第1章 沈黙のエース⑥

 放課後の白凰学園は、部活動に向かう生徒たちの声であふれていた。

 体育館へ急ぐバスケ部、外に出ていくサッカー部、楽器ケースを抱えて移動する吹奏楽部。そのすべてを背にして、未来はひとり校門を出た。

 夕方の風が制服の裾を揺らし、通学路のアスファルトが赤く染まっている。街路樹の影が長く伸びるなか、未来の歩調はいつもより少しだけ遅かった。

 ——また、何もできなかった。

 咲に話しかけられなかったこと。それが胸の奥でじくじくと痛んでいた。あれほど近くにいたのに、視線を向けることも、声をかけることもできなかった。

 (このままだと……いつまで経っても、何も変わらない)

 未来は信じていた。あの人はまだ終わっていない。もう一度、卓球に向き合う瞬間があるはずだと。それを間近で見たい。できるなら、その瞬間に関わりたい。

 あの人の“ラリー”をもう一度見たいという想いだけが、自分の中で確かに生きている。


 家に帰ると、未来は制服のままソファに沈み込み、スマートフォンを手に取った。

 検索履歴には、神宮寺咲の名前が並んでいる。その中から、中学最後の試合——団体戦、全国大会準々決勝の映像を選んで再生した。

 画面の中で、咲は相変わらずだった。

 無表情で、静かで、強かった。

 ひとつひとつのラリーが正確で、冷静で、まるで勝敗すら意味を持たないような気さえした。

 ——この人は、本当に強かった。

 それなのに、負けた。

 咲のプレーに乱れはなかった。

 それでも、最後のセットは奪われた。

 そして、それをきっかけにチームは敗れた。

 咲の試合が、白凰中学の団体戦、最後の試合になった。

 未来は、何か原因が映っていないかと、再生を巻き戻す。

 けれど、どこを見ても咲は“いつもの咲”だった。

 だからこそ、余計に信じられなかった。

 (……どうして、あの人は卓球をやめたんだろう)

 画面の中の咲は、何も語らない。

 今も、昔も、ずっとそうだ。

 未来はため息をひとつ落とし、スマホの画面を伏せた。

 けれど、未来は信じていた。あれはまだ、終わりじゃない。止まっているだけだ。風が吹けば、また動き出す。

 その風の一部に、自分がなれたら——。

 未来はスマホを閉じ、立ち上がった。制服のまま、鏡の前に立つ。映った自分はまだ頼りなく、小さく、存在感もない。けれど、その瞳には確かに光が宿っていた。

 (絶対に、あの人をもう一度……)

 その小さな決意が、未来の中でゆっくりと芽を出し始めていた。

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