第21話
アルベルと魔王の最後の対決――。
そのとき、アルベルがなにを思っていたのか。
◇
死闘、と呼ぶにふさわしい戦いだった。
仲間たちが、その身を盾として、血を流しながら、繋いでくれた、たった一本の道。アルベルは、その道の先で、ついに、魔王ガヴェルの心臓を、自らの聖剣で貫いた。
凄まじい断末魔の叫びが、玉座の間を揺るがす。
だが、滅びゆく魔王は、その身に残った全ての生命力と、数百年の憎悪を凝縮させ、最後の呪いを放った。
「禁術の33――〈
紫黒色の光が、アルベルただ一人をめがけて、飛んでくる。
「アルベル、避けろ!」
ゴードンの絶叫が、遠くに聞こえる。
そうだ、避けることは、できたはずだ。残された力で、横に跳ぶだけの、ほんの僅かな時間は、あった。
だが、彼は動かなかった。
彼の脳裏に、あの夜に見た、最悪の予知が、鮮やかに蘇る。
黒く、おぞましい手に変貌した、自分の手。
その手で、愛する仲間たちを、惨殺する、未来の自分の姿。
彼は、この呪いこそが、自分を、そして何より、仲間たちを、あの最悪の未来から救う、唯一の「解」であることを、瞬時に理解した。
彼は、あえてその紫黒色の光を、その身に受けた。
◇
呪いが、彼の魂に食い込んでくる。
それは、耐えがたい苦痛のはずだった。しかし、アルベルの心を満たしたのは、不思議なほどの、穏やかな安堵感だった。
(ああ……これで、いいんだ)
彼は、心の中で呟いた。
(これで、俺は、魔王にならずに済む……)
彼は、塵となって消えゆく魔王ガヴェルの、その憎悪に満ちた瞳の奥に、自分と同じ、深い絶望と、孤独の色を見た。
この、かつてカインと呼ばれた男もまた、自分と同じように、この世界の残酷な「法則」の犠牲者だったのだ。
(お前も……つらかったんだろうな……。俺と同じ、宿命を背負わされて……)
ありがとう、魔王。
お前が、俺を、人として死なせてくれる。
アルベルは、憎むべき敵に、静かな感謝と、そして、共感を寄せていた。
◇
王都への凱旋は、まるで夢の中にいるようだった。
民衆の熱狂的な歓声を聞きながら、彼は、深い罪悪感を覚えていた。彼らは、英雄の生還を祝っている。だが、自分は、その期待を裏切り、静かに死んでいくのだ。すまない、と、彼は心の中で、何度も謝罪した。
図書館で、呪いの真実が書かれたページを、仲間たちが絶望の表情で覗き込んでいる。その光景を、彼は、ひどく冷静に見ていた。彼らにとっては、それは「死の宣告」だったろう。だが、彼にとっては、それは、自らが下した「覚悟の再確認」に過ぎなかった。
仲間たちを悲しませてしまうことは、もちろん、辛い。胸が張り裂けそうだった。だが、彼らが、未来の自分の手によって殺される悲劇に比べれば、まだ、ましなのだと、必死に自分に言い聞かせた。
サシャが、つきっきりで世話をしてくれる。ゴードンが、毎日、他愛ない話をしに、部屋を訪れてくれる。ハンナが、遠い地で、自分のために希望を探してくれている。
その全てが、アルベルにとっては、温かく、そして、あまりにも痛かった。彼らの優しさを受けるたびに、自分が、彼らから、生きる未来を、笑顔を、奪っているような気がしてならなかった。
ゴードンの前で、一度だけ、涙を見せた夜があった。
「死にたくない」
あの言葉は、紛れもない本心だった。
仲間を守るために、英雄として死ぬ覚悟と、一人の青年として、ただ、生きたいと願う心。その矛盾に、彼の心は、ずっと引き裂かれていた。
だが、あの夜、一度だけ弱音を吐いたことで、彼は、再び「英雄の仮面」を被り直すことができたのだ。
◇
そして、最期の時が来た。
意識が、薄れていく。仲間たちの声が、遠くに聞こえる。
「これでいいんだ」と、何度も自分に言い聞かせてきた。仲間たちの未来のために、自分の死は、正しい選択だったはずだ。
しかし、死の淵に立ち、彼の脳裏をよぎるのは、英雄としての満足感ではない。
故郷の、シダー村の、土の匂い。
ゴードンと交わした、くだらない冗談。
サシャが読んでくれた、本の声。
ハンナが淹れてくれた、少し苦い、でも温かいお茶の味。
あまりにも、愛おしい、失くしたくない、日常の記憶。
英雄の覚悟が、一人の人間の、純粋な「生への渇望」に、負けていく。
ああ、そうだ。本当は、こんな風に、死にたくなんてなかった。
(……ああ、でも、やっぱり。俺は、死にたくない……。もっと、みんなと……生きたかった、なぁ……)
その、世界の運命を呪う、悲痛な願いを最後に、彼の意識は、永遠の闇へと、静かに落ちていった。
勇者アルベルの、長くて、短い旅の終わりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます