第8話 過去の声と時計塔の影

――Side:水チーム


朽ちた時計塔の中に入った霞たち4人は、しばし無言のまま見上げた。


「……ここが、幻が見えた場所?」

凪の問いに、霞は静かに頷いた。


「うん。さっき見えた地下の泉……たぶんこの中にある」

彼女の視線は崩れかけたレンガの隙間を追っている。

時計塔の内部は想像以上に荒れており、床は抜け、壁は苔に覆われ、風の音がすき間からうなる。


「地下なんて、どこにもないように見えるけど……」


翔花がスニーカーの先で瓦礫を避けながら呟いた。


「とにかく、手分けして探そう」


かおるの言葉に、それぞれが散って塔内を調べ始める。

霞も先ほど見えた場所はどこだったのか、壁際を歩きながら足元を見ていた。


その時だった――


霞の視界がふっと歪んだ。


―また…!?―


一瞬で周囲の景色が変わる。


―白いノイズが走り、時計塔の中の壁に向かい合うように、右手をついて立つ少女が見えた―


―髪は紫がかっていて、ローブのような装束に身を包んでいる。


―スウッと紫色の光がまるで星座の線を描くように広がり、円の中に細い曲線と幾何学模様を描いて魔法陣を作った。その光が顔に当たって、彼女がはっきりと見えた。


―え……私…?―


魔法陣で淡く光った壁が淡く揺れて――消えた。


「……っ!」


視界が戻った瞬間、霞はぐらりと体勢を崩し、とっさに壁に右手をつく。


その瞬間。


バッ


まるで幻と同じように壁に紫の紋が浮かび、ざわめくような光とともに石壁が音もなく消え去った。


ドンッ!!


「霞っ!?」


「今の音なに!?」


凪たちが駆け寄った時には、霞はすでに崩れた壁の向こうに倒れ込んでいた。


「ごめん…ちょっと……眩暈めまいがして……」

霞がゆっくりと体を起こすと、その向こうには――


ぐるりと下へと続く、黒い螺旋らせん階段。


「……ここだ」


霞は呟いた。確信を帯びた声で。


かおると翔花、凪もそれに続き、4人はゆっくりと、静かにその階段を下っていった。


暗がりの奥、何かが彼女たちを待っているとも知らずに――



―――


ぎし、ぎし……と階段を踏む音が、沈黙の空間に響いていた。

4人は、慎重に、けれどどこか急くような足取りで螺旋階段を下っていく。


「……さっき見えた幻のこと、なんだけど…」


先頭を歩いていた霞が、ぽつりと口を開いた。


「紫の髪の女の子が見えたの。壁に手を当てて、魔法みたいな光で、道を開いた」


「それって……さっき霞がやったのと、まったく同じ……?」


翔花が後ろから声をかける。


「そう…その子の顔が光で見えた。…私の顔、だった。髪も服も、全然違って、時代も違う……でも他人じゃない…どこか懐かしかった…」


「前にも言ってたよね霞、“この街を知ってる気がする”って」


凪の言葉に、霞は小さく頷く。


「ただの幻って気がしない…。夢っていうより……記憶のような…でも、私のじゃない…」


そのとき――


ぴちょん… と、水の落ちる音がした。


「水?」


かおるが顔を上げ、急ぎ足で階段を降り始める。3人も後に続いた。


階段の終点に広がっていたのは、広大な地下空間。石造りのレンガの壁が、かすかに青白い光に照らされていた。


その中央に、ふわりと宙に浮いた水晶があった。

水晶はリィンリィン…とかすかに風鈴のような音を立てて回転しており、その下には、同じ色に光る静かな泉があった。


「……綺麗……!!」


翔花が思わず息を呑む。


4人はゆっくりと泉に近づき、その水面を覗き込む。


霞がそっと手を伸ばし、水に触れる。

冷たくて、澄んでいて、でもどこかただの水じゃないような感覚――


「…見た感じすごく透き通ってて匂いもない…飲めるかどうか、確かめる」


そう言って、かおるがそのまま水をすくって、口に含んだ。


「えっ!?ちょっ、かおる!?」


翔花が慌てて止めるが、もう遅い。


「……大丈夫そう。変な味はしない。むしろ、すっきりしてて、体が軽くなる感じ。安全な水かどうか確かめないと、だろ?」

そう言って、かおるは一度深く息を吐いた。


「いやそうだけど!それにしたっていきなり飲む!?超ビビったじゃん!!」


翔花がむくれながらも、かおるの無事そうな様子にに安堵していた。


4人は泉の周囲に腰を下ろした。少し休憩しよう、ということになった。


霞の顔色はまだやや青いものの、さっきよりずっと落ち着いていた。


「この場所……私だけじゃなくて、みんなに関係ある気がする…。私が見た幻の子だけじゃなくて……もしかしたらだけど」


「たしかに……」


凪が頷く。


「この島にきたとき、ちょっと懐かしいって思った。初めてなのに。翔花も言ってたよね、"不思議と懐かしい気がする”って」


「うん。でも、なんでそんなことが起きるのかは、全然わかんない……」

翔花が腕を組んで泉を見つめた。


「ここで何かがあったのは確かだと思う。魔法みたいな光、宙に浮く水晶、地下の泉……どれも普通じゃない」


「でも、それを“懐かしい”と感じるってことは……私たち、どこかで――」


凪が口にした言葉の続きを、誰も言葉にしなかった。


「やっぱりここに皆が来たのは、偶然じゃないのかな…」


凪が誰に問いかけるでもなくつぶやく。

この“不思議な場所”と、きっと深い関わりがある――と。口にはしなくても、その場の全員が、同じことを考えていた


暫く黙ったまま休憩していた4人だったが、翔花がぱっと立ち上がった。


「かおるがせっかく水飲んで確かめてくれたし、あたしも飲もっかな!!」


翔花が泉に近づき、ゆっくりと手を伸ばす。だが、その水面に触れる前、まだ空気に浮いたままの指先にひやりとした感触が走った。


「……冷たっ」


思わず引いた翔花の視線の先、そこには


――透けた、小さな手。


驚きに目を見開く翔花の隣を、身体が半透明になっている幼い少年の姿がすり抜け、水をすくってごくりと飲む。


半透明なその体は、まるで本当にそこにいるかのように水を飲み干すと、翔花を通り抜けて、奥に立つ女性のもとへと駆けていく。


「……今の、なに……?」


かおる、凪、霞の三人が、翔花の異変に気付き、言葉もなく彼女を見る。

そのとき、地下空間に柔らかな声が響いた。


『おかあさん!お水、すっごく美味しかったよ!!』


少年の明るい声が、4人の耳に、心に届く。

そして次の瞬間、地下の空間がざわざわと揺れ始めた。


「え…っなに…!?」

凪があたりを焦って見回した。かおるも立ち上がり驚愕の表情をしている。


目の前の泉のまわりに、次々と現れる人影。ぼんやりと透けた過去の幻。

震えながら水を飲む避難民たち。

子供を抱きしめながら、ここなら大丈夫よ、と囁く母親。

光を淡く放つ水晶が、彼らを静かに包み込んでいた。


その光景は幻想的で、そして痛々しかった。

中世のような、けれどどこかファンタジーゲームを思わせる衣服をまとった人々。

苦しげな咳。擦り切れたマント。肩を寄せ合い、泉を囲む影。

まるで、ここが災害から逃げてきた人々の"避難所"だったかのように。


「これ……過去の記憶? 幻…!?」

「わ…わかんない…!!」

翔花が凪に駆け寄って袖を掴む。

凪も翔花の腕を掴み、お互い抱きしめるような形になった。


「全員、見えてる……?」


霞が他の3人をみてつぶやく。


「この泉、非常用の水源だったのか……?」


かおるは驚きながらも、なんとか情報を得ようとしているのか、会話に耳を澄ませている。


フッと火を消したように、全ての人の姿が消えた。話し声ももうしない。


「なななな…なに今の!?おばけ!?触られた手めっちゃ冷たかったよ!!」


翔花が少年と重なった手をさすりながら半泣きで喚く。


「幽霊かはわからないけど…でもこの場所がどういう場所だったのかは、なんとなくわかったよ」

かおるが考え込みながら話す。


「なんでそんなに冷静なのさー!!」

翔花が信じられないといった顔でかおるを見る。


「あまりにも非現実的な事が続きすぎて、かな」

かおるが苦笑する。


「霞が見たのは、同じような人達?」

凪が破裂しそうな心臓に手をおきながら、隣にいる霞に向かって問いかけた。


霞は無言で、コクリ、と頷いた。


「うまく説明できるかはわからないけど…、とりあえず今までのことと、この場所、未桜達にもちゃんと報告しよう」


かおるの言葉に皆がぎこちなく頷いた。

水晶は変わらず優しい光を放っていた。



―――


4人が時計塔にいる中、上方、遥か高く。

街を見下ろすようにそびえる、古びた時計塔の先端に、ふたつの影が現れる。


ひとりは、金髪を高いツインテールに結った、小柄な少女。

無邪気な笑みを浮かべ、塔の縁に座って足をブラブラと揺らしていた。


「見つけたみたいだね〜、水。……ま、ちょっと遅かった気もするけど〜?」

少女は楽しそうに言葉を投げる。


「それにしてもさ、あいつ……全然思い出してないじゃん? いつまでふざけてんのかな〜? ちゃんと思い出してもらわないと、困るんだけどー」


その隣に立つのは、赤紫の長い髪を風に揺らす女性。

冷たく研ぎ澄まされたような瞳を細め、吐き捨てるように言葉を返す。


「まずは、生きていてくれなきゃ話にならない。……今のところあの小娘だけは、少しずつ記憶が戻ってきてるけど…。他の連中は……どうかしら…」


「そりゃあココは、あの子の街だもの。思い出せるもの、いっーぱいあるじゃない?…ふふ、早く戻ってきてくれないかなぁ〜? 待ちくたびれちゃうよ。早く遊びたぁい」


かすかに響く、無邪気な少女の笑い声。


その瞬間、赤紫の髪の女がため息をつき、指先で髪を払う。

同時に、時計塔の上のふたつの影はふっと空気に溶けるようにして――消えた。


残されたのは、静寂。

そして、不穏な空気だけだった。




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