第14話


 聖都アウレリアでの一件を終え、いよいよ魔王領への突入を目前にした、ある日の宿営地。

 仲間たちがそれぞれの武具の手入れや、作戦の確認をしている中、アルベルの元に、一人の王家の使者が訪れた。彼が届けたのは、アルベル個人に宛てられた、一通の素朴な羊皮紙の手紙だった。


「俺に?」


 アルベルは、不思議そうな顔でそれを受け取る。仲間たちも、彼に個人的な手紙が届くのは珍しく、遠巻きにその様子を窺っていた。

 封を開け、そこに綴られたインクの文字を追ううちに、アルベルの、いつもは穏やかで揺るぎない表情が、みるみるうちに、懐かしさと、愛情のこもった、柔らかなものへと変わっていく。それは、彼の故郷「シダー村」の村長からの手紙だった。

 彼の活躍を村中が誇りに思っていること、そして、彼の無事を皆が祈っていることが、素朴で温かい言葉で綴られている。手紙の最後は、こう結ばれていだ。


「もし、叶うことならば、決戦の前に、一度その元気な顔を見せに帰ってきてはくれんだろうか。皆、お前に会いたがっておる」


 アルベルは、手紙を読み終えると、少し照れくさそうに、しかし真剣な眼差しで、仲間たちを見回した。


「すまない、みんな。少しだけ、寄り道をさせてくれないか。最後に、一度だけ、顔を見せておきたい人たちがいるんだ」


 その、初めて見せる、彼の個人的な「願い」に、仲間たちは、温かい気持ちで、力強く頷いた。


 

 


 四人が訪れたアルベルの故郷「シダー村」は、ゴードンの故郷のような悲劇の舞台でもなく、サシャの魔導院のような壮麗な場所でもなく、ハンナの聖都のような聖域でもない、ごくごく普通の、穏やかな農村だった。豊かな畑が広がり、子供たちの笑い声が響き、家々の煙突からは、夕食の支度をする煙が立ち上っている。

 村人たちは、アルベルの姿を見つけると、「勇者様!」ではなく、満面の笑みで駆け寄ってきた。


「おお、アルじゃないか! よく帰ってきたな!」


 村長が、孫を迎えるように、その背中を力強く叩く。


「まあ、アル! 少し痩せたじゃないかい? ちゃんと食べてるのかい?」


 隣の家のマーサおばさんが、彼の頬を遠慮なくつねる。


「手紙の一本もよこさないで、水臭いじゃないか、アル」


 幼馴染の若者リオが、その肩を気安く、しかし力強く叩いた。

 アルベルは、仲間たちの前では見せない、年相応の、少し照れくさそうな、穏やかな表情で、それに応えている。

 ゴードンも、サシャも、ハンナも、そんな彼の姿を、ただ微笑ましく見つめていた。彼が、いかにこの村で愛され、育ってきたのかが、一目で分かったからだ。


 


 

 その日の夕暮れ、アルベルは、仲間たちを、村を見下ろす小さな丘へと案内した。

 

「ここが、俺の一番好きな場所なんだ」


 彼は、そこで初めて、自分の過去を詳しく語り始めた。幼い頃に両親を亡くし、特定の親戚ではなく、この村の皆に、ああでもないこうでもないと世話を焼かれながら、育てられたのだと。村長が父親代わりで、マーサおばさんが母親代わり。リオは、実の兄弟のようなものだった。彼にとって、この村そのものが「家族」であり、守るべき「原風景」だった。

 そして、彼は、丘の上から見える、小さな空き地を指さした。夕日に照らされ、ただ、静かにそこにある、何でもない土地。


「俺の夢は、勇者になることじゃなかったんだ」


 アルベルは、静かに言った。


「この旅が終わったら、あそこに、小さな家を建てて……畑を耕して、静かに暮らすことだった。みんなが時々、顔を見に来てくれるような、そんな……そんな、ただの、普通の人生が、俺の夢だったんだ」


 その、あまりにもささやかで、そして、あまりにも美しい夢。

 このときの彼らは、まさかアルベルがあんなことになるとは、夢にも思わなかった。


 


 

 翌日、パーティーが村を旅立つ時、村人全員が見送りに来た。

 彼らがアルベルに渡す餞別は、金銀財宝ではない。マーサおばさんが焼いた、まだ温かいパン。リオの家で採れた、保存食の干し肉。村の子供たちが編んだ、不格好だが、心のこもったお守り。


「アルベル。必ず、生きて帰ってこいよ。みんな、お前の帰りを待ってるからな」


 幼馴染のリオが、最後に彼の肩を叩いた。

 その言葉に、アルベルは、万感の想いを込めて、ただ、力強く頷くことしかできない。

 四人は、温かい想いに背中を押され、最後の戦場へと、再び歩き出した。


 

 


「……あいつ……結局、帰りたかっただけなんだろうな」


 現在のサシャの研究室。回想を終えたゴードンが、噛みしめるように、呟いた。


「あの、何でもねえ、普通の村によ……。英雄でも、何でもなく、ただのアルとして」


 その言葉に、サシャもハンナも、何も言うことができなかった。

 友が本当に守りたかったものの正体と、彼が永遠にそれを失ってしまったという事実が、あまりにも重く、三人の心にのしかかっていた。

 

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