さいごのわがまま
紗淑
第1話 夜桜散歩
夜桜のきれいな道を、朔夜は歩いていた。彼は高校を卒業したばかりの、これからの大学生活を楽しもうと夢見る普通の男子学生だ。少し小柄で、細身の体にふわふわした茶髪、茶色い瞳。雑誌でよく見るストリートファッションをお手本にしたような服を着ている。丁度今、初めての一人暮らしの自由に浸って夜中の散歩をしているところだった。
そんな彼の視線の先に、一人の女性が現れた。腰の辺りまである薄紅色の長髪で、白くて長いワンピースを着ている。少し太い川にかかる橋の手すりに寄りかかりながら桜を見ていた。その長髪が月明かりを反射させながら風になびくさまは、どこか神秘的で朔夜の目を釘付けにした。
すると、朔夜の視線に気づいたのかその女性がこちらを向いた。そして、朔夜に微笑みかけた。彼女は若く、穏やかで親しみやすそうな雰囲気だった。色の薄いまつ毛の奥からレモン色の瞳で見つめられた朔夜は、思わず声をかけてしまった。
「こ…こんばんは…」
彼女はそれに答えてくれた。
「こんばんは。涼しくて気持いい夜だね。」
その声は高く、少女のようだった。朔夜は、彼女が自分と同い年くらいだろうと思った。
「そうだよね。君も散歩を?」
「そんなとこ。あなたもしかして、最近このあたりに引っ越してきたのかな?」
「そう…!どうしてわかるの?」
「やっぱり!こんな時間にこんなところに来るのなんて私くらいだもん。」
彼女は少しいたずらっぽく笑った。
「そうなんだ。」
朔夜も笑った。そして、そのまま続けた。
「桜を見てたの?」
「桜を見に来たってわけじゃないんだけど、きれいだなぁって立ち止まっちゃったの。毎年見てるのに。」
「へぇ。今年は特別きれいに咲いてくれてるのかな?」
朔夜の言葉にまた彼女は微笑み、頭の上の桜に視線を向けた。
「…見納めだから、かなぁ。」
そよ風がその木の花びらを舞わせ、散らした。
「見納めなの?」
「うん。…桜だけじゃないけどね。」
朔夜は、この少女が何かのっぴきならない事情を抱えていると悟った。
「そうなんだ。…ごめん、嫌なことを思い出させちゃったかな…?」
「いいの。全然嫌なことなんてないから。」
彼女はそう言いながら笑ってみせた。その笑顔は、どこか嘘くさいような感じがした。
「そっか…。」
俺でよければ、話聞くよ。朔夜はそう言おうとして、やめた。出会ったばかりの知らない男に、深い話なんてしづらいだろうと思ったのだ。
「私ね、もうすぐここへは来れなくなっちゃうの。」
彼女が切り出した。
「…え?」
彼女はあっさりと言った。朔夜が躊躇っていたのをよそに、彼女は桜を見ながら続けた。
「だから見納めなんだぁ。桜だけじゃないけど、とにかくいろんなことがもう最後なの。」
そんなことを言う彼女の表情は、なんだか不思議な感じがした。笑っているけど、楽しそうではない。だからといって悲しそうだったり、寂しそうだったりするわけでもない。そんな彼女に朔夜は、どんな言葉をかけていいかわからなくなった。
朔夜が何も言えずにいると、また彼女の表情が変わった。
「ねぇ、あなた名前は?」
その表情は、最初のような笑顔だった。穏やかで親しみやすそうな、純粋な笑顔。
「…あ、名前… 俺は、朔夜。水瀬朔夜。君は…?」
「朔夜くんっていうのね。いい名前。私は花澄。」
「花澄さん…そっちも素敵な名前だね。」
「ありがとう。私の名前…覚えていてね。私も朔夜くんの名前、忘れないから。」
「もちろん。だって花澄さん、俺がここに越してきて初めて学校以外で知り合った人だもん。」
「そうだったのね。」
彼女はまた笑った。
「ありがとう。」春の夜風がまた、花びらを散らした。揺らぐ細い枝が月の影を動かす。すると花澄が唐突に言った。
「この花びら、空中で捕まえる遊びしない?」
「子供のころやったなぁ。」
すると花澄は、子供のような目をして動き出した。
「こうやって…ほら!」
彼女がパシンッと閉じた手を開くと、花びらが捕らえられていた。
「おっ、やるじゃん。」
続いて朔夜も、次の風を待ってやってみた。…が、なかなか上手く取れない。
「なんでだよぉ・・・」
「ふふっ。朔夜くんはまだ0点。私は1点。」
「また風吹け…!」
二人はそのまま、夢中になって遊んだ。
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