第2話 Bloom
BAR Bloom
黒い看板に、洒落た筆記体で書かれたその名前を見上げてから、私は静かにドアを開けた。
こんなバー、前はなかったはずだ。
さっきの男は「最近始めた」って言ってたけど……。
中に入ると、空気はしんと静まり返っていた。
こぢんまりとした店内には、丸テーブルが三つとカウンター席。
けれど客は一人もいない。
……いや、奥のテーブルに二人。
ミツキとハナだ。
さっきキャッチをしていた男が、彼女たちにおしぼりを渡しているところだった。
気まずさに肩がすくむ。せめて、さっきと別の格好をしてくればよかった。
見たところ、店員はあの男ひとりだけ。
カウンターに戻ってきた彼は、私を見て目を丸くした。
「さっきの子じゃん。やっぱり来てくれたんだ?」
「……ちょっと気になって。可愛いカクテルがあるんですよね?」
「あるよ。これ、メニュー」
手渡されたメニューをざっと見て、オリジナルカクテルという欄の一番上に載っていたものを頼む。
スマホを眺めているふりをしながら、こっそりミツキとハナの会話に耳を澄ませる。
「…んで、指定されたバーに来たはいいけど、ユウはいつ来るの?」
「さあね。さっきメッセージ送ったんだけど…」
ユウ。聞いたことのない名前。
まさか、5人目……?
というか、キャッチに引っかかったんじゃなくて、最初からこの店に来る予定だったってこと?
「はい、これ。チェリーブロッサム、桜アイス乗せ」
「……ありがとうございます」
差し出されたカクテルは、真っ赤なグラスの上にピンクのアイスが乗っていて、さくらんぼが飾られている。
「かわいい……」
「でしょ?」
「でも、さくらんぼ苦手だからマスターにあげる」
「あ、そう? じゃ、遠慮なく」
男がさくらんぼをひょいっと口に放り込み、モグモグと咀嚼した。
ほんとに食べた……と、じとっと睨んでから、ふと疑問が浮かび、尋ねる。
「……さっき“自分の店”って言ってたけど、若そうなのに一人でやってるの?」
「うん。前から自分の店出すのが夢でさ。こっちに知り合いがいて、手伝ってもらって、ようやくオープンできたんだ」
「……まあ、こういう可愛いのがあるなら、また来てもいいかも」
アイスをひと口食べながら、目線だけで店内を見回す。
棚に並ぶ酒瓶はどれも新品で、本当に最近できたばかりの店らしい。
マスターがミツキたちの席に戻った隙に、私はふたたび耳をそばだてる。
「今日、アイリは?」
「彼氏とデートだって」
思わずカクテルを吹きそうになり、慌てて口元を手で覆う。
アイリに彼氏!?
……まあ、あれだけ綺麗で強ければ、不思議じゃないけど。
でも、どんな奴と付き合ってるの? 暴走族の総長? それとも町外の金持ち御曹司……?
そんなことを考えていたら、カラン、と店のドアが開いた。
現れたのは、若い男がひとり。
「あ、ユウ。やっと来た」
ハナが軽く手を上げて呼びかける。
ミツキたちが待っていたのは、この“ユウ”という男らしい――。
ユウと呼ばれた男は、ミツキたちに手を振り返し、マスターにも軽く会釈した。
「お邪魔するね、透さん」
「ああ。いらっしゃい」
どうやら彼は、マスターと知り合いらしい。
てっきりミツキたちの席に座るのかと思いきや、ユウは私の左隣――一席空けたカウンター席に腰を下ろした。
ピリッと、胸の奥に警戒の信号が走る。
なんでこっちに…? と訝しんでいると、ミツキとハナもグラスを持って立ち上がり、こちらに向かってきた。
「ちょっと、なんでカウンターに行くのよ?」
「こっちの方が透さんと話しやすいじゃん」
「ユウは相変わらず自由なんだから…。で、今日呼んだのって、このマスターを紹介するため?」
ミツキとハナはユウの両隣に座り、ハナが私の左隣に。気まずくて、私はほんの少し右にずれる。
これは……。
予想外の展開に心臓がバクバクとなる。
……少なくとも、わざわざ聞き耳を立てる必要はなさそうだ。
どうせなら、たくさん話を聞かせてもらおう。そう思いながら、私は静かにチェリーブロッサムを口に運ぶ。
しかし、マスターは三人の会話に加わらず、なぜか私の方へやって来た。
「俺のことはいいから、三人でゆっくりしなよ。俺は今、この子と喋ってるから」
「……えっ?」
「なんだよ、つれないなあ」
ユウとミツキたちの視線が、一斉にこちらへ向く。私はひきつった笑顔で、マスターに視線を戻す。
「な、なに……?」
「ね? どこまで話したっけ?」
「どこまでって……」
さっきの会話、続いてたの……!?
「ちょっと、この子困ってるじゃん〜」
「透さん、あんまり変な絡み方すると、ほんと客来なくなるよ?」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。さっきまではちゃんと楽しく話してたんだから」
待って待って、これってまさか……。
「ごめんね、この人ちょっと変わってるから」
「ユウがそれを言うなよ」
「ねぇあなた、肌すごく綺麗だね。化粧水なに使ってるの?」
「え、えーっと……」
完全に絡まれてる。でも、まさかこんな形でニンファーのメンバーと話すことになるなんて……。
これはチャンスだ。
私は手を合わせ、前のめりになってみせた。
「全然綺麗なんかじゃないですよ〜。お二人のほうがずっと綺麗です!」
「そんなことないよ〜ね、ミツキ?」
「ん? うん。ていうか、あんた一人でこのバーに来たの?」
「あっ、そうなんです聞いてください! 今日仕事帰りで疲れてたんですけど、このマスターがどうしてもって言うから〜」
「はぁ? ちょっとマスター!」
*
*
*
「あっはは〜っ! 美咲ちゃん面白い〜」
ハナが笑いながら肩を抱いてきて、私も合わせてあははっと笑った。
結局、四人で長い時間話したけど、肝心の“ニンファー”については一切触れられなかった。
それでも収穫はあった。
ミツキとハナは町外の大学に通う20歳の学生、ユウは彼女たちと幼なじみで、22歳の社会人。
マスターとユウは友人で、この店はユウの協力でオープンしたという。
これだけでも、十分価値のある情報だ。
今日はユウが、マスターを紹介するために二人を呼んだらしい。
ニンファーの影響力が加われば、このバーも近いうちに繁盛していくだろう。
「――あ、もうこんな時間。美咲ちゃん、帰らなくていいの?」
ハナが店に立て掛けられている時計を見て、ふと我に返ったように言った。時計の針はすでに0時を回っていた。
「うん。明日は仕事も休みだし、一人暮らしだからまだ大丈夫」
「本当に? でもこの辺で女の子一人は絶対危ないからさ。帰るとき言って、ユウと送るから」
「ありがとう。でも大丈夫。タクシー呼ぶから」
そう言って、私は軽く笑いながらスマホを掲げた。
ハナは頷き、ユウとミツキの方へと向き直る。
その瞬間、何となく空気が変わった気がした。
「……そういえば、ユウ。あのことだけど」
ミツキが静かに口を開き、鋭い視線をユウに向ける。場の空気がわずかに冷たくなったような気がして、私はそのやり取りから視線を逸らしてマスターの方を見た。
ハナとマスターが何気ない話をしている横で、ユウとミツキは二人きりで何かを話している。声までは聞こえないが、その表情からして、ただの世間話ではないのは明らかだった。
……ニンファーの話?
耳をそばだてながらも、表情には出さないように気をつける。
だが、私がそちらに意識を向けていることに気づいたのか、ユウがふいにこちらを振り返った。
――しまった。
目が合った気がして、私は慌てて視線を逸らした。
だが、その反応が逆に怪しかったのか、ユウがゆっくりと私の方へ歩いてくる。
「ねぇ、美咲」
「う、うん? なに?」
「美咲ってさ、何かグループとかに入ってたりする?」
「……え?」
唐突な質問に心臓が跳ねる。
もしかして、探っていたことがバレた? いや、そんなことはしていない、はずだ。
「グループ? ううん、入ってないよ」
なるべく自然に答える。嘘ではない。私はどこにも所属していない。
「高校卒業してからフリーター? 一人暮らしなの?」
「うん。家出してこの街に来てから一人暮らし始めたんだよ」
ユウはその答えに短く頷くと、少し目を細めた。
「……じゃあさ。ニンファーってチームに、入らない?」
その一言に、思わず目を見開いた。
まさか自分の方から、その名を出してくるとは――予想外すぎて、声も出なかった。
「ニンファーに、入る……?」
「ニンファーってチームのこと、知ってる?」
「それは知ってるけど……え?」
――その瞬間、横から殺気のような気配を感じ、私は咄嗟に椅子から転がり落ちた。
「……っ!」
長い脚が、さっきまで私が座っていた場所を鋭く横切る。
ミツキだ――と気づいた瞬間、彼女の手刀が再び飛んでくる。
わけがわからないまま、それを間一髪で避け、相手が振り向くより早く、両膝に向けて蹴りを叩き込んだ。
「……っ」
ミツキの体がわずかによろめき、その隙に距離を取る。
無意識のうちに構えを取っていた私だったが、ふと周囲の視線に気づき、はっと我に返った。
「うそでしょ……」
ハナが目を見開き、驚愕の表情でこちらを見ている。
「ミツキの攻撃を……いなした……?」
しまった、と心の中で顔をしかめる。さっきのユウの言葉に動揺して、冷静な判断ができていなかった。
ただの女が、ニンファーの中でも最も喧嘩に長けたミツキの一撃を避けるなんて、本来あり得ないことだ。
ミツキも訝しげな視線をこちらに向けている。疑いの色が隠せない様子だった。
ユウはそんな空気の中、愉快そうに目を細めて言った。
「へぇ、細いのに意外と筋肉ついてると思ったら……美咲、もしかして喧嘩、強い?」
「えっ、あ、いえ……私、昔空手やってたから、その……咄嗟に反応しただけで……。ていうか、なに? 急に……!」
「ごめんごめん。でもやっぱり、君しかいないなって思ったんだよ」
ユウは何が何だかわからない私に、まるで確信を得たような笑みを向ける。
それを見て、ミツキが眉をひそめた。
「本気なの? 今日知り合ったばかりでしょ」
「本気。本当に偶然だけど、条件が全部揃ってるんだよ」
そう言って、ユウは指を折りながら続ける。
「ミオウは『頭の良い子』って言ってたけど、美咲の話し方見てれば十分条件クリアでしょ。アイリの『可愛い子』っていうのも、美咲なら文句ない。で、ミツキの『戦える子』って条件も、さっき証明された。ハナとは気も合いそうだし……ね?」
「……それは、まあ、そうだけど」
ミツキとハナが納得したように黙り込む。そして、二人の視線が私の体をまじまじと見つめる。私は慌てて手を振った。
「待って待って、ちょっと! 私、全然ついていけてないんだけど!」
「ごめんね、急に話が進んじゃって。さっき言った通りだよ。いまニンファーに新しいメンバーを入れようってなってて、君を見た瞬間『この子しかいない』って思ったんだ」
「……っていうのはさ、ユウが皆の条件満たす人探すの面倒だっただけじゃないの?」
「それもちょっとあるけどさ。実際、こんなピッタリな子が現れたんだからラッキーじゃん」
「ちょっと待って。みんな……ニンファーのメンバーなの? えっ、え……?」
「……あ、俺は違うけどね」
ユウが一歩引き、代わりにミツキとハナが前に出る。
「ごめんね。驚かせたよね。私たち、ニンファーってチームの一員なの。まー、不良グループみたいなもんかな。普段はみんなで集まって喋ったり遊んだりしてるだけ」
「これ、あたしたちがいつも集まってるクラブの場所。もし興味があったら、いつでも来てよ。あ、この話は……誰にも内緒ね」
そう言って、ミツキが名刺を差し出す。
――lotus flower――
受け取ったそれを見下ろすと、そこには美しい文字でそう書かれていた。
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