異世界転生記 ~スキルツリーと記憶の欠片~

力丸

序章:目覚め

第一話:目覚めは石牢の底で

大和猛は、その日、平凡な日常を送っていたはずだった。学校帰りの交差点。信号は青。いつもと変わらない夕焼けが、アスファルトの上に長く影を落としていた。ただ、ほんの少しだけ、イヤホンの音量を上げすぎたのかもしれない。


「――っ!」


突然、耳を突き破るようなタイヤのスキール音が響き渡り、視界が真っ白に染まった。強烈な衝撃が全身を襲い、意識が遠のいていく。頭が真っ白になり、体のあらゆる感覚が麻痺していく中で、猛が最後に感じたのは、乾いたアスファルトに叩きつけられるような、どこか現実離れした浮遊感と、全身を貫く激痛だった。ああ、これは、もう終わりなのだろうか。おとなしく、目立たないように生きてきた自分の人生は、あっけなく幕を閉じるのか……。そんな諦めのような感情が、彼の意識を深い闇へと引きずり込んでいった。


次に意識が浮上したのは、不快な寒さと、鼻腔を刺激するカビ臭い空気の中だった。


「ん……う……」


うめき声が、張り付いた喉から辛うじて漏れる。瞼をゆっくりと開けようとするが、それが鉛のように重い。ようやく開かれた視界は、漆黒としか言いようのない闇に包まれていた。何が起きている? どこだ、ここは? 混乱が、猛の頭の中で嵐のように吹き荒れる。体は硬く冷たい石の上に横たわっており、その湿り気が皮膚にまとわりつく。全身が鉛のように重く、動かすのが億劫だった。


「は、はは……?」


声を出そうとして、自分の喉がカラカラに乾いていることに気づく。懸命に体を起こそうと腕に力を入れると、ゴツゴツとした硬い感触が指先に伝わった。地面は石畳のようだ。ゆっくりと上半身を起こし、背後の壁に寄りかかる。冷たい石の壁が、肌に直接触れて、ゾクリとした悪寒が走る。


――どこだ、ここ?


考える。考えようとする。しかし、頭の中はひどく靄がかかったようで、何も思い出せない。自分の名前は? どこから来た? なぜこんな場所にいる? どれだけ頭を振っても、記憶の糸口さえ掴めない。まるで、生まれてから今までの記憶が、ごっそりと抜き取られてしまったかのようだった。


「俺は……誰だ……?」


声に出してみても、何の答えも返ってこない。ただ、自分の声だけが、石の壁に反響して不気味に響く。おとなしい性格の猛は、普段から感情を露わにすることは少ない。しかし、この瞬間ばかりは、言いようのない恐怖と不安が、彼の胸を激しく締め付けた。ひゅ、ひゅ、と呼吸が浅くなる。冷や汗が背中を伝っていくのが分かった。


どれくらいの時間が経っただろうか。その時、微かな光が、闇の中に差し込んでいることに気づいた。どうやら、彼のいる場所は完全な暗闇ではなかったようだ。その光の源を探すように視線を巡らせると、はるか上方に、格子状の細い窓があるのが見えた。そして、その窓の先には、わずかにだが、外界の光が差し込んでいる。


ようやく、ここが地下牢のような場所だと理解した。鉄格子がはめられた重厚な扉、石積みの壁、そして地面に敷かれたわずかな藁。自分が囚われているという事実が、ぼんやりとした不安を確かな恐怖へと変えていく。


その時だった。


カラン、と、まるで目の前に小さなガラスの板が現れたかのような錯覚に陥った。視界の端で、透明な板が、ほんのわずかに光を放った気がしたのだ。思わず目を瞬かせると、それは消えていた。見間違いか? それとも、あまりの状況に、頭がおかしくなってしまったのだろうか。


「……?」


しかし、再び、その光は現れた。今度は、もっとはっきりと。目の前に、淡い青色に光る半透明のウィンドウが、ふわりと浮かび上がったのだ。そこには、見慣れない文字がいくつか表示されている。


『スキルツリーが開放されました』


『【未設定】』


『【ステータス】』


『【インベントリ】』


『【ログ】』


それは、まるでゲームのシステムメッセージのような表示だった。猛は、混乱した頭でその文字をなぞる。スキルツリー? ステータス? これは一体…? 何が起きているのか、全く理解できない。だが、その不可解な現象は、恐怖で麻痺しかけていた猛の思考に、一筋の光明をもたらした。ひょっとしたら、これは、この状況を打開する手がかりになるかもしれない。


鉄格子がはめられた重い扉の向こうから、遠くで足音が聞こえたような気がした。ギィ、ギィ、と古びた木のきしむ音もする。誰かが、こちらへ向かってきているのだろうか。


猛は、まだぼんやりとした意識の中で、その不思議なウィンドウを凝視した。それは、自分がこの場所にいる理由、そして、元の世界への道筋を示す、最初の「記憶の欠片」になるのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る