第1章 疼く前触れ〜第1話

第1話



 明日からのゴールデンウィークの前に、昨日十六歳の誕生日を迎えていた。


  誕生の4月に入学した名門女子高校の憧れの紺のセーラ服を着て、うきうきとした気分で帰宅した。


 亡くなった両親のかわりに、おばあちゃんが育ててくれた。


 昨夜、おばあちゃんが寝る前、私に耳打ちした謎めく言葉。


 忘れてしまいたい、切実な想いと重なっている。


 それは決して叶わないこと。


 無理やりに近い状態で、遠くの彼方へ消し去るしかない。


 訪れたゴールデンウィークは、予定がいっぱいで、忘れたいことを忘れ去るにはちょうどいい。


 いまだ行方不明の父の兄が営む、異国の牧場へ行くことになっていた。


 玄関からリビングへ顔を出すと、おばあちゃんは一階のエントラスホールにあるポストを見て来るように言ってきた。


 築二十年近く建っているタワーマンションの七階に、祖母と二人で暮らしている。


 今すぐにとおばあちゃんに言われたので快く応じ、セーラー服の姿のままポストを見に行くことにした。


 学生鞄をリビングのソファへ置き、玄関を出て鍵をかけ、それをスカートのポケットへ押し込んだ。

 



『これから先、自分の心や感覚を信じ、降りそそぐ未知なるすべてを乗り越え、自分が夢見ること、内なる願いを叶えていきなさい』

 



 不意に、脳裏に掠めるのは、昨夜のおばあちゃんの言葉。


 忘れてしまいたいことでもあるのに。


 どうして今、形にしてしまうのはなぜ?


 鬱々と考え事をしながら、エレベーターへ向かう。


 その扉は、閉まっていた。


 それがすぐにでも開くことに気づき、慌てて駆け寄る。


 エレベーターの扉が、ゆっくり開く。


 再度考え事をはじめてしまい、私は俯いたままその中へ乗り込んだ。


「あ、あれ?」


 エレベーターが上昇していることに我に返り、目をぱちくりさせる。


 扉の上の階数表示を見ると、どんどん上昇していた。


 エントランホールにあるポストへ行く予定だったのに、失敗してしまった。


 何かに夢中になると、他に何も見えなくなってしまう。


 それは、自分の悪い癖かも。


 大きく溜息をこぼして、自嘲気味に口元を歪めた。


 刹那、不意にエレベーターが止まる。


 瞬時に、真っ暗になった。


「……」


 ふっくらとした朱色の唇を薄く開き、思わず呻き声を漏らす。


「……大きな溜息だな。扉は問題ない。すぐに開く」


 奥から、男性の低いながらも流雅な声音がきこえてくる。


 私は、その声に仰天とした。


 考え事に捕らえられていたので、エレベーターに人が乗っていることすら気づいていなかった。


「溜息をつきたい時って、誰にもあるはずよ。それよりも、ちゃんと点検していないのね。それに降りると思っていたのに、上へ行くなんてびっくりよ」


 私は、冷静にぼやいたが、男の人がいたことに、悲鳴を上げたい気分だった。


 古くから続く元華族の家系である名家の一人として、引き取ってくれた育ちの良いおばあちゃんに、私は厳格に躾られている。


 おかげでダイエットには縁はないけど、厳しく躾けられたことにより、その場で思わず悲鳴を上げることを許さなかった。


「その件は、君が乗る前に上か下か確認を怠ったからではないのか?」


「確かに、そうね」


 おばあちゃんのような厳しい指摘が、背後からきこえてくる。


 一呼吸置いて考え、その通りだと項垂れる。 


 私自身の不注意もあるが、自他ともに認める並外れた集中力のせいもあった。


 その時していることに、全神経を集中してしまう。


 それ以外の事について、頭が回らなくなってしまうことが多々あった。


 

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