第7章 途中という証明②
しばらくのあいだ、準備室に残った岡部と大沼は口を開かなかった。
空調の音だけが低く唸っていた。
大沼が腕を組んだまま、静かに椅子にもたれ直す。
「……よく、来させたな」
ぼそりと、独り言のように言った。
岡部は姿勢を正したまま、目を伏せていた。その顔に後悔はなかったが、強くもなかった。
「連れてきたのは……半分、強引でした。でも、試合をしてるときの先輩は……やっぱり、すごかったです」
大沼はそれには答えず、天井を一度だけ見上げた。
「すごいってだけじゃ、また同じことになるかもしれん。本人が、ちゃんと決めて戻ってこないと」
岡部の指先がわずかに動いた。
「はい、わかってます。だから……言わないで待つつもりです。決めるのは、先輩自身ですから」
大沼はしばらく黙っていた。
そして、ほんのわずかに口の端を上げた。
「……まあ、あの子がどこまで本気か、こっちも試されてるってことか」
岡部も、同じように少しだけ笑った。
それきり、また部屋には静けさが戻った。
歩き出してすぐ、咲は足を止めた。空腹が、またじわりと意識に上ってきた。お腹が鳴るほどではないけれど、確かに力が抜けている。水分も足りていない気がする。
(……このまま帰って、何かあるかな)
冷蔵庫の中身を思い出そうとしたが、朝の記憶がもう遠かった。頭が少しぼんやりしていた。すぐ近くに、小さなパン屋がある。店内で食べるほどの勇気はなかったけれど、テイクアウトなら。咲は制服の袖口を見下ろした。少し乾いてきたけれど、やっぱりまだ目立つ。
(……やっぱり、ちょっと恥ずかしいな)
でも、それでも食べない選択肢はなかった。目立たない道を選んで、できるだけ静かな通りを歩く。人が少ない時間帯なのが、幸いだった。
店の前に着くと、軽く息を吸って、すぐに中へ入った。すぐに目についたのは、あたたかそうな焼きたてのパン。何も考えずに、それを一つと、冷たいペットボトルの水を手に取る。
会計を終えると、袋を胸元に抱えて、店を出た。歩きながらパンをかじる。制服が少しひんやりしているのも、水の冷たさも、今はただ心地よかった。それだけで、少しだけ元気になった気がした。
焼きたてのパンを食べきるころには、咲はもう家のすぐ近くまで来ていた。歩きながら口にした水も、残りはほとんどない。けれど、喉の渇きはようやく落ち着いていた。
坂を上がって角を曲がると、見慣れた家の屋根が見えてきた。ほんの数時間ぶりなのに、ずいぶんと遠くまで旅をしてきたような感覚があった。
門を開け、玄関に入る。鍵を引き抜き、扉を閉める音が静かに響いた。
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