冥府と火の国
柘榴の森
「でね、黒」
「ん、なんだ」
「こ、れ。何処に預けましょうか」
「……あー………、そうだな」
手にした不思議な文様の珠を取り出して見せる。
あの獣の腹から取り出したが結局霊峰に置くのも良くなかろうと持ってきてしまった。
「…いっそ元の場所じゃいかんのか」
「あ、そうか」
持ち帰ってきてしまったが持ち主に返してしまえばよかったか。多分消した影はそろそろ復活しているだろう。
「……祭壇に置いておけばいいのかな」
「腹に突っ込んだらいいんじゃないのか」
「黒、少し穏便な方法も考えてくださいよ」
「…面倒でな」
ひょい、と残りをと、とんと小気味よく降りてゆく。それはそれは見晴らしの良い、はるか彼方まで見渡せるような絶壁なのだが、空気抵抗と高所特有の乱れた突風はレンブラントが流れを変えて二人を包む。
「じゃあ仕方ない、洞穴に寄りますか。ベルはどうします」
「ちゃんとまた顔は合わせたしよかろう、タキに任せる」
「ふふ、可愛らしいカップルになると良いですね」
「…意外だったな」
すとん、と大地に降り立つ。
懐かしい景色だった。ここは昔自分が生まれ、ほんの僅かの間だけ過ごした場所だ。あの誘拐犯共にさらわれるまではこの岩山を駆け回り、樹の実をかじり動物を追っていた。
「寄ってく…?」
「いや、もう誰も俺を知る奴もいない。此処も随分かわったな、と思っただけだ」
「……君にはアルフの記憶もないのでしょう」
「ん、どうした」
「ホントに、僕だけでよかったの」
小さな、小さな消え入るような声でアッシュの髪に頬を寄せて呟く。
「…おまえは時々人間のようだな」
「そうかな」
「お前しかいらない、お前だけが俺の世界だ」
迷いなく言い切り抱き締める。
きゅ、とちいさな手に力がこもるのを感じた。確かめたければ何度でも、いくらでも確かめればいい。何度でも、いくらでも俺は同じ答えを返すから。
「飛ぶぞ、捕まってろ」
「…ん、落とさないでくださいよ」
「あり得ん」
ふわりと髪が白く染まり始める。とん、と軽く大地を蹴ると二人の姿は風に攫われてその場から消えた。
❀❀❀
「明るいうちに飛ぶのは久しぶりですね」
「八雲は何気に快適だったな」
「あはは、今度もまた何処かに乗せてもらいましょうか」
かさりと葉を踏みしめて鬱蒼と生い茂る暗い森の前に立つ。
「また此処通るの」
「近道だろ、
「……またあの
「なんだ、おまえ」
「……なんですか」
「ひょっとして、妬いてるのか」
ぷく、とわざとらしく頬を膨らませてアッシュを見下ろす。何だそれは可愛いな。
「珍しくてびっくりしたぞ」
「だってあの時のことは君絶対話さないじゃないですか」
「思い出すのも腹が立つからな、俺にはお前だけだ」
「……知ってますけど…、セリスもアルフも、ノエルとリディアまでが誤魔化すなんて…何かされたんじゃ」
「されてない。俺は純潔だ」
「ん、ふ…、んあはははははッ…、もう…わかりましたよ、聞き分けなくてすみません」
「構わん、お前には権利があるさ」
なだめるように頬に口付けるとフードを被らせてから森の中へと足を踏み入れた。
ここは『柘榴の森』と呼ばれている。
瘴気が濃く大型で気性の荒い魔物が多い。中でもハルピュイア、ヒュドラ、オルトロスあたりは遭遇したが最後、Aランク程度の冒険者では骨も残らない。広さはさほどではないが大陸の中でも10に入る程の危険な場所だ。森の中央にぽっかりと空いた大穴は冥府に続くと言われているが、そもそもがその大穴までたどり着ける人間が殆ど存在しない。
ほんの60年ほど前にもこの森を通り抜けようとしたのだ。その時も何というわけでも無く、今と同じようにアッシュが「面倒くさい」「近道だ」と言って抜けようとしただけだった。
森の中では親とはぐれた仔犬を拾ったり、アッシュが纏わりつくニンフを追い払ったりしながらのんびり歩いてた。アッシュが仔犬に酷くヤキモチを妬くからなだめるのに苦労したのを覚えている。そういえばあの仔犬はあのどさくさではぐれてしまったが無事に母犬の元へ帰れたのだろうか。
そうして歩いていたら突然最凶の獣サーベラスを連れたあの
意識を惑わし、僕を一瞬遠ざけたのだ。
その間のことをアッシュは絶対に話さない。
たとえ何があっても加護主の召喚などした事などなかったというのに、あの時は何故かアッシュが
「…まぁ、あり得ませんけどね」
「なんだ」
「べつにー。あの時の仔犬はどうしたのかなぁと思いまして」
「……もうさすがに寿命をまっとうしてるだろ」
「魔物の仔かもしれないじゃないですか」
「気になるのか」
「…ふふ、何故か君はあの仔に敵意を隠さなかったですよね、同じ狼だったからかな」
「…同列にするな」
「怒らないで、すみません」
ちゅ、とこめかみに口づけしてご機嫌をとる。
あの時の事はみんなが自分に話したがらない。
話したがらないということは
アッシュが浮気をした、などという話ではない。
だから素直に目隠しを享受した。
アッシュを、
「せめてあの穴には近づかないでください」
「わかってる」
すとんと着地と同時に赤黒い血のついた剣を一振する。何体目のアンフィスバエナだろう。なかなか珍しいのに遭遇してるなぁと他人事のように思った。尾にも頭を付けた双頭の蛇、大きく育つとドラゴンにもなる魔物だ。
「なんだコイツ、結構いるんだな。あまり見たことはなかったのに」
「ちょっと前に
「あー…、彼奴なんかしたのか…?」
「と、いうか彼があんな方向に動くのがもう異常事態です」
「そう言えばあっちは
「ベリルの傍に居ないとか、昼寝の時くらいだったでしょう」
「………、あのストーカー行為のことか」
「怒られますよ」
10年ほど前にステラが宰相キースを見初めたらしい。
本人は全く自覚していなかったがなんだかソワソワしていたのを覚えている。あまりに面白くて暫く
足繁く
「冥府は色々面倒だからあまり関わりたくないな」
「大丈夫だ、俺が護る」
「そこは疑ってませんよ、ただあそこは君にはあまり相性よくないでしょう」
「問題ない」
例えば話題の宰相はこの大陸の殆どの魔物に後れを取ることはないだろう。彼は賢者として大陸の頂点にいる。人としては殆ど限界の力を有していると言って間違いない。そしてこの森の魔物も例外ではなかった。
今までは、だ。
つい先日彼を手に入れる為にステラがどうやら宰相を
そしてどうやら彼の身体はこの森とはすこぶる相性が悪くなった。つまりアッシュと同じ光属性を持ったから、と言うことだ。
絶対値が桁違いのアッシュはこんな事を言っているが実際半分程度も能力を発揮できないだろう。
「そう言えば、国の厄介事は殆どキース様が何とかしていたでしょう」
「そうだな、苦労人で気の毒な事だ」
「この森のような場所とか、これからどうするんでしょうね」
「…あぁ、………まぁステラがどうにかするんじゃないか」
「やっぱり?」
つい先日の異常事態も、おそらくはキース関連だろう。彼が黙って
「あははは、楽しそうですねぇ ステラが尻に敷かれる姿とか是非見てみたい」
「間違いなく、そうなるな。近いうちに見に行くか」
「またそんな、意地の悪い事を言って」
笑いながらアッシュが始末した魔物達を軽くリリィが洗浄してから凍らせてゆくのを鞄へと収納する。しかし、どうにもこの森の魔物の数が増えたようには感じた。
「んー…、やっぱり何故か増えてますよね」
「あぁ、微々たるものだがこの小さい森だ、溢れては近隣の村に影響が出るかもしれんな」
「そうですね…、仕方ない 外に出たくなくなる程度の結界は張れるかな」
「なんだ、優しいじゃないか」
「失敬な、僕はいつでも人間には優しいでしょう」
意地が悪く笑うアッシュを小突いて降ろしてくれるように促す。
「
何気なく口にした言葉にアッシュが衝動的なのか突然無言で抱きしめてきた。
背後から何を言うわけでもなく小さな身体を抱きしめて胸の中へと閉じ込めてしまうのに少々驚く。『冥府』に過敏に反応したのだろうか…、だが自分たちが死の国へ囚われることなど恐らくは永劫無いことだ。
だったらどうしたというのだろう。
「…どうしたの」
「こんな場所に…、おまえが関わることなんてない」
「うん、当たり前ですよ」
「おまえはずっと…、俺のものだろ」
「ふふ、急に甘えてくるから驚くじゃないですか」
アッシュの胸に背を預けたまま、すいと手を掲げれば光の粒子が小さく集まって直ぐに弾けて散って見えなくなった。
数秒後にふわりと辺りが明るくなった様な気がしたかと思うと再び静かに薄闇が辺りを包む。
「外に向かうのを嫌う程度の結界だけど、まぁないよりはいいでしょう」
肩口に揺れる髪に指を絡めて宥めてやる。
60年前の何かかな、とは思うが詮索する気にはなれない。アッシュがする事ならば全て
「ねぇ黒、僕もここは嫌いなんですよね。遠回りでもいいから次は別の道をのんびり行きましょうよ」
「……あぁ、そうだな…そうしよう」
にこりと笑うとそのまま抱き上げられた。
急ぐ旅ではないのだから、君と二人で歩くのならどれだけかかろうと幸福なのだと。全ての時間が君の為にあるのだと、ゆっくりでいいから自覚して。
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