第11話『返信のないまま終わった会話を、まだ覚えてる』
「……え、あのさ、明日、文化祭……」
そう言いかけたとき、チャイムが鳴った。
ざわざわと生徒が席に戻る。
言葉の続きは、空気にかき消されていく。
彼女はこちらを見ないまま、友達の輪に吸い込まれていった。
佐原真人は、その場に置き去りになった。
あのときの声。
あの一言。
そして、返ってこなかった“続きを求める視線”。
中学二年、十月。
教室の午後の記憶。
それが、いまも心に棘のように刺さっている。
──返信のないまま、終わった会話。
ずっと、気にしていた。
でも、自分からもう一度話しかけることはできなかった。
何が正解だったのか分からず、
何が怖かったのかも分からず、
ただ、返ってこなかった言葉だけが、記憶の中で延々と“入力中”のまま残っていた。
*
今日は雨だった。
朝からずっと、静かな雨が、窓に模様を描き続けていた。
起きた瞬間、天井がやけに低く感じた。
雨の日は、世界が縮んでしまう。
そう思うようになったのは、いつからだったろう。
起き抜けにスマホを見る。
通知はない。
春乃からも、誰からも。
でも、昨日のやりとりはまだ残っている。
“送られなかった言葉”が、
“届かなかったメール”が、
確かに互いの存在を過去から引き戻してくれた夜だった。
それだけでいい。
そう思いたかった。
けれど──人間の記憶は、どうしても“続きを欲しがってしまう”。
たとえば、あのとき交わせなかった言葉。
あるいは、読み返すたびに浮かぶ“相手の反応”。
そのすべてが、永遠の未解決案件として、脳の片隅に保存されてしまう。
「おはよう」って送って、返事がなかった朝。
「ごめん」って謝って、既読スルーされた夜。
「またね」と言って、二度と来なかったメッセージ。
どれも、“終わってない”。
終わらせられないから、忘れられない。
*
午後、カーテンを少しだけ開けて、曇天を眺める。
灰色の雲の下を、ビニール傘を差した人々が歩いていく。
みんな、どこかへ向かっている。
自分だけが、部屋の中で立ち止まったままだ。
ふと、机の引き出しに手を伸ばす。
封筒。
中には、あの写真が入っている。
春乃の笑顔と、自分の横顔。
笑っているのは彼女だけ。
自分は、なにか言いかけて口を閉じたような、そんな表情をしている。
──このとき、なんて言おうとしてた?
思い出せない。
でも、その“続きを求める気持ち”だけは、はっきりと残っている。
*
夕方、春乃からメッセージが届いた。
> 「今日は、ずっと昔のDMを読んでた」
> 「5年とか6年前のやつ」
> 「“返信こないまま終わったやりとり”って、すごく残るね」
真人は、すぐに返信を打つ。
> 「わかる」
> 「たとえば“またね”で終わったままのチャットって、ずっと“今”が続いてる気がする」
> 「そのまま止まってるだけで、“終わった”わけじゃない」
春乃から、既読がついて、数秒後。
> 「でも、たまに“終わらせてくれなかった”って、しんどくなる」
> 「こっちが閉じられないまま、相手だけログアウトしてる感じ」
その言葉に、真人はしばらく指が動かなかった。
“ログアウト”──
それは、春乃がずっと怯えていたことだったのかもしれない。
返信がなかった過去。
閉じられなかった対話。
未読のまま、消えていった誰か。
そして、今こうして──
彼女は自分との会話を、“まだ終わらせずにいてくれる”。
それだけで、泣きたくなるほど救われている自分がいた。
真人は言葉を打つ。
> 「春乃」
> 「……俺さ、ずっと返信のないまま終わった会話を、まだ覚えてるんだ」
>
> 「声も、間も、空気も、ぜんぶ、
> 今でも“途中”のまま、胸の中でくすぶってる」
>
> 「でも、君が今、こうして“続きを話してくれる”ことが、
> 本当に嬉しいんだ」
既読がつく。
返事は、しばらくこなかった。
けれど──“閉じられた感”は、不思議となかった。
ただ、そこに“つながっている”という気配が残っていた。
*
夜。
スマホの通知が震えた。
> 「じゃあ、続きを話そう」
> 「あのとき、保健室で渡されたノート。
> あれを帰って読んだとき、君が書いた落書きがあった」
>
> 「“人生のラスボスって、孤独だよな”って」
真人は、目を見開いた。
たしかに──書いた気がする。
授業中、退屈しのぎにノートの隅に書いた文。
誰にも見せるつもりなんてなかった。
それが、春乃の手に渡っていたなんて──
> 「その一言に、救われたんだ」
> 「ああ、私だけじゃないんだって」
>
> 「だから、今もちゃんと伝えたい」
>
> 「あの時の続き、今ここで話してるよ。
> ……君となら、“ボス戦”だってちょっと怖くない」
──返信のないまま終わった会話。
それが、いま。
ようやく、続きを手に入れようとしていた。
そして真人は、笑った。
あの頃は、ただ“誰かに聞いてほしかった”だけだった。
孤独だよなって。
つらいよなって。
でも、それを言うのが、あまりにもダサくて。
だからノートの隅にこっそり書いた。
だけど、いま──その言葉が、十年以上を超えて、ちゃんと“返事”をもらった。
会話って、こんなふうに生き残るんだ。
そして、“遅れてでも届く返事”があるのだと知った。
今日、また一つの未完が、完結に近づいた。
(つづく)
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