添える。
その直後、気配も音もなく、背後に“何か”が降り立った。
空気が凍るような気配。
蒼井が振り返るより先に、何かが刃を振るってきた。
鋭い風切り音――次の瞬間、鞘が鳴った。
蒼井は体を軽く捻り、鞘の底で背後の何者かの鳩尾を突く。
その衝撃で何者かが突き飛ばされて、倒れた。
ランプの残光がわずかに照らす――そこに立っていた“それ”は、人の形をしていた。
だが、まったく動じない。
息遣いもなければ、視線の揺れもなく痛みを感じていないかのように立ち上がった。
その手には短剣。
関節の動きがどこかおかしい。肘が逆に曲がり、首の角度が異様に傾く。
“正常な人間”の動きではなかった。
無言のまま、それは再び突っ込んできた。
蒼井はかわし、間合いを詰める。
敵の腕をはじき、反転するように一閃。
《雪霞》の刃が、抵抗なく襲撃者の首を断ち切った。
しかし――首を失った“それ”の身体は、すぐには倒れなかった。
しばらく、足だけが動こうとした。
「……なんだ、こいつは……。」
その異様さに、蒼井は僅かに息をのむ。
次の瞬間、天井から、影が音もなく落ちてきた。
さらに左右の影からも、複数の気配がにじり出る。
蒼井が再び構えを取ろうとした刹那――
三体の襲撃者が物凄い速さで飛びかかって来た、その瞬間蒼井の背後から、その三体を大剣で薙ぎ払い弾き飛ばした。
レオンだった。目は鋭く研ぎ澄まされている。
「来やがったか…。大丈夫か?」
蒼井は静かに雪霞を構えなおす。
目の前の襲撃者三体は身体中の関節をバキバキ鳴らしながら素早く立ち上がり、二人に刃を向けた。
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