空挺部隊ファーヴニル
朝吹
捜索灯の白光が交錯する中、空中を滑って彼は降り立った。陥没と亀裂が交互にはしった大地に溜まった黒い水たまりの中には太陽を砕いたような炎が鬼火となって揺れている。次々と押し寄せる夜の雲が地上の劫火を反射してあかく渦を巻いている。灰を撒くようにして、上空から次々と空軍兵士が背嚢収納型の翼、通称『イカロス』で降下してくる。正式にはもっと勇壮な名がついているのだが、初期型に墜死事故が相次いだのと、地上から対空砲で狙い撃ちされることが多いため、皮肉を込めて翼のことを兵士はそんな名で呼んでいる。
防風眼鏡ごしに、彼は水たまりの中に漂う火の影をじっとみつめた。吹きつける風が苦い煙を連れてくる。片膝をついた彼は口を開き、わずかな空気を肺の中に大切にとり入れた。
「悪魔め」
足許に倒れている少女が彼に手を伸ばした。焼け焦げた民間移送車が近くで横転しているのが見えた。
「見ていたわ。あなたは空からきたわ」
「君の名は」
「敵兵には教えない」
重傷を負った少女はそれだけ云うと眼をとじた。
俺は君の敵じゃない。でも君の敵国の空挺部隊に所属する兵士だ。生まれ落ちた時からそうだった。きっとね。
他のことは考えたくない。理由なんてない。戦う理由なんてない。誰も教えてくれないし、自分で決めるべきだとも想わない。空を飛ぶ前に配布される薬を呑む。それで恐怖は消えてしまう。
君くらいの歳の頃は、俺も初等教育学校にいた。
母艦が雲の上に到達した。彼は少女を抱き上げると、敵国民間人を発見と通信兵に伝え、星の海に浮かんでいる空母に戻る準備を開始した。
基地での降下訓練を終え、食堂から戻る途中、彼はカードを受け取った。
「少尉宛です」
自室で再生してみると、見知らぬ少女からの手紙だと分かった。間違えて彼の許に届いたのだ。
「停止」
音声認識が反応する一瞬前に、その少女が誰だか分かった。彼は酒を一口のみ、あらためて最初から再生してみた。
分からなかったのも無理はない。半年前、戦場から拾い上げた時は泥だらけだった少女は、きれいに髪を梳かして、前髪をピンでとめ、汚れのない清潔な服を身に着けていた。
わたしをたすけたあなたのことが大嫌い。
少女は一音一音に呪詛をこめてそう云うと、イーッと口を横にした。それで終わりだった。
彼は肩を揺すって、くっと笑った。少女の態度が可笑しかったのではない。こんなものがよく検閲を通ったなと想ったのだ。
録画には医療院からの報告書も添付されていた。少女は片腕と片脚を切断し、義肢を接合したとのことだった。
「君が兵士でなくてさいわいだった」
もし少女が兵士ならば、その場合はイカロスが降りる前の露払いで、武器が探知されるなり空母から照射されて即死していただろう。
彼はカードを破棄書類の上においた。後でまとめてシュレッダーにかけるためだ。
地平線が縄跳びの縄のようにうねっている。空の青と地上の褐色がシャッフルされる。片方の翼が壊れたイカロス。何度もみる新兵の頃の夢。彼は落ちていく鳥を追いかけている。同じ隊の同期兵を追いかけている。彼は叫ぶ。予備の翼を出せ。
速度を上げて追いついた。
同期兵を片腕で抱えた途端、重みがずしりと増した。同期兵は傷を負っている。彼は腕を伸ばして、同期兵の背嚢から予備の翼を手動で引き出してやった。
しっかりしろ。
その瞬間、周囲でぱんぱんと爆ぜていた敵の砲弾の破片がイカロスの片翼に命中し、彼は同期と引き離されて空中高く弾き飛ばされた。
濃霧のような分厚い雲の中で、彼はもがいた。上下が分からない。腰から銃を引き抜き信号弾を打ち上げた。色付きの弾は彼の頭の下に真っ直ぐに伸びていった。その先に一瞬だけ空が見えた。彼は信号弾の軌跡を追いかけた。方向感覚を失った彼にとっては垂直に真っ直ぐ墜落しているとしか想えなかったが、糸に引かれるようにして、ただひたすらそれを追った。雲から抜け出したところで、母艦から派遣された救援隊『カナリヤ』がこちらに向かってやってくるのが見えた。
前線基地に配属されている彼のもとに伝令兵がやってきた。客人が面会を求めているという。親兄弟のいない彼が不審がりながら兵舎の外に出てみると、そこには成長したあの少女が立っていた。
「捕虜交換で、国に帰ることになったの」
「それはおめでとう。背が伸びたな」
「帰っても誰もいないわ。みんな死んでしまったから。戦災孤児。あなたと同じ」
「それで」
「それでとは」
「君も国に戻ったら兵士になるつもりなのか」
十代半ばで軍隊に志願する者には戦災孤児の割合が多い。勧めはしないが仲間は出来る。親きょうだいがいない代わりに、戦友が大切な存在になる。
「ほとんど新兵のうちに、死ぬじゃない」
「承知の上だ。同じ墓に入ることを約束して俺たちは出撃する」
「呑気ね」
少女の顔からは幼さが消えていた。この五年の間、折に触れて彼に届けられたカード。少しずつ成長していく女の子。
あなたのことが大嫌いから始まり、わたしに逢いにこないの? むすっと鼻に皺を寄せていることもあった。収容所内の学校の成績表が同封されていた便り。
今年も逢いにこないの。一度もこないわね。もう死んでるんじゃないの?
少女は長い髪を馬の尻尾のように後頭部で一つに束ねていた。ワンピースからのぞく手足はぱっと見、義肢とはまるで分からない。映像から実物となって彼の前に現れた少女は彼を睨んだ。
「あなたと結婚したらこの国に残留することが出来るんだけど」
「おやおや」彼はにやにやした。
「わたしにはこちらの国の血が混じっているから、帰化も難しくないと想うわ」
「こっちに残りたいのか」
「べつに」
「帰りな」
「母国を信じることが出来る兵士は倖せね」
少女は新しいカードと、紐で巻いた画用紙を彼に押しつけた。
「これは戦時報道の写真を観ながら、あなたを描いた絵よ」
さよならも云わずに、少女は基地の外で待つバスに駈け去って行った。
バスが地平に小さくなるのを見送った後、彼は画用紙を開いてみた。そこに描かれていたのは怖ろしげな顔をして雲の間を飛ぶ狂暴なヤクルスの水彩画だった。槍蛇。伝説の翼ある蛇。イカロスの正式名称である神話からとられたファーヴニルですらない。これが俺か。
あっぱれと云いたくなるほどブレない敵愾心に感心しながら、彼は少女からもらったヤクルスの絵を部屋に飾った。シュレッダーにかけることなく、結局集めてしまった彼女からの便り。最初の一通目から始まって受け取るたびに笑わせてもらったものだ。
さて、こちらには何が吹き込まれているのやら。
彼は少女からもらった最後のカードに「再生」を命じた。
少女がもし武器をもっていたら敵国兵と見做して、あの場で頭を撃ち抜いていた。何人もの女兵士や少年少女にそうしてきたように。
ファーヴニル部隊、きこえますか。識別番号XXXファーヴニル。
聴こえる。だがもう応答する術は失われた。対空高射砲に片腕と翼をもぎ取られてしまうついでに、通信機も壊れてしまった。雑音まじりに音は聴こえはするが、こちらからの発信はまるで届いていないようだ。
「XXX。飛行不能」
何とか発声してみたが、その拍子にごぼっと血を吐いた。敵軍に検知されたかもしれない。気流に揉まれながら、血を撒き散らしている。きっと地上では血の雨が降っている。
少女を乗せて飛び立った捕虜交換の機体は、敵国領内に入った途端、敵軍の手で撃ち落とされたそうだ。こちらで手術した捕虜たちの義手義足に遠隔操作の爆弾を仕込まれていると疑われてのことだった。何隻もの船が空中で四散していった。
しかし中には、無事に敵軍基地に着陸した船もあったらしい。高官が乗っている船は攻撃を受けなかった。あの子はきっとその船にいたと彼はそう信じている。
信じるものなど何もない彼が信じている。戦友との絆と、女の子。あれだけ元気いっぱい俺を睨んでいた彼女が死んだりなどするものか。
翼を失った彼の身体が回転しながら落下していく。敵領の山岳地帯が迫ってくる。
同期兵は生きていた。イカロスのように海に墜落したが、彼が開いてやった予備の翼と海風のせいで不時着状態になり、敵の海軍に拾い上げられて助かった。
捕虜収容所に収容された同期兵はそこで看護師の女と恋におちた。
「生れたのがわたし。その両親も空襲で死んだ。わたしは父と母がいた戦場を観に行く為にあの日あそこにいたの。父は、戦友のあなたのことをずっと案じていたわ。自分のせいで、あの時に死んだのではないかと」
カードから流れる女の子の声。
「わたしはあなたを恨んだ。わたしの両親が死んだのも、わたしが独りになったも、あなたが父を助けたせいだもの」
耳を聾する砲弾の炸裂音。大空が砕けて溶けて熱を帯びたまま降ってくる。これが最期になるであろう、夏の雨。
白く輝く雲のあいだから接近してくるカナリヤ。救援機の跳ね上げ式の扉が開く。転舵した機の尾部から次々と跳び降りてくる翼ある者たち。煙の中で青光りする太陽を背にしたその影はまるで天使のようだ。
そのうちの一機が編隊から飛び出してきて、危険を冒して彼に追いついた。両腕をのばして彼を抱きしめ、彼の腰に脚を回して密着し、彼の身体を両膝で挟む。
対空砲が雄たけびを上げる。火花が流星のように雲間に散る。高速で彼らは落ちていく。天使が彼の予備の翼を手動で開いた。放せ。朦朧とした意識の中で彼は天使に怒鳴った。一緒に墜死するぞ、俺を放せ。
あなたを死なせはしない。
翼ある天使が彼の名を呼んでいる。地上が迫る。義肢の手が彼を抱く。
飛んで、ヤクルス。
「離陸直前にわたしは父の国に残ることを選んだの。わたしは衛生兵になったのよ。戦場看護師だった母の遺志もこれで継げるわ」
馬の尻尾のような髪が揺れている。
二人で助かるの。もう一度わたしを独りにしたら許さないわよ。
天国からあの子の声がする。雨のように涙が降りかかる。彼は眼をひらいた。
[了]
空挺部隊ファーヴニル 朝吹 @asabuki
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