高橋由菜のせいで今日も眠れない。

みららぐ

あの日の“I love yo,too.”



牧野先生に冗談で「I love you.」と伝えたら、

牧野先生に「I love you,too.」と返された。


牧野先生、とは。

私が通う学校で一番若い新米の男性教師。

普段は全く笑わず、冗談も通じず、授業中だって雑談を一言もせず、生徒達とのコミュニケーションを一切とらない度が過ぎるほど真面目な教師である。


しかし、そんな牧野先生が。

冗談なのか、何なのか。

私が友達との罰ゲームの一環で「I love you.」と伝えたら、

上記のように「I love you,too.」と返してきたのだ。


それも、一切笑わないはずの牧野先生の貴重な優しい笑顔付きで。


あまりにも先生が予想外の返答をするから。

あの日から私は、気が付けば牧野先生のことを目で追うようになってしまった───…。



…………



「じゃあ、この練習問題をやってみて下さい」


あたたかい陽射しに照らされる5時間目の数学の授業中。

相変わらず真面目な牧野先生が、私たち生徒にそう言った。


皆にそう言ったあと、教卓の目の前で堂々と居眠りをする男子生徒の頭を自身の教科書で軽く叩いて起こし、机と机の間をゆっくり歩きながら、みんなの様子を見る。

机に隠れてこっそりスマホを弄る女子生徒を見つけては、遠慮なくそのスマホを没収する牧野先生。

「あとで数学準備室に来なさい」と告げる様子はまさに冷酷だが、その姿すらもきゅんきゅんしてしまう。


…スマホ弄ってたら牧野先生に呼び出して貰える!

私はそれに気が付くと、机の中からスマホを取り出してゲームをし出した。


しかし。


「おい」

「…」

「おい、高橋」

「…?」


スマホを開いた瞬間、私は不意に後ろの男子生徒に声をかけられた。

もう、何よ。せっかく牧野先生に声をかけられるチャンスなのに。

そう思って不機嫌に振り向くと、どうやらそいつは私の椅子の下に自身の消しゴムを落としてしまったらしかった。


「すまん、拾ってくれ」

「…」


…もう。

私はため息混じりにそれを拾うと、そのままそいつに渡してやる。

「サンキュー」と言って早速使い出す姿を横目に再びスマホを取り出そうとしたその矢先、私はふいに牧野先生に声をかけられた。


「高橋さん」

「っ、はい!?」


く…来る?

もしかして、「後で数学準備室に来なさい」なんて…!


しかし。

私が物凄く期待をしながら次の言葉を待っていると、やがて牧野先生が言った。


「練習問題、解けましたか?解けたら黒板に答えを書いて下さい」

「……」


そう言うと、そのまま教卓に戻ろうとする。

ところが、もちろん練習問題なんて全く手をつけていない私は、咄嗟にそんな先生を引き止めるように言った。


「っ…い、いたたた」

「…?」

「せんせぇ…私、いまお腹痛いからそんなの無理…」

「…」


そう言うと、一生懸命、お腹が痛い演技をする。

…下手すぎる芝居だし誰が見ても明らかに見え透いた嘘だが、それとこれとは話が別!ただでさえ数学が苦手なのに、練習問題なんてみんなの前で解けるか!

すると私がそう思っていたら、そんな状態を見た牧野先生が、私の目の前でしゃがみこむと心配そうに言った。


「だっ…大丈夫ですか!?」

「!」

「けっこう痛みますか?え、ていうか、いつから痛いんですか。もっと早く言ってくれたらよかったのに」

「えっ、あ…」

「我慢は体に毒です。ほら、乗って下さい」


牧野先生はそう言うなり、しゃがみこんだまま私にその広い背中を向ける。

一瞬なにかと思ったが、この背中に乗ってくれという意味だろう。

私はそんな牧野先生の言動に、何だか嬉しいやら恥ずかしいやら申し訳ないやらで、物凄く戸惑いつつもその肩に恐る恐る手を伸ばす。


周りの生徒達が私たちを冷やかしている気がするけれど、そんな声も一切入ってこない。

牧野先生の広い背中に私の体が密着して、何だか後ろから牧野先生のことを抱きしめているみたいで思わず頭の中が真っ白になった。

…やば、「コイツ重いな」って思われていたらどうしよう。

こうなることを想定して事前にダイエットしておくんだった。


私が内心そう思っていると、牧野先生が私を背中に抱えながらみんなに言った。


「みなさんはこのまま練習問題を解いていて下さい。先生は高橋さんを保健室まで送り届けてきます」


牧野先生はそう言うと、そのまま教室を後にした。



…………



私の教室は校舎の3階にあり、保健室は階段を下りた1階に位置する。

運ばれている途中でたまたまトイレの前を通りかかって、牧野先生が「…いったん寄りますか?」と言うからさすがに恥ずかしさで顔が爆発しそうになった。


「先生、女の子にそんなこと言わないでくんない?デリカシーがなさすぎ、」

「…すいません。お腹が痛いと言うので、つい」


恥ずかしさでついそんなことを言ってしまったが、逆の立場であっても私だって牧野先生と同じことを言っただろう。

思わず牧野先生の背中で、静かに自己嫌悪に陥る。

…先生、ちょっと落ち込んでるかな。


「…」

「まだお腹痛みますか?辛いなら言って下さい。最悪の場合、救急車を呼びます」

「救急車って。先生、大袈裟」


しかし、しばらく黙っていたらふいに牧野先生がそんなことを言い出すから、私は牧野先生の背中で思わず吹き出す。

私が笑ったら先生も安心したようで、その時ようやく保健室に到着した。


「保健の山口先生は午後からいないので、俺が薬を出します。高橋さんはその辺の椅子に座ってラクにしてて下さい」


牧野先生はそう言うと、薬品棚に近付く。

そっか…山口先生、いないのか。

思ってもみない形で牧野先生と2人きりになれたのはラッキーだが、もちろん腹痛なんてのは私が黒板に練習問題の答えを書きたくないがためについた嘘だから、やっぱり罪悪感が残る。

それでも本当のことは言えずにしばらく黙っていたら、その時薬品棚から牧野先生が薬と水の入ったコップを持ってきて、言った。


「はい、コレ。飲んで下さい」

「え、」

「腹痛の薬です。以前保健の山口先生から聞いたんですけど、腹痛の時にはこの薬が一番効くそうです。とりあえずコレでも飲んで、しばらく横になっていた方がいいと思います」


牧野先生はそう言うと、その薬の瓶ごと私に手渡す。

そんな優しい牧野先生の言動に、やっぱりきゅんきゅんが止まらない私。


でも。

何度も言うが、その“腹痛”というのは私が咄嗟についた嘘なのだ。

だからもちろん現在私のお腹は痛くもなんともないが、元気な状態で腹痛薬を飲んでしまったらどうなるのだろうか。


そんな私の近くの椅子に自身も腰を下ろして、真正面から私の様子を窺う牧野先生。

何故か、私が薬を飲む姿をじっと見ようとしている。


「…~っ、」


しかし、いつまでもその薬を飲まない私に牧野先生が言った。


「…うん?どうしました?飲まないんですか?」

「えっと…あ…と、」

「授業中にあれだけ苦しむほど痛いんですよね?だったらそれ、飲んだ方がいいですよ。即効性のある薬なので、安心して下さい」


牧野先生はいつもの落ち着いた口調でそう言うが、一方の私はもちろんそれを飲むことができない。

というか、どうして牧野先生は私が薬を飲む姿を目の前で見ようとしているんだろう。

私がどうしようかと思考をフル回転させていると、やがてまた牧野先生が言った。


「…高橋さん?どうかしましたか?」

「!」

「まさか……腹痛が“嘘”なんてことは、ないですよねぇ?」


牧野先生が私にそう言った直後、私は牧野先生と真っ直ぐに目が合う。

その言葉に、内心「やば!!」と思ったのも束の間。

牧野先生の目が、いつになく悪戯を仕掛けている少年のような目に見えて、私はこの状況下にも関わらずまたしてもその目にドキドキしてしまった。


……まさか、最初から嘘だってバレて…!?


私がその事実に気が付いて固まっていると、やがて牧野先生が吹き出した、気がした。


「…ふっ」

「…え?」

「なんて顔してるんですか。まるで“この世の終わり”みたいな」

「だ、だって…!ていうか最初から気が付いてたんですか!?」

「何を?俺は、あなたがいきなり教室で“お腹が痛い”なんて言うから保健室ここに連れてきただけです」

「!」


そう言って牧野先生は、「飲まないのなら返して下さい」とウカウカしている間に私から薬を奪う。

て、ていうか…!


「く、薬まで渡してくるなんて酷いです!もう少しで飲むところだったじゃないですか!」

「酷いのはどっちですか。ヒトの授業も聞かずやれって言った練習問題もやらないで机の中からスマホなんか取り出して?罰として答えを黒板に書けと言ったらみんなの前で突然仮病なんか使いだしたのはあなたの方ですよね?」

「!」


牧野先生はそう言いながら、真剣な表情で私のことを見つめてくる。

先生、怒ってる?いや、そりゃそうか。

よくよく考えてみれば悪いのは完全に私だけど、怒られているのはわかってるけど、そんなにまっすぐに見つめてこないでほしい。

授業中、終始あなたに見とれていたんですなんて…言えるわけがないし。

黙ったままじっと見つめられると…今の私じゃドキドキしすぎて苦しくなる。


「……なぜ目を逸らすんですか」

「っ、な、なんでそんなに見つめてくるんですか」


思わず私が牧野先生からふいっと目を逸らすと、未だ不機嫌そうな口調で先生がそう言った。

な、なぜって…この状況で目を逸らさないでいたら、この2人きりの保健室でただただお互いに至近距離で見つめ合うことになっちゃうでしょ。


だって私には、この前の「I love you,too.」の件もあるし。

あの時の言葉の意味も聞けていないままだから、私はこのままどうしたら…どうしたら…。


私がそうやって顔を真っ赤にしながらぐるぐる考えていると、やがて牧野先生が言った。


「……そういえば、ずっと聞こうか迷っていたんですが」

「?」

「この前の…あの言葉は……」

「…え?」

「…」

「…先生?」


この前の、って?

しかし私がその言葉に首を傾げるけど、当の先生はその続きを話そうとしない。

そうかと思えば、心なしか少しだけ顔を赤くした牧野先生と真っ直ぐに目が合って、だけど牧野先生はふっと私から目を逸らして、言った。


「……いえ、やっぱり何でもないです」


今のは忘れて下さい、と。

牧野先生はそう言うと、座っていた椅子から立ち上がって、そのままスタスタと保健室の出入り口へと向かう。

その背中を思わず止めようとしたら、牧野先生が言った。


「…安心して下さい」

「え、」

「高橋さんのソレが仮病なのはわかっていますが、今回はこのままベッドで休んでいても大丈夫です。今回は黙って見逃してあげます」


そう言ったあと、ふいに振り向いた牧野先生と再び目が合う。

…少しだけ、と同じ。

優しい顔をして笑った先生に、私はやっぱりドキドキしてしまって。


「…どうして」

「…」


そんな先生に思わずそう呟いたら、やがて先生が口を開いて言った。





「…特別だから」





そう言ったあと、牧野先生はそのまま本当に保健室を後にしてしまう。

その言葉に大きな期待をして背中を引き留めたかったのに、先生はもう振り向かない。



『……そういえば、ずっと聞こうか迷っていたんですが』

『この前の…あの言葉は……』



…あれはいったい、何を言おうとしたんだろう。



………まさか。














「……」


保健室のドアを閉めたあと、俺は思わず深く息を吐く。


“せーんせ!”

“?”

“I love you.”


…あれから、あの放課後から。

どうせ冗談だとわかっていても、彼女のあの突然のセリフが頭にこびりついてしまって、俺は毎日もどかしい日々を送ってしまっている。


っつーか、

教師なら普通にスルーしとけよ、俺。

何あの時の言葉の意味を今更聞こうとしてんだよ。


「はぁぁあ…うざ、」


せっかくの夢の教師ライフが。

女子高生に手出して即終了とか、マジで笑えないから。俺キモすぎ。


「俺は教師。俺は教師」


俺は自分に必死にそう言い聞かせると、やがて保健室の前を後にした───…。








【完】

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高橋由菜のせいで今日も眠れない。 みららぐ @misamisa21

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