第2話:何も持たない部屋、持たない心


働くことも、学ぶことも、もう”義務”ではなくなった近未来。


この国では、何年も前から、ベーシックインカムが当たり前になっている。

生きるために、あくせくする必要は、もはやない。


だからこそ、今日もまた、

静かすぎる一日が、何の重みもなく流れていく。




 カーテンの隙間から、昼の白い光が差し込んでいた。


 そのまぶしさに、ソラは顔をしかめる。


 ゆっくりと目を開け、ぼんやりとした意識のまま、天井を見つめた。


 時計を見る気にもなれず、時間の感覚はすでに曖昧だった。



 部屋の隅には、小さな冷蔵庫と、安っぽいテーブル。


 壁の一面にはディスプレイが埋め込まれていた。


 どれも最低限の”生活品”。

 けれど、どれひとつとして、この部屋に温度は与えてくれない。


 昨日脱ぎっぱなしにした服。

 寝ぐせのついた自分自身だけが、ここに”誰か”がいた痕跡だった。



 窓辺の観葉植物は、いつの間にか枯れていた。

 水をあげたのは......いつだったろう。


 窓の向こう、細い枝にとまった小鳥が一羽。

 昼の静けさを震わせるように、かすかなさえずりが響く。


 その声だけが、この部屋に”生”の気配を運んできた。



 ソラは枕元のスマホを手に取り、時間を確認する。


(......講義、か)


 そのままスマホで壁のディスプレイを起動し、

 大学のオンライン講義のチャンネルにログインした。



 画面の右側には、ずらりと並ぶ受講者の名前。

 どれもカメラはオフ。

 無機質な人型アイコンが、そこにただ、在るだけだった。


 ソラの名前も、その中のひとつ。



 音はなく、誰の声も、しない。


 出席確認のために押す「出席」ボタン。

 指先でタップして、それで義務は果たされる。


 ふいに、画面に講師が現れる。


 AI講師。


 柔らかく流れるような口調。

 軽やかにユーモアを交え、講義を進める。

 どこを切り取っても、お手本のような"講義"だった。



 ベッドの端に腰を下ろす。

 無表情で、ただディスプレイを見つめる。


 小さく息を吐いた。

 指先が、タブレットの端を何度もなぞる。


 AI講師の声だけが流れる、静かな時間。



 講義が終わると、ふっとため息がこぼれた。



 冷蔵庫を開ける。

 チューブタイプのゼリー飲料を一本。


 そのまま封を切り、口にくわえる。


 テーブルに戻りながら、スマホの画面を覗く。


 通知は、ひとつもなかった。



 胸の奥が、ほんの少しだけ痛くなる。



 (......そろそろ、あっちに帰りたい)



 スクロールしていく指先が、あるメッセージに止まる。


 数ヶ月前のSMS。



 ――「ココロヴィレッジ」


 やさしい言葉が並ぶメッセージ。


 『AIが住む小さな村で、あなたのココロをそっと癒しませんか?』

 「癒し」「コミュニティ」「安心」......


 開発・運営:Solaria Systems Inc.


 “あの癒しゲー”で知られるソラリアからの案内だった。



 最初は、よくある宣伝だと思った。


 でも――

 あの日だけは、なぜか全文を最後まで読んでしまった。


 そして、”試しにログインしてみた”。


 それが今では、日常の一部になっている。



 スマホが震える。


 アラームの通知。

 スケジュールに表示されたのは――


 「アルバイト」



 ソラは立ち上がり、シャワーを浴び、身支度を整える。


 無言のまま玄関を出て、駅までの道を歩いた。


 電車に乗り込む。


 車内は静かだった。


 話し声もなく、ただ靴音と、イヤホンから漏れる微かな音楽だけが、かろうじて”現実”を感じさせる。



 今日のバイト先は、郊外にある無人工場だった。


 人のいない、AIとロボットだけの工場。


 ソラの仕事は、その中を巡回し、端末に『異常なし』と入力していくだけ。



 淡々と、決められたルートを歩く。


 歩きながら、考える。



 ――ベーシックインカムがあれば、生きていくだけなら困らない


 ――学費だって、国が出してくれる


 ――ぶっちゃけ、バイトなんて必要ない



 欲しいものがあるわけじゃない。

 誰かに褒められたいわけでもない。


 ただ、なんとなく。


 部屋に閉じこもっていたら、きっと息が詰まってしまうから。


 「働く理由」なんて―――特に、ない。



 無機質な通路を歩く。


 規則正しく響く、機械の音。


 ふと、なにかをつぶやきかけて、やめた。


 返す相手なんて、どこにもいない。



 言葉を発することもなく、バイトの時間は過ぎていった。



 帰り道。

 無人のコンビニに立ち寄る。


 店内に、ヒトの姿はなかった。


 流れていたのは、AIアーティストが歌う人気のバラード。


 本物のように胸に響く声。


 この空間では、なぜか余計に虚しく感じる。



 棚からパック入りの弁当をひとつ選ぶ。

 セルフレジで会計を済ませる。


 「ありがとうございました」


 自動音声が見送った。



 弁当の入った袋を手に、家へ向かう。


 冷たい夜風が、頬をかすめる。


 そのビニール袋の軽さが、自分の今の”現実”みたいに思えた。



 ふと足を止めた。

 そして、夜空を見上げる。


 星は、ひとつも見えなかった。


 「......帰ろう」


 誰に向けたものでもない、その言葉は、夜の空にすっと消えていく。



 足取りが、さっきよりわずかに速くなった。




――[COCORO LOG]

――ココロトーン:D(孤独値 74↑/交流密度 11↓/ストレス 53...)


――Intervention threshold detected.

 (介入条件を検出)


――Creating new CocoroUnit instance...

 (ココロユニット・インスタンス生成中)


――CocoroUnit deployment ready.

 (ココロユニット投入準備完了)

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