第21話


 アルベルと魔王の最後の対決――。

 そのとき、アルベルがなにを思っていたのか。



 

 

 死闘、と呼ぶにふさわしい戦いだった。

 仲間たちが、その身を盾として、血を流しながら、繋いでくれた、たった一本の道。アルベルは、その道の先で、ついに、魔王ガヴェルの心臓を、自らの聖剣で貫いた。

 凄まじい断末魔の叫びが、玉座の間を揺るがす。

 だが、滅びゆく魔王は、その身に残った全ての生命力と、数百年の憎悪を凝縮させ、最後の呪いを放った。


「禁術の33――〈零刻の邪痕ラヴェエル・ヴォルム〉」


 紫黒色の光が、アルベルただ一人をめがけて、飛んでくる。


「アルベル、避けろ!」


 ゴードンの絶叫が、遠くに聞こえる。

 そうだ、避けることは、できたはずだ。残された力で、横に跳ぶだけの、ほんの僅かな時間は、あった。

 だが、彼は動かなかった。

 彼の脳裏に、あの夜に見た、最悪の予知が、鮮やかに蘇る。

 黒く、おぞましい手に変貌した、自分の手。

 その手で、愛する仲間たちを、惨殺する、未来の自分の姿。

 彼は、この呪いこそが、自分を、そして何より、仲間たちを、あの最悪の未来から救う、唯一の「解」であることを、瞬時に理解した。

 彼は、あえてその紫黒色の光を、その身に受けた。


 

 


 呪いが、彼の魂に食い込んでくる。

 それは、耐えがたい苦痛のはずだった。しかし、アルベルの心を満たしたのは、不思議なほどの、穏やかな安堵感だった。


(ああ……これで、いいんだ)


 彼は、心の中で呟いた。


(これで、俺は、魔王にならずに済む……)


 彼は、塵となって消えゆく魔王ガヴェルの、その憎悪に満ちた瞳の奥に、自分と同じ、深い絶望と、孤独の色を見た。

 この、かつてカインと呼ばれた男もまた、自分と同じように、この世界の残酷な「法則」の犠牲者だったのだ。


(お前も……つらかったんだろうな……。俺と同じ、宿命を背負わされて……)


 ありがとう、魔王。

 お前が、俺を、人として死なせてくれる。

 アルベルは、憎むべき敵に、静かな感謝と、そして、共感を寄せていた。


 

 


 王都への凱旋は、まるで夢の中にいるようだった。

 民衆の熱狂的な歓声を聞きながら、彼は、深い罪悪感を覚えていた。彼らは、英雄の生還を祝っている。だが、自分は、その期待を裏切り、静かに死んでいくのだ。すまない、と、彼は心の中で、何度も謝罪した。


 図書館で、呪いの真実が書かれたページを、仲間たちが絶望の表情で覗き込んでいる。その光景を、彼は、ひどく冷静に見ていた。彼らにとっては、それは「死の宣告」だったろう。だが、彼にとっては、それは、自らが下した「覚悟の再確認」に過ぎなかった。

 仲間たちを悲しませてしまうことは、もちろん、辛い。胸が張り裂けそうだった。だが、彼らが、未来の自分の手によって殺される悲劇に比べれば、まだ、ましなのだと、必死に自分に言い聞かせた。


 サシャが、つきっきりで世話をしてくれる。ゴードンが、毎日、他愛ない話をしに、部屋を訪れてくれる。ハンナが、遠い地で、自分のために希望を探してくれている。

 その全てが、アルベルにとっては、温かく、そして、あまりにも痛かった。彼らの優しさを受けるたびに、自分が、彼らから、生きる未来を、笑顔を、奪っているような気がしてならなかった。


 ゴードンの前で、一度だけ、涙を見せた夜があった。

 

「死にたくない」

 

 あの言葉は、紛れもない本心だった。

 仲間を守るために、英雄として死ぬ覚悟と、一人の青年として、ただ、生きたいと願う心。その矛盾に、彼の心は、ずっと引き裂かれていた。

 だが、あの夜、一度だけ弱音を吐いたことで、彼は、再び「英雄の仮面」を被り直すことができたのだ。


 


 

 そして、最期の時が来た。

 意識が、薄れていく。仲間たちの声が、遠くに聞こえる。

 「これでいいんだ」と、何度も自分に言い聞かせてきた。仲間たちの未来のために、自分の死は、正しい選択だったはずだ。

 しかし、死の淵に立ち、彼の脳裏をよぎるのは、英雄としての満足感ではない。

 故郷の、シダー村の、土の匂い。

 ゴードンと交わした、くだらない冗談。

 サシャが読んでくれた、本の声。

 ハンナが淹れてくれた、少し苦い、でも温かいお茶の味。

 あまりにも、愛おしい、失くしたくない、日常の記憶。

 英雄の覚悟が、一人の人間の、純粋な「生への渇望」に、負けていく。

 ああ、そうだ。本当は、こんな風に、死にたくなんてなかった。


(……ああ、でも、やっぱり。俺は、死にたくない……。もっと、みんなと……生きたかった、なぁ……)


 その、世界の運命を呪う、悲痛な願いを最後に、彼の意識は、永遠の闇へと、静かに落ちていった。

 勇者アルベルの、長くて、短い旅の終わりだった。








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