『禊の雨 ―魂を掬う巫女ー』

翠容

『禊の雨ー魂を掬う巫女ー』

さきたま さみだれ とおつみこ

ゆくは たえなき そらのもと

ゆめは はかなく きえいりそ

もとなきよは さみだれて

しとうす


霧にけぶる森に、絶え間なく雨が降る。

天地の境もあやふやで、景色は雨に溶けていく。

その森の奥、静かに湧き出る泉あり。


ここは神の世と現世うつしよの狭間――あわいの地。

輪廻りんねの流れから外れた魂がちる場所。

未練や後悔を抱えた魂は、ここで己をかえりみ、

未練を断ち切り、あるいは受け入れ、

やがてみそぎを終え、現世へ還る。




遠津巫女とおつみこは、 長い、長い髪を切った。

その髪には、彼女の霊力が宿っている。

神の依代よりしろたる彼女にとっては、

本来、そんなことは許されるはずもない。


それでも。

禁忌きんきにも近いこの行為をしてまでも、

彼のたましいを、みそぎたかった。

彼女を想い、消えていった魂の。

神の世にも、現世うつしよにも、そしてあわいのこの地にもーー

もはや彼のなにも存在しない。

彼女の記憶の中以外には。


想ってはいけなかったのに。

彼女もまた彼の魂を愛してしまった。

だが、神の依代である彼女は、ここから動くことはできない。

……それを知った上でも、彼の魂は彼女を愛した。

そして、彼女も。


みそぎを受けぬ魂は、やがて消えゆく。

それは、変えられぬことわり

彼の魂も同じ。


それでもなお——

彼の魂は禊ぎを受けることなく、この地にとどまり

彼女といることを選んだ。


はかなくも切ないーー彼女への想い。

その想いは、今や彼女しかしらない。


だから。

彼の魂が存在したあかしをーー

彼の記憶と想いを、そして、

彼を想った、彼女の忘れえぬ想いを。


それらのすべてを

切り落とした髪に織り込み禊ぎする。。


禊ぎを終えた髪が、ふわりとほどける。

ほどけた髪は無数の光の粒となって、

遠津巫女とおつみこの手のひらに静かに集まった。

ひとつにまとまりし光に、新たな命が宿る。

それは、蛍のように淡く輝きながら——

名残惜しそうに彼女の手を離れていった。


そして、彼女は現世に魂を送り出す。


願わくば、現世にて思いが遂げられるようにと。


雨は、絶え間なく降り続ける。

常に彼女の頬を濡らすその雫は、

今は、

涙のように見えるのだった。

どこか遠くから声が聞こえる。


「…さきたま さみだれ……」



とおつみこ

ゆくは たえなき そらのもと

ゆめは はかなく きえいりそ

もとなきよは さみだれて


   しとうす…。



ーーー


◆補足


あわいの地」は、神の世と現世うつしよの狭間にあり、
輪廻の流れから外れた魂が堕ちてくる場所です。


魂たちはここで、未練や後悔と向き合い、己を省みます。

みそぎ」とは、そうした魂が現世に還る前に、
未練を断ち切る、あるいは受け入れるための儀式です。


「しとう(指頭)」は、遠津巫女が魂に触れ、掬い取り、
現世へと送り出す“ゆびさき”を意味します。

また、「詩禱(しとう)」という語も重ね、
祈りと言葉によって魂を救い、還す存在としての象徴です。



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※本作品は「カクヨム」「エブリスタ」にて同時掲載中です。


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『禊の雨 ―魂を掬う巫女ー』 翠容 @suzu-yo3

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