第5話

 イラリアは俺を転がすのが本当に上手だ。

 ――俺に似ていると思ったこともあるが、とんでもない。

 彼女は俺以上に策士であり、領地経営がうまかった。人との交渉にも長けていて、俺は事務処理をするだけでよかった。聞けば、彼女は一時期次期当主の勉強を受けていたらしい。どおりで、と納得する。そんな彼女を簡単に手放したカルーゾ伯爵家に思うところはあるが、まあそれはいい。イラリアがあの家を出たがっていたのに納得できたから。


「ダヴィデ、また仕事ですか?」

「ああ」


 こうして急に仕事が入ったとしても対応できるのはイラリアのおかげ。そう、俺は結婚とともに騎士団を抜けたつもりだったのだが、蓋を開けてみればとんでもないことになっていた。国王陛下から直接命令を受け、表ができない裏の仕事を請け負う。主に動くのは団長だが、そのフォローは俺が。

 くそっ! ようやく血生臭い職場から離れられたと思っていたのに……今まで以上じゃないか!

(まあ、あの団長の狂気を発散させるためにはちょうどいいのかもしれないが)


 ちなみに、このことはイラリアも知っている。国王陛下から許可をいただいた。どうやら陛下は彼女の有能さに目をつけ、自陣に引き込むつもりらしい。明らかに裏がありそうな王妃主催の茶会に彼女を招待していた。

 イラリアを巻き込まないでくれという思いはあるが、彼女自身が楽しそうにしているので言えない。

(ちょっと団長と似ていると思ったのはここだけの秘密だ)


 そんな中、カルーゾ伯爵家へと赴く用事ができた。ミルカ嬢からイラリア宛に「会いたい」という手紙がきたんだとか。イラリアを一人で行かせるわけにはいかない。俺もついていくことにした。

 にしても、どうして今頃……。

 結婚が決まった時のミルカ嬢の様子からして、自慢話が書かれた手紙が山ほど届くと思っていたのにそれはなかった。団長が上手くやっているのかと思っていたが違うのだろうか。


 なんだか胸騒ぎがする。そして、その心配は的中した。


「お、姉さま」

「ミルカ」


 ミルカ嬢はベッドの住人となっていた。病弱なのは知っていたが、以前会った時はここまでではなかったと思う。今は瞳にも力がない。――まるで追い詰められた小動物だ。


「お姉さま」

「なにかしら?」

「お姉さま、おねがいがあるの」


 ぽろぽろと涙を流し始めたミルカ嬢。彼女からイラリアを守るためについてきたつもりだったが……これは。イラリアは首を横に振る。


「ミルカ。その願いは聞けないわ。言ったでしょう? ミルカのお願いを聞くのはもう私の役目ではないの。それをするのはあなたの愛する夫よ。大丈夫。彼ならあなたの願いを聞いてくれるわ。以前、誓ってくれたもの。ねえ?」

「ああ、私は約束を守る男だからね。だから、私に言ってごらん?」


 ダヴィデ団長はそう言ってミルカ嬢の頭を撫でた。途端に、ガタガタ震えだすミルカ嬢。

 ――団長に怯えている?


「ちが、ちがうの。私、こんなの望んでないの」

「こんなのって? ミルカの願いはどんなものなの?」

「わ、私は、ただ、お姉さまよりも誰よりも愛されるお姫様になりたかっただけで」

「あら。それならもうなっているじゃない。もしかして、愛され過ぎて怖いというやつかしら」


 それはわかる気がする。俺もこんな団長は怖い。

 ミルカ嬢は泣きながら否定しているが、かまってほしい故の行動にも見える。

 泣きながら同じ言葉を繰り返すミルカ嬢に、優しく声をかける団長。


「ああ。そんなに興奮してはダメだよ。落ち着いてミルカ。イラリア、エミリオ。せっかくきてもらって悪いんだけど」

「ええ。私たちはここらへんでお暇するわ」

「ああ」

「ま、まってお姉様」


 ミルカ嬢の制止を無視して部屋を出るイラリア。俺も後に続く。扉の向こうから聞こえてきた団長の甘ったるい声に鳥肌が立って、すぐにその場を後にした。


 帰りの馬車の中。


「ダヴィデ様のこと、驚いた?」

「いや……正直、今までダヴィデ様に対して覚えていた違和感の正体がようやく見えてきて、納得したところもあるというか」

(団長が『戦闘狂』なのは知っていた。けれど、あれはさらにもっと深い……団長の深淵……)

「じゃあ、気にかかっているのは別のことなの? もしかして、ミルカのことかしら」


 イラリアに頷き返す。それも気になった。あの様子は改めて考えてもおかしい。


「ああ。アレは……放置していていいのか? その、あのままだといろいろと危うい気が」

「心配になるのも無理はないと思うけど……大丈夫だと思うわ。ダヴィデ様が妹に無体をすることはないと思うから」

「ああ。その心配はしていないんだが……」


 もしかしたらミルカ嬢は団長の素を知ってしまったのだろうか。王子様とは真逆のあの姿を。一緒に暮らしているのだから、その機会はあったのかもしれない。それで、ミルカ嬢は理想が壊れて絶望しているとか? ありえそうだ。狩りの後の姿を見ただけで怯えていたくらいだ。たとえ自分に牙を剥かないとわかっていたとしても、平気で人の命を奪う団長人間が側にいるのは怖いだろう。しかもあの人楽しそうにヤるからな……。


「ねえ。そういえば、今度登録する予定の特産品のことなんだけれど」

「ああ。それについてなら昨日のうちにまとめておいたよ。帰ったら確認してくれるか?」

「もちろんよ! というか、もう提出書を書き上げたの?! さすがね」

「いや、そんな、俺は別に」


 褒められるのには未だに慣れない。今までこうして褒められたことなんてなかったのだ。他団の者たちからは、『いっそ文官になれば?』とか『就く仕事を間違えているんじゃないか』と馬鹿にされたこともある。ああ、そういえば俺がいた第三騎士団は解体になり他団に吸収されたんだとか。そこで部下たちは暴れ回り……俺を戻すようにという話が出たとか出ていないとか。まあ、その話もそのうちなくなるだろう。暴れるだけ暴れたら皆、表から消えて裏にくるらしいから。

 部下たちは、「副団長のすごさを思い知らせてから合流します」と悪魔のような笑みを浮かべていた。


「俺なんか、という言葉はダメって言ったわよね」

「……すまない」

「すまないもダーメ。罰はなんだったけ?」

「う”。め、目を閉じてくれ」


 顔に熱が集まる。これもだ。これも何回しても慣れない。心臓がドキドキする。目を閉じたイラリアに顔を近づけ、そっと唇を重ねた。……今日は震えなかったし、場所もばっちりだった、と思う。一瞬だけだったけど、多分。


 まぶたを開いたイラリアと至近距離で目が合い、慌てて離れる。するとイラリアから「ふふ」と笑われた。


「もうそろそろ慣れてくださいな」

「すま、いや、しょ、精進する」

「ならいっぱい練習しないといけませんね」

「っ」


 だ、だめだ! これ以上はだめだ!

 口を完全に閉じれば、イラリアは残念そうな表情で視線を逸らした。ホッと息を吐く。

 残念な気持ちもあるが仕方ない。なにせここは馬車の中だ。それに日も落ちていない。

 イラリアとの口づけは甘く、するたびに幸せでたまらない気持ちになる。が、それ以上に麻薬のような効果がある。自制が利かなくなるのだ。俺は、イラリアには嫌われたくない。


 己を落ち着かせるため、ずっと下を見て深呼吸をしていた。おかげで、イラリアが捕食者のような目で俺を見ていることに気づかなかった。その日の夜は……すごかった、とだけ言っておく。

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全てが中途半端な俺のお見合い顛末 黒木メイ @kurokimei

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