十字架

里蔵 光

真一郎

 ようやく追い詰めた。後一息だ。

 真一郎は一旦立ち止まり、深呼吸をした。ここまで長かった。たった一人で漸く此処こゝ辿たどり着いたのだ。無線機のイヤホンがザザと音を立てる。くぐもった声が真一郎を呼んでいる。

 えり元のマイクに心し口を近づけて、「スナック『コスモス』です。坂上を追い詰めました」と答える。

 「突入するなよ。応援の到着を待て」

 「了解」

 そう答えた次の瞬間、裏手で派手な物音がした。

 「裏から逃げられたかも知れません! 追います!」

 無線機が何か云ったが聞こえなかった。真一郎がスナックの裏手に回ると、Tシャツに短パンで見るからに粗野な男――坂上が、色々な物を蹴飛けとばしながら走り去って行くところだった。

 「待て坂上!」

 真一郎が追う。スナックの勝手口から、ママが心配そうに顔を出していた。ちらりと中を覗いたところ、あかいものが見えた。

 「スナックに怪我人がいます! 対応願います!」

 マイクに怒鳴りながら、坂上を追う。

 「シン! 追うな!」

 無線機が叫んでいるが、真一郎には届かない。一心不乱に坂上を追っている。追い詰めたと思ったのに全然詰めが甘かった。裏手は押さえていたはずだった。ドアが開かない様にバリケードを作っていたのに、簡単に突破されていた。坂上を見くびっていたのだ。

 「くそ!」

 結局見失って仕舞しまった。仕方なくスナックへ戻ると、相棒の澤田が到着していた。

 「シンさん、無茶はしないでくださいよ」

 「怪我人は」

 「かすり傷ですよ。心配ありません」

 「そうか」

 何本もの割れたボトルが転がっているカウンターの奥で、うずくまっているママに声を掛ける。

 「坂上の行きそうなところ、知りませんか」

 「コウちゃんは悪くないよ」

 「洋子さん、あなた怪我させられたんでしょう」

 「これは自分でやったの。ドジなのよね」

 洋子ママと坂上は古い付き合いだ。坂上康太が中学生の頃から、このスナックに出入りしていたと聞く。当初は洋子が母親かと思ったが、そう云う訳でもないらしい。

 「自分で付ける傷ではない様ですがね。――坂上は可成かなり危険な状態です。このまゝ放っておいたら、命を落とすかも知れません」

 洋子はみるみる蒼褪あおざめて、「コウちゃんを助けて! お願い、助けてあげて! あの子は悪くないんだよ!」と、真一郎にすがり付いた。

 「何処どこに行ったかわかりますか」

 「……わからない」

 「洋子さん!」

 無線機が鳴った。別の班が坂上を発見したらしい。

 「すぐ行きます!」

 洋子を澤田に任せて、真一郎はスナックを飛び出した。

 坂上の罪状は今の所、詐欺、傷害、器物損壊と云ったところだ。未だ一線は越えていない。然し久万くま組からヒットマンが放たれているとも聞く。ヤツが一線を越えなくても取り返しの付かないことになる可能性はあるし、ヤツがヒットマンを返り討ちにして仕舞うことだってない訳ではない。むしろ今はそっちの危険性の方が高いのではないか。

 そんな思いにき立てられながら、真一郎は街外れの商業ビルの、解体現場へと駆け付けた。こんなところで一体何をする心算つもりだ。足許あしもと瓦礫がれきだらけだし、上からも横からも鉄骨やら何かの電線やらが無節操に飛び出していて、危ないことこの上ない。迂闊うかつに動き回れば傷だらけになりそうだ。

 「むしろ好都合なのか」

 真一郎が手をかざすと、障害物がざあっと退いて道が出来た。これは真一郎の特殊能力、念動力の為せる業だ。当然のことながら真一郎のこの能力を当てにして、彼はこの事案に配置されている。何しろ相手も同様の能力者なのだ。

 ひらいたみちを進んで行くと、その背後は再び瓦礫に埋め尽くされていく。坂上が此処に居るのであれば、必ず何かしらの痕跡を残している筈だ。どんな小さなものも見逃すまいと、目を皿の様にして辺りを観察しながら進む。真一郎の様な能力者が進んだ後は、瓦礫が不自然に溜まっていたり偏っていたりする。そうした痕跡は真一郎だからこそ見分けがつく。如何どうも坂上は、崩れ掛けた廃屋の上階へ上がって行った様だ。上を見上げて、自分の体を念動力で持ち上げると、真一郎の体は垂直にすっと上昇した。

 三階部分の鉄骨の上に足を置いた時、何処かで銃声の様な音が鳴り響いた。真一郎が身構えると、ぐ近くで物音がした。その方に気をつかいながら、そっと音を立てない様に移動していると、大きめのコンクリートの塊が突然真一郎に向かって飛んで来た。咄嗟とっさかわすと同時に、その塊を念動力で受け止める。塊は空中で停止し、寛悠ゆっくりと自転している。

 「坂上!」

 真一郎が叫ぶと、また銃声が聞こえた。ヒットマンが来ているのかも知れない。そう思った瞬間、隙が生じた。停止していたコンクリートの塊は、真一郎の制御下から抜け出して明後日の方向に飛んで行き、そちらから悲鳴が聞こえて来た。

 「しまった!」

 駆け付けると、ライフルを構えた男がコンクリート塊の下敷きになっていた。しゃがみ込んで息を確かめると、未だ微かに反応がある。下にパトカーが停まっているのを確かめると、瓦礫をどかし、その男とライフルをパトカーのそば迄念動力で運んでやった。

 「シン! 居るのか!」

 下から係長の声が聞こえた。

 「坂上は任せてください!」

 「無茶をするな! シン!」

 制止を無視して真一郎は坂上を探しに廃屋の中へと戻って行く。坂上は瓦礫の山の上で、仁王立ちして周囲を見下ろしていた。

 「殺してった、殺して遣ったぜ!」

 坂上は興奮している。手近な瓦礫を小さく砕いて、自分の周りに衛星の様にまとっている。

 「死んでねぇよ、虫の息だったがな。俺が助けて確保して遣ったよ」

 「はぁん?」

 坂上は真一郎をジロリと睨んだ。

 「今なら未だ、罪状は軽い。今すぐ投降しろ!」

 「俺が? この世界の頂点に立てるのに? 投降するとか? 意味不明だわ!」

 ざあっと音を立てゝ、無数の石つぶてが真一郎目掛けて降り注ぐ。

 「止めろ!」

 右手を払う様にして、石礫を跳ね除ける。しかし間髪入れずに次の一団が飛来する。

 「坂上! 抵抗するな! これ以上罪を重ねるな! お前の能力ちからはそんな事の為にあるんじゃない!」

 場所を変え、攻撃を防ぎながら、真一郎は説得を続ける。

 「うるせえ黙れ! 俺の能力は俺が好きに使う!」

 「洋子さんのことも考えろ!」

 「黙れぇえっ!」

 坂上にわずかに隙が生じた。然し真一郎はそれに十分対応出来なかった。跳ね返した石礫の幾つかが、坂上の防御の隙を突いて届いて仕舞った。どす、どす、と不愉快な音がして、坂上の体がぐらりと揺れる。舞っていた石礫が一斉に床に降り注いだ。

 「坂上!」

 石塊いしくれの雨をくぐりながら、真一郎は坂上に駆け寄った。

 「お……まえ……警察か……」

 「公安の神田真一郎だ! 坂上! しっかりしろ!」

 胸に、腹に、大きな穴が空いている。とても助かるものではない。無線機に向かって救護の要請をするが、果たして此処迄登って来れるものだろうか。

 「くそう、何か、担架になるもの!」

 真一郎は辺りを見渡すが、ゴロゴロとした石塊ぐらいしか見当たらない。

 「おまえ……」

 坂上が真一郎の腕を掴んだ。

 「なんだ! 云いたいことがあるのか!」

 「健介を……たの……む……」

 ぎょろぎょろした目で必死に真一郎を見詰めてくる。

 「坂上! 確りしろ! けんすけって誰だ!」

 「……た……の……」

 眼の光がすうっと消えて、掴んでいた腕がだらりと下がる。

 「坂上ぃ!」

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