ポケットのなかの宇宙
黒瀬智哉(くろせともや)
風、彼方より
私はいつしか彼のことを、尊敬の念を込めて**『灼熱の転入生』**と呼んでいた――。
みんなは彼のことを『滝沢昇』と呼んでいたけれど、私にはそうは思えない…にゃ。
だって、あの時、彼は…。いいえ、きっとそうにゃ。あれは本当の名前じゃない…!確かにあの時、彼は…。私の聞き間違いかにゃ?きっとそうにゃ。
彼の本当の名前は**『滝川翔』**。
違ってたらごめんなさい。…それに、その方が言いやすいし。私がそう呼びたいだけなのかにゃ?
私はいつものように、ゆっくりと空を見上げた。まぶしさに目を細めると、目の奥にちかちかと残像が焼き付く。雲一つない青い空は、まるで絵の具を溶かしたように鮮やかで、どこまでも高く、遠くまで広がっていた。アスファルトの照り返しが、かすかに陽炎のように揺れていた。
そういえば、ついこの前もそうだったにゃ。
あの灼熱の転入生が初めてこの学園にやってきた日のこと。校門の向こうから、突然、地響きのような轟音が響き渡った。まるで雷が落ちたかのように空気が震え、耳の奥でキーンと甲高い音が響く。私は思わず飛び上がりそうになったにゃ!にゃはーん。
まさか、あの滝川翔くんが、校門に仕掛けられた地雷を踏んで轟音と共に空高く吹っ飛んでいくなんて……。
あの時は本当にびっくりしたにゃ!でも、そんなこと、本当にありえるのかにゃ?どうして平気だにゃ?きっと彼には何か秘密があるに違いないにゃん!
「悪どい?フッ――何を言う!」
「おぬしこそ遅刻したくせに!悠々と登校しおって!」
週番の金澤の声が、学園の校門前に轟く。
「ちょ…ちょっと待て!」
「違うんだ――よく聞け!」
「おれは今日からここに通う転校生で……!」
「登校初日は!一限目が始まってから来なさいって――先生が言ったんだ!そーゆーふうに!」
滝川翔の声が辺りに響き、校門前の砂煙が竜巻のように渦を巻き、視界を遮るほど激しく舞い上がっていた。その向こうで、金澤と滝川翔の姿がぼんやりと霞んで見えた。
思わず私は息を呑んで、そんな彼らのやり取りを物陰に身を潜めて見守っていたわ。吹き荒れる風が私の髪を激しく煽り、校門前の砂塵が舞い上がり、二人の間に漂う、ピリピリとした重い空気が肌に感じられる。まるで、今にも雷鳴が轟く前の静けさのように、全てが凍り付いたようだった。
「じゃあ、先生が死ねっていったら―お前は死ぬんだなっ!?」
「――――!」
金澤の叫びが滝川翔の胸に響き、彼は思わず固まる――。
「靴下の匂いを嗅げと言ったら―嗅ぐのかッ!」
「パンツを履くなと言ったら―履かないのかッ!」
「松井伊代と結婚しろと言ったら――するのかッ!」
金澤の言葉が止まった瞬間、ざわめいていた校門前が、シンと静まり返った。まるで音という音が吸い込まれていくようで、鳥のさえずりさえ聞こえない。二人の間に流れる、張り詰めた重い空気が、私の心臓を締め付けるように高鳴らせた。静寂の中に、自分の呼吸音だけがやけに大きく響く。
しばらく身震いしたのち、滝川翔の重い口がゆっくりと開いた…。
「する…」
――!
「するっ! 結婚する!」
滝川翔の鋭い眼光が金澤に向けられていた。彼の目には一片の曇りもなく―その視線は金澤に向けられていた。
「なにいッ!」
思いがけない滝川翔の言葉に、金澤は思わずたじろぎ、額には汗が浮かび、口を開けて、その驚いた視線は滝川翔へと向けられていた。
「松井伊代とだったら―結婚するぞーッ!」
彼の声は学園の壁に反響して辺りに鳴り響く――。
何…?いったい何が起きているの?彼らは何を話しているのかにゃ?私には二人の会話が理解できなかった。松井伊代という名の謎の人物―そして、二人の間に交わされる言葉のやり取り。私は二人から目を離せなくなり、気がつけば額に一筋の汗が流れていた――。
――形勢はここに大きく逆転した! 一つの例えが覆されたために、今まで週番が積み重ねてきた論理(?)は、すべて崩れ去ったのだ!
「俺が遅刻じゃないことが証明されたようだな。」
「通らせてもらうぜ。」
滝川翔はゆっくりと週番の傍を通り過ぎていく。
「お、俺が間違っていたのだろうか…。い、いや。そんなはずはない!」
「高校野球では審判が神であるように――高校生活では週番が神なのだっ!」
金澤は、ゆっくり通り過ぎようとする滝川翔を横目に、自問自答していた。
「待て!」
横を通り過ぎようとする滝川翔を金澤は振り返り、背後から彼の肩を掴む。
ガッ
「きさまは遅刻だあっ!」
そのまま金澤は滝川翔の身体を思いっきり後ろに投げ飛ばした! 彼の腕力は強く、滝川翔の身体は学園の校門の前に転がされた。
「どうしても、かッ!」
立ち上がった滝川翔は金澤ににらみを利かせる。
「力ずくで決着をつけるしかないようだなッ!」と、滝川翔はさらに金澤に凄んだ。
「いい覚悟だ!その通り!」
「俺を倒さぬ限り――貴様は――!」
その時だった!
滝川翔は全速力で金澤に向かって走り出し、彼の直前で大きく飛び上がる!金澤は驚いて口を開け、飛び上がる滝川翔を見上げていた――。
「うわあああ!」
金澤に向かって急降下してきた滝川翔の靴の裏が、その顔面を捉えた。
ドザァ!
「ハァハァ!」
あまりの衝撃に金澤は地面に倒れ、口を開けて天を見上げた。その口からは血が零れていた。
「ど、どういうことだ――」
地面に倒れる金澤を、滝川翔は見下ろしていた。
「空中で前転して――そのまま空中で、後ろに回転するなんて……」
「で、できるわけがないのに…、お、恐ろしい…」
地面に横たわる金澤に、滝川翔は口を開いた。
「すごいだろう!」
「昔、テレビのヒーローものを見て、覚えたんだぞ!」
私の理解は追いつかず、衝撃を受けていた。さっきから一体、何が起きているのだろう?これは夢なのか?滝川翔くんは何者なんだろう?私の心臓はバクバクと鳴り響き、見てはいけないものを見た気がして固まっていた。
その時だった。
「ハッ!」
滝川翔くんの視線が、一瞬こちらに向いた気がしたにゃ。私は急いで物陰に身を潜めたにゃ。身体は震え、全身から汗が沸き上がっていた。「見られた!?」息をひそめ、私はじっとしていた。
ゆっくりと身を乗り出すと、こちらには気づいていないのか、滝川翔くんはゆっくりと学園に入っていく後ろ姿を目で追っていた。ふぁ~あ……。
―――
―――――
――――――――
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