異世界でカクテルはいかがですか?

ぴすぴす

1杯目『マティーニ』

 アレリオは疲労困憊になりながら街を彷徨っていた。


 アレリオは駆け出しの冒険者だ。この日も依頼をこなそうと、冒険者ギルドに勇んで行ってみたはものの、駆け出しの冒険者に任せてもらえるような依頼は既になく、しかたなく日払いの肉体労働でその日の食い扶持を稼いでいた。


 その日の仕事では夕食が出たので腹は空いてはいなかったが、無性に酒が飲みたかった。というより、日頃の鬱憤を酒で晴らしたかった。


 自分は冒険者なのだ。労働者ではない。狂暴凶悪なドラゴンと対峙したり、まだ見ぬダンジョンの奥深くでお宝を発見したり。そんな夢を追い求める冒険者なのだ。


 だが、現実問題飯は食わなければいけない。まだ見ぬ浪漫では腹は膨れない。そのためには金が必要だ。そのためには嫌でも稼がなければいけない。そのためには冒険より労働を選ばなければいけない……。


 嫌々ながらも生活のために労働をこなす。心で求めているものとは違う仕事をこなさなければならない。それは少しずつだがアレリオの心を擦り減らせる。不平と不満、こんな仕事をするために俺の人生はあるんじゃない……と。


 そんな鬱屈した思いを貯めこんで、アレリオはくたくたの身体を引きずりながら、気分を紛らわせるための酒場を探していた。


 ふと。


 表通りを逸れた横道が彼の目に留まった。


 普段ならばあまり近付かないであろう道だ。人通りの少ない脇道は、陽の光を嫌う怪しげな連中がたむろするものだ。ナイフをちらつかせるような強盗程度ならまだいいが、奇怪な術を使う魔術師や、精霊や死霊を操る者、ましてや魔物に近い異種族などに襲われるのは御免被りたい。


 だが、その日は何故かその道へと足が進んだ。まるで、何かに呼ばれているかのように感じられた。


 アレリオが恐る恐る道を進んでいると、視線の先に一軒の店があった。


 黒塗りの木製の重厚な扉の上には看板が出ている。


 店名は……見た事のない文字で書かれている。少なくともアレリオが読める文字ではなかった。しかし、その横にはわかりやすいように絵が描かれていた。木製の飲料容器マグから酒のような泡が今にも零れ落ちそうな、そんな絵だ。


 絵から連想するにおそらく酒場だろう。


 これはしたり。アレリオは酒場を求めて歩いていたのだ。おあつらえ向きに偶然酒場がアレリオの前に現れたのだ。アレリオは今すぐにでも酒が飲みたかった。


(見た事のない文字だが……酒場だろうし入ってみよう。危なそうな店ならすぐ出ればいい)


 そう思うと、アレリオはその重厚な扉に手を掛けた。



    ◇



「いらっしゃいませ」


 中はとても狭い店だった。カウンターの周りには八席程の椅子が並んでおり、奥には四名用のボックスシートのあるだけの店。店内は薄暗く、給仕もいない。いるのは黒い上着ベストを着た若い男が一人だけ。カウンターの内でグラスを拭いていた。


 見渡しても他の客は一人もいなかった。


(はずれか……?)


 アレリオは内心入ったことを後悔していた。しかし、入ってしまったのはもうしかたない。一杯だけ安酒エールを飲んで別の店に行くとしよう。そう決めると、その店の主人と思われる男の前の椅子にどかりと腰を降ろした。


「こちらをどうぞ」


 男から温かい布おしぼりを渡される。手に取ってみるとほかほかして温かい。


「ご注文はいかが致しましょうか?」


 温かい布おしぼりを何に使うのか戸惑っているアレリオに男は聞いてきた。


安酒エールをくれ。腹は空いてないからつまみはいらない」

「大変申し訳ございません。本日、発酵酒エールは切らしておりまして……」


 安酒エールすら置いていない酒場があるのかとアレリオは思った。余程繁盛している人気店ならそれもあるかもしれないが、見た所客がいない、閑古鳥の鳴いている様な店だ。繁盛しているとは言い難いだろう。では、何故か。


(……ああ、なるほど)


 アレリオはひとり納得した。ここはそういう店なのだろう。安酒エールがないと言って『わざと』高い酒を飲ませる店なのだろう。


(碌な店じゃないな……。さっさと出よう)


 席についてしまった以上、何も注文しないで立ち去るのはさすがに失礼だろう。ましてや、駆け出しとは言え冒険者のアレリオにとって余計な悪名は避けたい。


「なら、安くて強い酒を一杯。それを飲んだら出ていくよ」


 渋々とアレリオは不機嫌になりながらも男にそう告げた。


 しかし、男はにこりと笑うと「かしこまりました」と一言言うだけで嫌な顔ひとつしなかった。


 そして、男は背後の棚から二本の酒瓶を取りカウンターへと並べはじめた。それを見てアレリオはぎょっとした。


「おい、一杯だけだぞ! 二杯もいらないぞ!」

「承知しております。これらを材料に一杯の酒を作るのです」


(酒を作る……?) 


 アレリオには何を言っているのかわからなかった。酒ならばその酒瓶の中にあるではないか、と。


 男は慣れた所作で酒瓶から小さな鉛色の不思議なグラスメジャー・カップに少し酒を注いだ。それを大きめなグラスミキシング・グラスへと移した。大きめなグラスミキシング・グラスの中には透明な塊……おそらく、氷がぎっしりと詰まっていた。


(氷とは贅沢な……)


 氷は決して珍しいものではなかった。氷魔術を得意とする魔術師がよく氷を売っているのを目撃したことがある。物を冷やしたり輸送に使用したりしているらしいが、まだまだ庶民には高価のものではあった。それを惜しげもなくふんだんに使用するとは……。


 そして、男は同じ動作をもう一方の酒瓶でも行った。大きめなグラスミキシング・グラスには二種類の酒が入っていることになる。


(……まさか、酒を混ぜるのか? 何考えてんだこいつ?)


 酒を混ぜるなど聞いたことがなかった。いや、正確には混ぜ物をする酒はある。それは大体かさを増すために水を入れて薄めたりする粗悪品だ。酒同士を混ぜるなどアレリオは聞いたことがなかった。


 大きめなグラスミキシング・グラス長細いスプーンバー・スプーンが入れられる。そして、男は静かにその中身を混ぜ始めた。


シャカシャカシャカシャカ……


 静かに長細いスプーンバー・スプーンがグラスの中をかき混ぜる音が響く。規則正しい音が辺りに響き渡る。


「氷は砕けないよう、静かに、丁寧に、ただ、回すだけ……。簡単そうに見えて、かき混ぜるステアが一番難しいのです」


 男はそう言うと、蓋をかぶせ、これまた別の小さな三角をしたグラスに中身を移した。そしてグラスの中に棒に刺さった丸い緑の実オリーヴを落とした。


 そして、男は大きめなグラスミキシング・グラスに残された氷を何の躊躇もなく、流しへと捨てた。


「お、おい! 今、氷を捨てたのか?」

「はい。氷はお酒を冷やすためのものです。グラスの中に入れてしまっては溶けて薄まってしまいますので」


 アレリオは驚愕した。決して安くはない氷を一時、酒を冷やすためだけに使用したのだ。そんな贅沢をした酒は一体どれだけの値段がするのであろうか。


「お待たせ致しました。『マティーニ』でございます」


 アレリオの目の前に出された酒は無色透明だった。どう見ても水にしか見えない。さらには量が極端に少ない。一口で飲み干してしまえる量だ。


 これは騙されたとアレリオは後悔した。水を酒と偽り高い金を巻き上げる店なのだろう。しかも、無意味に氷まで使用して値段を吊り上げているに違いない。文句をつければ奥から屈強な男たちが出てきて金を払えと脅されるのではなかろうか。ひとり二人ならばいいが、複数人となればいくらアレリオと言えどタダでは済まないであろう。


 しかたがない。今回は勉強料だと思って金を支払おう。悪徳な店だと衛兵に相談すれば何とかなるだろうか。


 そんなことを思いながら、アレリオは出されたグラスを手に取った。しかし、飲むに一瞬躊躇した。……これを飲めば金を巻き上げられるかもしれない。だが、もう後には引けない。覚悟を決めて一口、口へと含んだ。


 が、口の中に入れた瞬間、自分の考えていたことが杞憂であったことに驚愕した。


 まず感じたのは強いアルコールの味。今まで飲んだことのない程強い酒だ。そして苦味。だが、嫌な苦味ではない。口の中に爽やかに抜ける苦味。そして爽やかさが過ぎた後に感じる仄かな風味と微かな甘味。これは薬草か香草だろうか。薬のような独特な風味を感じるがすぐに霧散して爽快感を感じる。とても美味しい。人生の中で一番の酒と言っても過言ではない。


「美味い! こんな酒に出会ったのは初めてだ! 酒を混ぜるとこんなにも美味くなるのか」

「お気に召しましたでしょうか。ただ何でも混ぜればいいというものではありません。酒同士の相性もございます。特にこの『マティーニ』は『カクテルの王様』とも呼ばれております。シンプルな作り方故に、バーテンダーの腕が試される試金石のようなもの。かき混ぜステアが長すぎても水っぽくなり、短すぎてもぬるく感じたりする難しいお酒です。そして、この一杯がお客様に必要だと思いましたのでお出し致しました」


 アレリオには男の話しは半分も理解はできなかったが、ただそこに美味い酒があるということだけでとてもいい気分になっていた。


 二口目を口にする。


 やはり酒気の強さが口の中に広がる。それはまるで、自分が目指している冒険者の『強さ』のようにも感じられた。どこまでも強く、芯のしっかりとした味わい。そう、かつて祖父がそんな冒険者だったように、アレリオもまたそれに憧れたものだった。


 そして、苦味が感じられる。これは現実の苦味だろう。それはまるで石畳に膝を打ち付けた時のような苦い経験。理想とする冒険者像とは違い、現実はつらく苦々しいものだ。華々しく依頼をこなし、勇名を轟かせることができるものなど一握り。現実はその日の暮らしのために肉体労働に従事せねば生きてはいけない。理想と現実の乖離がそこにはあった。


 だが、そう悲観するものでもない。この苦味は爽快に過ぎ去り独特な風味と味わいを残すのだ。それは『希望』。理想を追い求め、現実に嘆きながらもその中に見出した、微かな『希望』。折れず、屈せず、現実に立ち向かえばその先にあるものだ。その余韻は夜明け前の光のように確かに希望を感じさせた。


 この酒は……『マティーニ』は、確かにアレリオの今の人生そのものだった。いや、これは誰しもが一度は経験するような人生の有り様だ。だからなのかもしれない、当たり前のようにより一層その深さを感じられたのは……。


「……美味い。本当に……美味いよ。何だろうな……。この酒を飲んでるとまだまだやれそうな気がしてくる。もう一杯同じのを頼む!」

「承知致しました。ですが、お気を付けください。『マティーニ』は強い酒で御座います。悪酔いなさらないようご注意ください」


 理想を追い求め、何度も現実に打ちのめされ、その度に希望を見出す。しかし、それも過ぎたれば毒になる、と。そう釘を刺されたようにアレリオには聞こえた。


 だが、今だけは……その波間に漂う事を許して欲しい。今一度また立ち上がるために。


 結局アレリオは合計五杯の『マティーニ』を飲み干して上機嫌だった。


 そこには鬱屈とした空気はもう既になく、ただにこやかに美味い酒を飲んで語らう姿があるだけだった。




 酒と言うのは時として人間を破滅へと導くものでもあるが、適度に付き合えばその日の嫌な事を晴らし、明日への糧へとなる不思議な魔法の飲み物。


 これは、何故か異世界に来てしまった若きバーテンダーと、様々な思いを胸に訪れる異世界のお客様との心温まるお話。



 バー『Etoileエトワール』開店でございます。



    ◇



『マティーニ』

ドライ・ジン 50ml

ドライ・ベルモット 10ml

スタッフド・オリーブ 1個


ミキシング・グラスに氷とジン、ベルモットを入れてステア

カクテル・グラスに注ぎ入れ、ピンに刺したオリーブを添える

お好みでレモン・ピールを振る場合もある


ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋



・あとがき

カクテルの王様マティーニはまさにカクテルの華。

一番最初の題材としてはこれ以上のものはありません。

ジンの代わりにウォッカやテキーラで作るマティーニもありますがやはり王道が一番ですね。 今後もBAR『Etoile(エトワール)』をよろしくお願い致します。

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