2杯目『ジン・トニック』

 その日、『Etoileエトワール』には二人の女性客が連れ立って来店した。


 一人は屈強な女戦士であるマネア。もう一人はエルフの弓使いレティリカである。二人はコンビを組んでいてなかなかに名の通った冒険者であった。


 そんな二人だが、席に座ってからというもの互いに口を利かない。どうやら喧嘩をしているわけではなさそうだ。マネアは終始困ったような顔をしており、レティリカは今にも泣きそうな悲しげな表情をしていたのだ。


「いらっしゃいませ……どうかなされましたか?」


 店主であるバーテンダーが見るに見かねて声を掛ける。普段は仲の良い二人が一言もしゃべらないのはさすがに気にもなる。


「いやー……マスターごめんね、辛気臭くて。実はちょっと困ったことになって……」


 ちらりとレティリカの方を見た後、困り顔ながら快活にマネアは語り始めた。


「どうもレティリカがさ……。故郷の森が恋しくなっちゃったみたいなんだよね。この前、遠出した先の森でさ、珍しい事に家族で冒険者やってるエルフに出会ってさ。それで故郷の家族のこと思い出しちゃったみたいで……」


 なるほど、ホームシックに罹っているのだ。故郷の家族の事をふとしたことで思い出し、心配になるのも当然のことであろう。長く帰っていないなら尚更の事である。


 しかし、エルフの寿命は数千年と長命種である。人間たちに紛れて過ごすのも何十年という単位ではないはずだ。故郷にも同じくらい帰っていないはずである。はたしてそれは何年なのか……。下手をすれば何百年という単位なのかもしれない。


「あたしらはさ、故郷に帰ってないなんて精々十数年程度のことじゃない? それが何百年って期間なんてちょっと理解が及ばないよね……。やっぱり人間とエルフの時間間隔はちょっと違うよね……」


 一瞬、悲し気な表情をマネアは浮かべたが、すぐにまた快活な笑顔を取り戻した。


「それにしても、何年かに一度こうなっちゃうんだよね。レティリカは寂しがりやでさ。故郷の森も遠くてさ、海の向こうのさらに向こうって言うから帰るだけでも何年がかりになるやら……。レティリカはいいかもしれないけど、あたしら普通の人間には……ねぇ?」

「それはお困りですね……」


 バーテンダーも顎に手をやり、何事か解決策がないかを思案し始める。


「まあ、うじうじ悩んでてもしかたないよね。お酒を飲んでぱーっと気分転換しよう! レティリカは何飲む?」


 それまで、俯いて話を聞いていたレティリカが、涙をいっぱいにため込んでいた顔を上げてか細く声をあげた。


「森……」

「えっ? なんだって?」

「……っ、森が感じられるお酒!」


 急に叫びだしたレティリカにマネアは驚いた。


「も、森? そんなお酒あるわけないでしょ! わがままもいい加減に……」

「ありますよ。森を感じられるカクテル」


 バーテンダーの言葉に今度は、マネアはおろかレティリカも目を開き驚いた。


「あるんですか? 森を……故郷の森を感じられるお酒!」

「ええ、ございます。少し変わったお酒を使用しますがお試しになりますか?」

「ぜひ! お願いします!」


 今までの意気消沈していた表情が嘘のように期待の眼差しをレティリカは向けた。


「マネアさんはいかがなさいますか?」

「あたしも同じのでいいよ。本当に森が感じられるお酒作れるのマスター?」


 訝しむマネアにバーテンダーはにこりと微笑むと、棚から一本の酒瓶と冷蔵庫から瓶を一つ取り出した。


 大きめのグラスタンブラー・グラスが二つ用意されると、中に透明でキレイな氷が詰められる。そこに適量に量られた酒が注がれ、長細いスプーンバー・スプーンが差し込まれる。シャカシャカと軽くかき混ぜステアされ、その上から二本目の瓶の中身が注がれる。そして、最後に緑色の皮の柑橘系の果物ライムが縁に添えられ完成。


「お待たせ致しました。『ジン・トニック』でございます。本日はジンに、フォレスト・ジンを使用しております。是非、その風味をお楽しみください」


 目の前に出されたのは無色透明の酒。緑の皮の果物ライムがアクセントにはなっているが至って作り方も見た目もシンプルなものだ。


 レティリカは差し出されたそれを期待と不安を胸に口をつけた。


「!!!!!!!!」


 一口含んだ瞬間、彼女の胸の奥が震えた。


 確かにそれは森だった。幼い頃、母親と歩いた森の小径。朝露に濡れた葉の匂い。木々の合間から覗かせる木漏れ日。その記憶が鮮明に思い出された。


 まるで深い新緑の中にいるような青々しい香りと風味。その香りが鼻先へと抜け、フレッシュ感をさらにかき立てる。味もまさに森。甘みも強く感じるが、それでも主張するのが酸味。すっきりとした後味をかもし出すこの酸味は華やかで、添えられた果実の苦味も相まってとてもスパイシーに感じる。まさしく色々な果実や草木の生えている森そのものの味だった。


 エルフにとって森とは故郷以上の意味合いを持つ。何年もの間、森と生き、森と成長し、森と共に死ぬ。森とはエルフの生そのものであり、それは生きた証でもあるのだ。


 見るとレティリカはその目からボロボロと大きめの涙を流していた。


「……森。ああ、故郷の森が見える! あの、朝露と霧に覆われた緑溢れる香り、果実と草木の青々しい風味。あの森が……故郷が感じ……られ……る」


 もう最後の方は涙でぐしゃぐしゃの顔をしていた。それに気付いたマネアは慌てて拭くモノを探すが、それよりバーテンダーが先に温かなおしぼりを差し出した。


「こちらどうぞお使いください」

「あり……ありがどう……ぐず……」


 鼻水まで垂れてきたレティリカは、エルフらしい端正な美しい顔をぐしゃぐしゃにしながらおしぼりで顔を拭く。それを見ていたマネアの目にも薄っすらと涙が浮かんでいた。


 それ以降、レティリカは故郷が恋しくなるとフォレスト・ジンを使った『ジン・トニック』を注文するようになったそうだ。




 酒は時に郷愁を思い出させる。それはただの懐古ではなく、明日を生きる力にもなるのです。故郷を振り返り飲む酒もまた格別なものなのかもしれませんね。



 ここは異世界のバー『Etoileエトワール』。またのご来店をお待ち致しております。



    ◇



『ジン・トニック』

ドライ・ジン 45ml

トニック・ウォーター 適量

カット・ライム 1/6個


タンブラー・グラスに氷を入れ、ドライ・ジンを入れ軽くステア

冷えたトニック・ウォーターでフルアップ

最後にカット・ライムを飾る

ライムの代わりにレモンを飾ることもある


ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋



・あとがき

郷愁を感じることは誰にでもあるもの。

そこには国籍も人種も関係がありません。

今回は珍しいジン、フォレスト・ジンを使用しました。

スギやヒノキ、ナラなどの間伐材を使用して作られているそうです。

一口飲むと本当に森の風味が口いっぱいに広がる香味豊かなお酒になっております。

ぜひ一度ご賞味ください。

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