第11話『返信のないまま終わった会話を、まだ覚えてる』

 「……え、あのさ、明日、文化祭……」


 そう言いかけたとき、チャイムが鳴った。

 ざわざわと生徒が席に戻る。

 言葉の続きは、空気にかき消されていく。


 彼女はこちらを見ないまま、友達の輪に吸い込まれていった。


 


 佐原真人は、その場に置き去りになった。


 あのときの声。

 あの一言。

 そして、返ってこなかった“続きを求める視線”。


 中学二年、十月。

 教室の午後の記憶。

 それが、いまも心に棘のように刺さっている。


 


 ──返信のないまま、終わった会話。


 


 ずっと、気にしていた。


 でも、自分からもう一度話しかけることはできなかった。

 何が正解だったのか分からず、

 何が怖かったのかも分からず、

 ただ、返ってこなかった言葉だけが、記憶の中で延々と“入力中”のまま残っていた。


 



 


 今日は雨だった。

 朝からずっと、静かな雨が、窓に模様を描き続けていた。


 起きた瞬間、天井がやけに低く感じた。

 雨の日は、世界が縮んでしまう。


 そう思うようになったのは、いつからだったろう。


 


 起き抜けにスマホを見る。

 通知はない。

 春乃からも、誰からも。


 でも、昨日のやりとりはまだ残っている。


 “送られなかった言葉”が、

 “届かなかったメール”が、

 確かに互いの存在を過去から引き戻してくれた夜だった。


 


 それだけでいい。

 そう思いたかった。

 けれど──人間の記憶は、どうしても“続きを欲しがってしまう”。


 


 たとえば、あのとき交わせなかった言葉。

 あるいは、読み返すたびに浮かぶ“相手の反応”。


 そのすべてが、永遠の未解決案件として、脳の片隅に保存されてしまう。


 


 「おはよう」って送って、返事がなかった朝。

 「ごめん」って謝って、既読スルーされた夜。

 「またね」と言って、二度と来なかったメッセージ。


 どれも、“終わってない”。


 終わらせられないから、忘れられない。


 



 


 午後、カーテンを少しだけ開けて、曇天を眺める。

 灰色の雲の下を、ビニール傘を差した人々が歩いていく。


 みんな、どこかへ向かっている。


 自分だけが、部屋の中で立ち止まったままだ。


 


 ふと、机の引き出しに手を伸ばす。


 封筒。

 中には、あの写真が入っている。


 春乃の笑顔と、自分の横顔。

 笑っているのは彼女だけ。

 自分は、なにか言いかけて口を閉じたような、そんな表情をしている。


 


 ──このとき、なんて言おうとしてた?


 


 思い出せない。

 でも、その“続きを求める気持ち”だけは、はっきりと残っている。


 



 


 夕方、春乃からメッセージが届いた。


 


 > 「今日は、ずっと昔のDMを読んでた」

 > 「5年とか6年前のやつ」

 > 「“返信こないまま終わったやりとり”って、すごく残るね」


 


 真人は、すぐに返信を打つ。


 


 > 「わかる」

 > 「たとえば“またね”で終わったままのチャットって、ずっと“今”が続いてる気がする」

 > 「そのまま止まってるだけで、“終わった”わけじゃない」


 


 春乃から、既読がついて、数秒後。


 


 > 「でも、たまに“終わらせてくれなかった”って、しんどくなる」

 > 「こっちが閉じられないまま、相手だけログアウトしてる感じ」


 


 その言葉に、真人はしばらく指が動かなかった。


 “ログアウト”──

 それは、春乃がずっと怯えていたことだったのかもしれない。


 返信がなかった過去。

 閉じられなかった対話。

 未読のまま、消えていった誰か。


 


 そして、今こうして──

 彼女は自分との会話を、“まだ終わらせずにいてくれる”。


 


 それだけで、泣きたくなるほど救われている自分がいた。


 


 真人は言葉を打つ。


 


 > 「春乃」

 > 「……俺さ、ずっと返信のないまま終わった会話を、まだ覚えてるんだ」

 >

 > 「声も、間も、空気も、ぜんぶ、

 >  今でも“途中”のまま、胸の中でくすぶってる」

 >

 > 「でも、君が今、こうして“続きを話してくれる”ことが、

 >  本当に嬉しいんだ」


 


 既読がつく。


 返事は、しばらくこなかった。


 けれど──“閉じられた感”は、不思議となかった。


 ただ、そこに“つながっている”という気配が残っていた。


 



 


 夜。

 スマホの通知が震えた。


 


 > 「じゃあ、続きを話そう」

 > 「あのとき、保健室で渡されたノート。

 >  あれを帰って読んだとき、君が書いた落書きがあった」

 >

 > 「“人生のラスボスって、孤独だよな”って」


 


 真人は、目を見開いた。


 


 たしかに──書いた気がする。


 授業中、退屈しのぎにノートの隅に書いた文。


 誰にも見せるつもりなんてなかった。

 それが、春乃の手に渡っていたなんて──


 


 > 「その一言に、救われたんだ」

 > 「ああ、私だけじゃないんだって」

 >

 > 「だから、今もちゃんと伝えたい」

 >

 > 「あの時の続き、今ここで話してるよ。

 >  ……君となら、“ボス戦”だってちょっと怖くない」


 


 ──返信のないまま終わった会話。


 それが、いま。

 ようやく、続きを手に入れようとしていた。


 


 そして真人は、笑った。


 


 あの頃は、ただ“誰かに聞いてほしかった”だけだった。


 孤独だよなって。

 つらいよなって。

 でも、それを言うのが、あまりにもダサくて。

 だからノートの隅にこっそり書いた。


 


 だけど、いま──その言葉が、十年以上を超えて、ちゃんと“返事”をもらった。


 


 会話って、こんなふうに生き残るんだ。


 そして、“遅れてでも届く返事”があるのだと知った。


 


 今日、また一つの未完が、完結に近づいた。


(つづく)

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