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雨は静かに、まるで気を使うかのように落ちていた。かつて緑にあふれていた森は、今や静寂に包まれ、灰と廃墟だけが原野に残る。木々は炭化した骸骨のように立ち、地面は炎と血によって黒く染まり、まるで泣きながらその色を濡らしていた。

そんな悲しげな風景の中央に、カエルスの体が倒れていた。

血にまみれ、煙で汚れた顔。動かない彼の身体は、しかしまだ命を宿していた。胸はかすかに上下し、呼吸は苦しそうだ。戦いによって傷ついたその身は、いまもなお耐えている。だが、その鼓動はいつまで続けられるだろうか。

片目だけが、雨と疲れで濁りながらもゆっくりと開く。唇は震えているが、その口から言葉は出てこない。何一つ声にはならない。ただ、意志だけが静かにそこにある。

そして、その静寂の中に、記憶が蘇る――

「ママ、ママ！　大きくなったら、世界一の剣士になるんだ！」

小さなカエルスの声は澄んでいて、夢と希望に満ちていた。木製の剣を両手に、家の中を駆け回る姿が目に浮かぶ。だが、その純粋な瞳は、いつも母に打ち消されていた。

「そんな馬鹿なことはやめなさい」母の声はいつも疲れていて厳しかった。「お兄ちゃんを見てごらん。しっかり勉強しなさい。実になることをしなさい。剣士なんて、あなたには向いてないの。」

カエルスは小さくうなずいて、曖昧な笑みを浮かべた。しかし、ひとりになったとたん、布団の中でそっと涙をぽろりとこぼす。

どうして僕はお兄ちゃんみたいに生まれなかったんだろう。どうして僕はこんなにダメなんだろう。どうして誰もが“力”を持っていて、僕だけ何もないんだろう。

そんな問いが、毎日彼を苦しめた。

それでも、彼を立たせ続けたのは、ただ一人――

「おばあちゃん、見て見て！　今日、的を三回当てたんだよ！」

その時の彼の声は、自信に満ちていた。心の中の小さな光る炎のように。

おばあちゃんの微笑みは、全てを肯定してくれるようだった。「すごいわ、小さなカエルス。毎日どんどん上手くなってる。絶対に諦めちゃダメよ。」

その励ましだけが、カエルスの心を燃え上がらせた。

それなのに、現実の世界は冷たかった。少し外へ出るだけで、また彼は傷つけられる。

「見ろよ、カエルスだぜ。剣士気取りのガキだよ」

「あはは、変なやつだな。ほんと弱いんだよ、あいつ。」

その嘲笑は、どんな刃よりも深く彼の心に突き刺さった。でも、彼は剣を手放さなかった――その笑顔のために。

その後、悲劇の日が訪れた。

空は赤く染まり、叫び声が大気を引き裂いた。家々を飲み込む炎。村が一瞬にして侵略され、混乱と恐怖に包まれた。

カエルス は飛び起きた。焦げた煙の匂い、肌を焼くような熱、そして火竜の咆哮――すべてが現実とは思えなかった。

家の外へ踏み出した瞬間、彼の体は凍りついた。

母は包丁を振りかざし、父は素手で敵に立ち向かい、兄はぎこちなく槍を構えていた。そして、遠くに非動なの祖母の姿――その無力さが一層の絶望を与えた。

「ママ！パパ！お兄ちゃん！おばあちゃん！」

彼の叫びは、戦渦に消えた。

兄は振り返り、すすと血にまみれた顔で叫んだ。

「カエルス！逃げて！生きて、僕たちのために！」

しかし次の瞬間、彼の胸を真っすぐに貫く一撃が走った。

兄は倒れ、唇には静かな笑みが残されていた。

カエルスは恐怖で後ずさり、その場に倒れ込んだ。心は混乱し、思考は凍りついた。すると、優しい声が風の中から聞こえた。

「カエルス…私のかわいい孫…本当にありがとう。あなたと過ごせた時間が幸せだった…愛しているよ…」

その声が消えるか消えないかのうちに、

――鋭い刃が突き刺さる音。

そして――水が流れるような音。

静寂。

カエルスは目を見開いた。胸が締め付けられ、胃が締まる感覚が走った。「おばあちゃん…？」

彼が見上げると、そこに横たわっていたのは――夢と思いたいほどリアルな残虐な光景だった。

破壊の影に、彼の家族が倒れていた。動くことのない身体。息のない顔。

血がゆっくりと彼の足元へと流れ、地面に濃密な赤の絨毯を作っていた。まるで彼を追いかけるかのように。

「おばあちゃん！ママ！パパ！お兄ちゃん！！」

彼の声は震え、叫びに変わった。恐怖ではなく――怒りだった。

涙が頰を伝い、熱い刃のように彼を傷つける。

「みんな…僕を守ってくれたんだ…」震える手が、剣の柄を握り締めた。

「僕は…彼らの死を…無駄にはしない！！」

叫びとともに、カエルスは剣を掲げた。身体から紫のオーラがほとばしり、風を切り、地面を震わせた。

「僕が…村を、救ってみせる！！」剣を地に突き立てた。

そして――天からの嵐が降り注ぐように。

無数の鋭い光刃が上から降り注ぎ、一閃ごとに、まるで神の裁きのごとく、敵兵士を打ち砕いた。身体は断裂し、無力に倒れていった。

火竜たちが炎を吹きかけ反撃に出るも――すでに遅かった。

刃は次々と増え、速度を増し、凄まじい連続攻撃が展開された。カエルスの怒りは力に変わり、絶望は凶器となった。

息を荒げ、瞳に涙を湛えながら、カエルスは再び剣を振り上げた。

そして突きを放った。

小さくとも、疲弊した身体にもかかわらず、その剣は全ての火竜を正確に打ち砕いた。一体、また一体と倒れ――悪夢は終わりを迎えた。

次の瞬間――雨が降り始めた。静かに、突然に。まるで天のいたわりと思えるように。

血を洗い流し、炎を消し去る優しい雨。そして――その静寂の中、ただ一人。

カエルスが立っていた。

瓦礫と墨のにおい、死の残響の中で。

跪き、力尽きるように。そして泣いた。

抱きしめられなかった温もりに、 交わせなかっ 言葉に、 再び会えない笑顔に。

雨と涙が混ざり合う。世界一の剣士になりたかった少年が――強くも、孤独な、戦士となった。瓦礫の中心で――。

村に入った騎士たちの馬蹄が、黒く焦げた大地に鈍く響いた。遠くに立ち上る濃い煙が生々しく見える。だが、騎士たちが踏み込んだその先には凄惨な現実が広がっていた。かつて彼らが知っていた村はすでになく、瓦礫の山と化している。家も笑い声も消え去り、残るのは燃え尽きた廃墟と、無秩序に転がる住人たちの亡骸だけだった。村は完全に、跡形もなく消えていた。

その無惨な風景の中に、ただ一人の年少の人物が座っていた――カエルスだ。岩に寄りかかるように腰を下ろし、身体はぐったりと曲がり、視線は虚ろに地面を見つめていた。涙は流れず、ただ淡い静寂が彼を包み込んでいた。その姿は、まるでこの世界にすら属していないかのようだった。

一人の騎士が彼に近づき、そっとひざまずいた。その声は優しくもあったが、胸に深い悲しみを宿していた。

「君が、この村に残されたたった一人なのか？」

カエルスス は黙ったままだった。

騎士は語りかける。「さあ、勇気を出そう。起き上がってほしい。今起きた現実は、忘れるべきものだ。どうか…」

しかし彼の言葉は届かなかった。少年は微動だにせず、言葉にはもう意味を感じられないようだった。

「頼むよ。気丈に振る舞ってくれ。…王国に来てみないか？」

それでもカエルスは無言のまま、まるで心そのものが遠くへ消えたかのようだった。

騎士は折れずにうなずいた。合図をするように手を上げると、他の騎士たちがそっと近づき、彼の手をそっと取り、立ち上がらせた。一人の騎士が耳元で囁く。

「一緒に来よう。新しい家族のもとに連れて行くよ。」

カエルスは抵抗しなかった。足取りは重く、まるで山を担ぐように感じられた。けれども、騎士たちに導かれるまま歩き出す。その姿は、風に吹かれる一片の朽ち葉のようだった。もはや彼を生かすものは何一つなかった。

王国へと連行され、騎士は待っていた男女のもとを示す。

「この二人が、君の“これからの両親”だ。さあ、近くで会おう。」

カエルスは初めて顔を上げたが、焦点は定まらず、ただ影だけを見つめている。それでも、言葉はなくとも小さく歩み寄っていった。

女性はひざまずき、腕を広げて迎え入れた。カエルスがその温かな抱擁に包まれると、長い間眠っていた心がわずかに震えた。彼の胸に、かすかな鼓動が戻ったのだ。

やがて、男性もそっとカエルスを包み込んだ。その瞬間、彼は初めて感じた。もう誰もひとりじゃないと。温かい家庭が、ここにはあるのだと。カエルスの瞳には涙が滲むが、それは悲しみではない。安心の涙だった。

その後の数ヶ月――カエルスは少しずつ変わっていった。かつて失われた笑顔は徐々に戻り、彼を受け止めた家族と一緒に、小さな幸せを重ねていった。遊び、稽古をし、食卓を囲む。新たな情景の中で、かつての幸せも思い出として蘇り、彼を再び笑顔にした。

すべてを失った少年――カエルス・エイルサー。その心には、確かな光が灯ったのだった。