EP 31
レッドクラブとの激闘を終え、潮の香りとカニの甲羅焼きの余韻を体に残したまま、田中貴史たち「どんぶりパーティー」一行は、夕暮れ迫るサウルナ街へと帰還した。その足で冒険者ギルド「ラックギオン」へ向かい、受付嬢のユミネにレッドクラブ討伐の証拠品(巨大なハサミの一部)を提出すると、無事に依頼達成と認定され、約束の報酬が手渡された。
「はいニャ! こちらが討伐報酬が金貨15枚と、レッドクラブの甲羅片少々ですニャ! Eランクパーティーの初仕事としては、上出来な成果ですニャン!」
ユミネから受け取った報酬袋の重みに、貴史はほんの少しだけ達成感を覚えたが、それ以上に全身を支配しているのは、鉛のような疲労感だった。
「ふぅ…疲れたでござるなぁ…色々ありすぎたでござる…。さて、今宵はセウレラ殿の屋敷でゆっくりと休ませていただくでござるかな…」
貴史が独りごちるように呟き、ふかふかのベッドを夢見て踵を返そうとした、その時だった。
「何を言うてますのん、ご主人!?」ロードが、その大きな頭で貴史の行く手を阻んだ。「冒険者としての仕事は終わりましたけど、ご主人の本職はこれからでっしゃろ!」
「そうよ、貴史!」ルーナも目をキラキラさせて貴史の腕を掴む。「せっかくサウルナ街に来たんだもの! これからが『どんぶり屋 たなか』の本格的な開業でしょ? 街の人たちに、貴史の美味しい丼をいっぱい食べてもらうのよ!」
「そうだぜ、タカシ」モウラも腕を組み、ニヤリと笑う。「昼間のレッドクラブの甲羅焼き丼も絶品だったが、やっぱりアタイは、お前さんの作るカツ丼や牛丼が腹いっぱい食いてぇんだ。街の奴らにも、その味を教えてやらねぇとな!」
三者三様の期待と、有無を言わせぬ圧力に、貴史のささやかな休息への願いは脆くも打ち砕かれた。
(こ、この人たち…拙者の体力を一体なんだと思っているのでござるか…!?)
かくして、貴史は仲間たちに半ば引きずられるようにして、サウルナ街の目抜き通りに近い、人通りの多い広場の一角に「移動式どんぶり屋台(試作一号)」を設置することになった。夕暮れ時のサウルナ街は、仕事を終えた人々や、これから夜の街へ繰り出す人々で賑わい始めており、屋台を出すには絶好のロケーションと言えた。
「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! サウルナ街の食いしん坊の皆様、お待たせしましたで! 一度食べたら忘れられない、魔法の『どんぶり』! 今宵は特別に、黄金色の衣を纏いし至高の一杯、絶品カツ丼が、なんと銀貨一枚で食べられまっせー!」
ロードの威勢の良い口上が響き渡り、ルーナも「美味しいカツ丼いかがですかー! 冒険者ギルドお墨付きの味ですよー!(ギルドがお墨付きを与えたわけではない)」と、可愛らしい笑顔で客を呼び込む。
物珍しさと、ロードの巨体、そして何より漂ってくる極上の香りに誘われて、あっという間に屋台の前には人だかりができていた。
「よ、よし…やるしか…ないでござるな…」
貴史は、もはや諦めの境地で、しかしプロの(?)料理人としての意地を見せ、右手を虚空に掲げた。その目には、疲労の色が隠せない。
「…嗚呼、我が魂よ…万象の理を超えて…今こそ、この右腕に…黄金色の奇跡を…来たれ…カツドンブリィィィィ…(小声)」
いつもの大仰な詠唱とは程遠い、力なく呟かれた言葉と共に、屋台の上に、それでも完璧なカツ丼が次々と出現していく。湯気と共に立ち昇る甘辛い出汁と、揚げたての香ばしい匂い。ルーナが手際よくそれを受け取り、モウラが「銭の受け渡しには厳しい」と宣言通り会計を担当し、次々と客に渡っていく。
「こりゃあ美味そうだ!」
「なんだこの匂いは!たまらねぇ!」
カツ丼を手にしたサウルナ街の住人たちは、一口食べるなり、その表情を驚愕と恍惚に変えた。
「うっま! なんだこれ! 肉が柔らかくて、衣がサクサクで、卵がふわとろで…!?」
「こんな美味いモン、生まれて初めて食ったぞ!」
「おい、亭主! おかわりだ! おかわりをくれ!」
称賛と興奮の声が飛び交い、屋台の前の行列は途切れるどころか、さらに長くなっていく。貴史は、まるで流れ作業のように、ただひたすらカツ丼を「召喚」し続けた。その頬には、一筋の赤い液体が伝っているように見えた。それは、夕陽の照り返しか、それとも……。
(うぅ…嬉しい…嬉しいのでござるが…! 身体が…魂が…悲鳴を上げているでござる…! これが…これが『どんぶりマスター』の宿命なのでござるか…!)
嵐のような営業がようやく落ち着き、最後の客を見送った頃には、夜空には月が高く昇っていた。屋台の代金箱は、モウラが時折ニヤニヤしながら数えていた銀貨で、パンパンに膨れ上がっている。
「いやー、今日も大儲けだったな、タカシ!」モウラが満足そうに言う。
「ええ! サウルナの人たちも、貴史の丼の虜ね!」ルーナも嬉しそうだ。
「やれば出来るやないですか、ご主人! 明日もこの調子で頼んますで!」ロードもご機嫌だ。
その傍らで、貴史は真っ白に燃え尽き、屋台の椅子に力なく座り込んでいた。その目からは、確かに一筋の…いや、二筋三筋の「血の涙」が静かに流れ落ちていた。
「さ…サウルナ街での…冒険は…まだ…始まったばかりでござるか……?」
貴史の虚ろな呟きは、サウルナ街の賑やかな夜の喧騒の中に、儚く消えていくのだった。彼がゆっくりと休息できる日は、果たしていつになるのだろうか――。
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