第12話 鉄槌の序曲
僕が奈落のサンクチュアリに帰還し戦争の準備を始めてからおよそ一ヶ月が経過した。
その間、地上では僕の予想通り大規模な討伐隊が結成され大迷宮へと進軍を開始していた。
僕の斥候人形ヤミガラスは聖域の上層、迷宮の天井近くに巣を作りそこから討伐隊の動向を逐一僕の元へと送り届けてくる。
討伐隊の規模は僕の想像を遥かに超えていた。
総員五百名以上。
先頭に立つのは王国騎士団の中でも「鬼神」の異名を持つ歴戦の騎士団長ダリウス。
その脇を固めるのはギルド最高ランクであるSランクの冒険者パーティ『暁の剣』。
後方には熟練の魔術師団と神官たちが控え全体の支援と回復を担っている。
まさにこの国が持ちうる最高の戦力。
彼らは堕ちた英雄たちの汚名を雪ぐかのように凄まじい勢いで迷宮の階層を下ってきた。
十階層までは何の問題もなかっただろう。
十五階層を越えたあたりから彼らの進軍速度は目に見えて鈍り始めた。
ヤミガラスが送ってくる映像には疲労と、そして得体の知れない恐怖に顔を歪ませる兵士たちの姿が映し出されている。
「報告! 第三小隊が、原因不明の体調不良を訴え、後退!」
「魔術師団より進言! この階層から、魔力の流れが異常に阻害されており、魔法の威力が半減しているとのこと!」
「斥候が、また一人、戻りません! 悲鳴の一つも聞こえなかったと!」
討伐隊の指揮所で副官からの報告を聞きながら騎士団長ダリウスは兜の下で苦々しく眉をひそめていた。
彼は歴戦の勇者だ。
数多の死線を乗り越えいかなる強敵を前にしても決して臆することはなかった。
だが今彼らが直面しているこの状況は彼の経験のどれとも異なっていた。
敵の姿が見えない。
剣を交えることも魔法を放つこともできない。
ただじわじわと毒が身体を蝕むように味方の戦力と士気が確実に削られていっている。
「――何かいる」
ダリウスは呟いた。
「ただのモンスターではない。
この迷宮の奥に、我々の知らない、狡猾で、悪意に満ちた何者かが、巣食っている」
その彼の推測は正しかった。
そして彼らが今足を踏み入れている場所こそ僕が仕掛けた最初の罠の領域だったのだ。
彼らの足元には僕がばらまいた『魔力枯渇の種』が既に深く根を張っている。
それは目に見えない根を張り巡らせ大地を流れる魔力を根こそぎ吸い上げてしまう呪われた植物。
魔術師たちが魔法の不調を訴えるのは当然だった。
この領域では彼らの魔力は大地に吸い取られ僕の怨嗟草のさらなる養分となるのだから。
その夜、討伐隊が野営の準備を始めた頃、僕は次なる一手 を打った。
「咲け」
僕の命令を受け彼らの周囲に潜んでいた『悪夢の種』が一斉に花を開いた。
花から放出された目に見えない幻覚の胞子が夜風に乗って野営地全体へと広まっていく。
最初に異変に気づいたのは見張りに立っていた若い兵士だった。
「て、敵襲! 敵襲だ!」
彼は何もない暗闇に向かって剣を振り回し始めた。
彼の目にはかつて彼が討伐したはずのオークの群れが血走った目で襲いかかってくるのが見えていた。
その叫び声が引き金となった。
一人また一人と兵士たちが自らの心の奥底に潜む「恐怖」の幻影を見始める。
ある者は故郷を焼く炎を見、ある者は死んだはずの仲間の亡霊にうなされた。
そしてある者は隣で眠る戦友の顔が ghastly な化け物へと変わるのを見た。
「うわああああ!」
「助けてくれ!」
野営地は一夜にして阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
仲間同士で斬り合いを始め恐怖のあまりに武器を捨てて逃げ出す者、自らの喉を掻き切る者。
ダリウスや『暁の剣』のメンバーのような精神力の強い者たちはかろうじて正気を保っていたが、彼らもまた部下たちの狂乱をなすすべもなく見ていることしかできなかった。
神官たちの浄化の祈りもこの奈落生まれの呪いには何の効果ももたらさない。
僕はその全ての光景をヤミガラスを通して静かに観察していた。
人間の心がいかに脆く弱いものであるか。
僕はそれを特等席でじっくりと学んでいた。
夜が明け地獄のような一夜が過ぎ去った時、討伐隊の兵力は三割近くも減少していた。
生き残った者たちの顔にも深い絶望と拭い去れない疲労の色が刻まれている。
彼らはもはや英雄的な討伐隊などではない。
ただの敗残兵の集まりだった。
それでもダリウスは諦めなかった。
「進むぞ! この先に、全ての元凶がいる! ここで退くことは、許されん!」
彼は残った兵士たちを鼓舞し無理やり前進を再開させる。
なんと愚かで、そして僕にとってはなんと都合の良い指揮官だろうか。
彼らは僕が仕掛けた第二の罠の領域へと自ら足を踏み入れていく。
そこは僕の量産型暗殺人形『カゲグモ』たちがその時を待つ狩場だ。
ダリウスは最も腕の立つ『暁の剣』のメンバー数名を先行する斥候として送り出した。
彼らは数々の修羅場を潜り抜けてきた本物の実力者たちだ。
幻覚の罠にも屈せず慎重に周囲を警戒しながら暗い通路を進んでいく。
やがて彼らは天井が異常に高い広間のような場所に出た。
「……妙だ。
静かすぎる」
パーティのリーダーである大剣使いの男が呟いた。
その瞬間、彼の直感が何かを告げたのだろう。
彼は咄嗟に天井を見上げた。
だが遅い。
彼の目に最後に映ったのは闇よりも暗い天井から音もなく無数に降り注いでくる小さな蜘蛛の影。
「しまっ――」
彼の言葉は最後まで紡がれることはなかった。
カゲグモたちはまるで黒い雨のように斥候たちの頭上から降り注いだ。
その爪に塗られた麻痺毒は即効性だ。
熟練の冒険者たちでさえ抵抗する暇もなく次々とその場に崩れ落ちていく。
彼らの意識が遠のく中、彼らが見た最後の光景は自分たちの身体に群がりその装備の隙間から何かを注入しようとする無数の不気味な人形の姿だった。
――斥候部隊からの定時連絡が途絶えた。
その報告を受けたダリウスの顔に初めて明確な焦りの色が浮かんだ。
彼は理解したのだ。
彼らが戦っている相手は彼らの常識が全く通用しない異質の「何か」であるということを。
奈落のサンクチュアリで僕はその報告を満足げに聞いていた。
カゲグモたちが斥候たちに注入したのは僕が新たに開発した特別な贈り物だ。
麻痺毒に混ぜ込んだ『怨嗟草』のごく微量な種子。
それは彼らの体内でゆっくりと、しかし確実に芽を出すだろう。
そして彼ら自身を僕の新たな「庭」の一部へと変えていくのだ。
「――さあ、次は何を見せてくれる?
騎士団長ダリウス」
僕は僕の玉座から盤上の駒を動かすように次なる一手 を考える。
僕の戦争はまだ始まったばかりなのだ。
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