第20話 報告と問い

 理科準備室で起きた出来事を報告するために、僕らが理科室を出るところで、職員会議を終えたばかりの星乃先生が戻ってきた。


「お疲れ様です」

「ああ、まだいたのか? 何かわかったか?」

「ええ、色々とですね」


 僕は昨日の封筒の話から、過酸化水素が減っている理由まで説明を終えた。


「なるほどね。確かにあの封筒は私が無くしたもので、液体の付着と、化学繊維は、ゴム手袋だったわけだ」

「ええ、そのようですね」

「相変わらず、お前はこういう細かなことによく気付くやつだな」


 星乃先生は腕を組み、眉間に皺を寄せて僕をじっと見つめてくる。視線には呆れとも感心ともつかぬ色が宿っていた。


「誉め言葉と受け取っておきますよ。先生にしては、ずいぶん素直ですね」

「おいコラ、誰が素直だって? そんな殊勝な性格してたら、この仕事十年も続けてねぇよ」

「まあ、先生の暴言に耐えられる職場って、そうそうないでしょうから」

「うるさい!」


 軽く返すと、星乃先生はわざとらしく溜息を吐いて見せた。


 エミリが「また始まった」とでも言いたげに、僕の横で肩をすくめている。


「で、染料の話は?」

「赤い染料が一本、ラベルを剥がして貼り直されていました。瓶の底は濡れていて、使用された痕跡あり。棚の下の新聞紙には、明らかに染みを付けた跡。ついでに手袋の切れ端も、赤く染まってました。右手用。サイズはM、やや大きめです。……男子が慌てて使ったような印象ですけどね」


 僕が報告をすれば、先生は納得したように頷いた。


「粘度と光沢のある赤、落ちにくく、制服につければ即アウトってやつですね」

「ふーん……。あのラベル、私が整理したときはちゃんと向いてたけどな」

「先生の記憶が確かなら、誰かがその後に忍び込んだということでしょう。過酸化水素もそのときこぼれた可能性が高い。封筒はそれに巻き込まれたんでしょうね」


 星乃先生は鼻を鳴らすように笑った。


「ったく、くだらないことする奴がいるもんだな。染料でなにを表現したいのか知らんが……趣味が悪い」

「演出目的か、あるいは悪戯か。犯人が何をしたかったのかはまだ分かりませんが、問題はそこじゃない」

「ん?」

「なぜ、星乃先生がそれを僕に調べさせたかです」


 その一言で、星乃先生の表情が変わった。


 にやりと口角を吊り上げて、まるで「言ってみろ」と挑発するような目を向けてくる。


「他の教師にも頼めただろうし、単なる紛失なら警備に言って終わりですよ。にもかかわらず、わざわざ僕に声をかけた」

「だからお前は、面倒なガキなんだよ」

「事実ですから。で、違いますか? この件には、単なる染料の紛失以上の何かがあるって、そう思ったから僕を呼んだんでしょう?」


 星乃先生は口を閉じたまま、しばらく僕を観察するように見ていた。


「……本当にお前は生意気なやつだ」

「ありがとうございます」

「なんでお礼をいうんだ! 実際のところは、用務員さんの話を聞いたときになんとなく、あんたの顔が浮かんだんだよ。面倒事を面白がりそうなやつが一人いるなってな」

「それは信頼というより、半分遊び感覚じゃないですか」

「そうかもな。でも、お前はそのほうが燃えるタイプだろ? それに私は生徒の自主性を重んじるタイプなんだ」


 思わずエミリがクスリと笑う。


 話の流れが落ち着いたところで、僕はふと思い出したように言葉を繋いだ。


「そういえば、一つ気になってることがあるんですが、質問してもいいですか?」

「まだ何かあるのか?」

「端島澪のことです。生徒会に誘われていたんですよね?」


 その名を出した瞬間、星乃先生の目が鋭くなった。


「……ああ、それが今、何か関係あるのか?」

「いえ、先生が、彼女が生徒会に蹴ったという発言していたので、確認が取りたかっただけです」

「なんだ、その話か? ああ、嘘じゃない」

「なぜ断ったんですか?」

「知らねぇよ。けどな……」


 星乃先生は不意に窓の方へ目を向けた。ブラインドの隙間から射し込む夕陽が、彼女の顔を斜めに照らす。


「あいつは誰かのために生徒会入りを蹴ったように私は見えた。頭がいいし、筋も通ってる。だけど、誰かを優先するタイプに見えたな」

「そうですか」


 端島澪。彼女が抱えていた沈黙の理由に関係しているのかわからない。


 だが、誰かのために生徒会を断った。


 その一端が、今の星乃先生の言葉に重なっていく気がした。


「……彼女の選択が、正しかったと信じたいですね」

「それはあいつ次第だよ。でも、もし迷ってたら、背中押してやれるやつがいてもいいとは思うけどな?」


 星乃先生は、意味ありげに僕の胸元を指でつついた。


「鏡原。首を突っ込むからには、最後まで面倒見ろよ」

「僕は意外と情に厚いんですよ」

「口だけじゃなけりゃ、頼もしいんだけどな」


 そう言って、星乃先生は白衣の裾を翻し、理科準備室へと戻っていった。


 エミリが小声で呟く。


「星乃先生って、ああ見えて端島さんのこと……結構気にかけてるのね」

「ああ、口は悪いが、ああいう人ほど義理堅いもんだよ」


 今度こそ、学校を後にして帰路についた。


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