返すか、埋めるか(R15G)
「……崑崙にいるかと思ったが、誰もいねぇなァ…」
無造作に肩に担いだ男をその辺に投げ捨てる。ぐったりと横たわり今だ流れ出る紅い血が霊峰の頂を汚していくのを無感動に見下ろした。半獣の男自身も血塗れで赤く汚れた手や顔をゴシゴシと擦る。
「おい、まだ寝てんのかテメぇよォ」
足で転がして仰向けさせると投げ出された腕を無造作に踏み砕いた。身体が揺れ、ごきりと骨が砕ける音がしたが八雲は目覚めない。
「…いっけね、瘴気流し込みすぎたかぁ……ここは霊気強くてピリピリすっから纏い過ぎたみてぇだなぁ」
きょろりと見渡すが人の気配はない。元来人などいるはずのない場所ではあるのだが、ここに四霊共の玄関番がいることは知っていた。
と、ふと奇妙な気配に鼻を鳴らす。こんな場所にはあり得ない気配だった。
『…なんだァ…?』
惹かれるようにそれを辿ると少し、さらに高いところに作られた小さな祠に視線が止まる。
『なんか、ある』
引き寄せられるように祠へと歩み寄り、その小さな扉に手をかけようとして…、咄嗟に飛び退いた。
「あー?誰だァ…ッ……、と」
「うわ、八雲!おい、八雲ー」
「アッシュ、殺さないで それが何かまだわからない、リリィ」
「…その姿にならんでも」
「なんか危なそうなのがいますし、子供では動きづらい」
腰の鞄から布を取り出し纏いながら、世にも麗しい女が精霊達を連れて2人の男と現れた。
誰だ おまえは
この場所にか。あれは天女なのか、いやそんな生易しい存在じゃない。
視界に入った瞬間に身体を貫く強い衝動。
欲しい 欲しい 欲しい
「誰だァ貴様らぁ…、おい、それは……番人じゃねぇなァ……
「俺は所謂その番人だけど?」
「僕達はただの通りすがりです、お前は?」
女がその美貌にそぐわぬどこかピリリとした声と言葉で問うてきた。声まで美しい。傍で啼かせたい。
「……なァ…おまえ、そうお前だよォ…綺麗だなァ…、欲しいなァ……美味そうだなァ…」
「答えろ獣」
「嬲って、齧って、辱めてから、食い散らかしてェなァぁあああぁぁあ!」
「………えぇ…、嘘でしょう…それでなくとも機嫌が悪いのに」
むしろ無防備な程に半獣の姿になった獣がシエルに向かって飛びかかってくるのに対象としてロックされた本人はうんざりとした顔でため息をついた。
「息をしていればいいから…、アッシュ我慢して」
「………知るか」
「なぁ八雲、しっかりしろよおいー」
ずっと静かで平穏だった霊峰に、この日山が崩れ落ちる程の轟音が何里も先まで響き渡った。
「名を
血に汚れた着物を着替えて髪を整えた八雲が少ししょんぼりした顔で話し出した。
「わざわざ蓬莱までわしに喧嘩を売りに来る暇人じゃ。相手にせなんだら勝手に怒りだしてのう、このような事で主達に迷惑をかけるとは…、面目もない」
でかい身体を丸めてもじもじと話すのは少し気持ちが悪いが、あまりにしょんぼりとするので少しだけ虐めるのは憚られた。
「シエルに手を出そうとしたのだけは許さん」
「…すまぬ」
「今回は八雲悪くねーじゃん、もう痛くねぇの」
「うむ。主の
「でも、なんの抵抗もせずあんな…、身を守るくらい出来たでしょう」
アッシュの腕に捕らえられたままシエルが眉を少し下げた。それ程打ち捨てられた姿は酷いものだった。キョトリと顔を上げる。
「喧嘩は…、主殿が嫌うものかと思うてなぁ」
笑う八雲の首の逆鱗がふわりと光る。彼から怒りの感情を奪ったのは自分だった。あの時は他に手立てがなく、アッシュをとにかく一番に、宥めておさめることが最善だったから。すべての感情に意味がありバランスがある。怒りを忘れた八雲は何処か欠けてしまっているのだ。
「かえって迷惑をかけた 面目ない事じゃ…、すまぬ」
「……まったく…、よく 我慢しましたね。偉かったですよ」
じわと滲むような微笑みと初めて向けてくれた優しい言葉に八雲が夢見るような目でシエルを見た。途端にそわそわ喜びだしたのが分かってアッシュが少しだけ面白く無さそうな顔をするから苦笑と共に撫でてやった。
「うむ…、わしはな これをつけられてから穏やかなのじゃ、安らかなのじゃ。主殿よ、悪いとは思わんでくれ」
「じーさんが死ぬ前のセリフみたいだぞ」
「左様か?」
ははは、とタキの笑い声が響くがふとアッシュが思い出したように窓の外を見る。
「それより、あれはどうする。元に戻したらまた暴れないか」
「あぁ、そうですねぇ」
「うわ、思い出しちまった。忘れようと頑張ってたのに」
心臓がどくり、どくりと水の玉に包まれて別の生き物のように脈打っている。
「……なんか、アンタら優しそうなのにこえーよな」
笑っていたタキが忘れていたホラーな窓の外を思い出して自分の両肩を抱き締めて震えた。『神様みてーだ』と何気なく呟いた言葉に苦笑いする。
「僕の関わりあるところで悪さをするからです。まぁどうしましょうね、アッシュの機嫌を損ねるようなら何処かに埋めてしまいましょうか」
「シエルちゃん怖くね」
「根っこは俺なんかより余程だぞ」
「そんな主も麗しいな」
「アッシュ?可愛くない口はこれかな」
「許せ」
謝るついでに頬に口づけた。
「神気より瘴気の方が強い、遣いとは違うだろう」
「遣いではないな、神…とも言えるが元は武人じゃ、祟り神に近い」
「殺しすぎたのか」
「左様じゃ。今はわしで鬱憤を晴らしていたところがある。強さはわしと然程変わらぬ故、神としては末端じゃ。今までは遊んでやってはいたが先程は主への土産を手に持っていた故にその気にならなんだ」
またしょんぼりとするのにシエルが肩をすくめてポーチを手に取るとみずみずしい桃をいくつか取り出した。
「これですか?ふふ、美味しそうですね」
「…ッそれは…、血濡れて可哀想なことをしたのじゃ…」
「流石に汚れた桃は浄化しましたよ、いくつか
「すまぬ、主」
「食うか?」
「剥いてください」
当然のようにアッシュの膝の上で足をぶらつかせながら甘えたことを言った。わざとだなぁ、とタキが笑いを堪える。こうしてうまく恋人の機嫌を取っているのだろう。見ている限りではシエルはどちらかと言えば世話焼きな方だ。それがアッシュに対してだけは一切そんな素振りは見せず、むしろ好きに世話を焼かせているように見えた。
「美味そうな樹であったから、甘かろう」
「うん、美味しいです」
リリィに軽く冷やして貰った桃を綺麗に剥いて貰って切り分けられた欠片をくちゅりと咀嚼する。濡れた口元を拭かれながら美味しいと笑った。子供の姿に戻っているというのに凄い破壊力だった。
「……あまり見るな」
口元を抑えて思わず目を伏せてしまう自分と八雲に察した顔でアッシュが釘を差し、シエルが首を傾げる。
「獣の事は明日ゆっくり考えましょう。リリィが心臓を掴んでいますから逃げる事もありません」
「腐っても神じゃ、油断はせぬようにな」
「えぇ、まぁでも今は月が見守っています。君達は守りますよ」
夜空を見上げて微笑むシエルを不思議そうに見る。
月が 見守る…? とは
「さてどうしようか」
「うわ、改めて見るとグロい……」
「見事な生かし方よ、糸一本程しか生きておらんわ」
相変わらず手放す素振りもなくシエルを抱きしめたアッシュが欠伸混じりに神殺しの剣を顕現させる。神気が強すぎるのか八雲曰くの糸一本分の生命力の獣が苦しげに呻いた。
「面倒くさい。このまま山へ返すか、埋めるか 選べ」
「これは八雲達の仲間なんですか」
「厳密には違うな、彷徨う悪霊のようなものか。祟り神だというたろう。死霊を増やし、憎しみを増やし、それによって自らを慰めておる」
「それでも、聖者だけでは成り立たない世の理の一つで存在している、かな」
「玉帝が良しとして放置しているからなぁ、そうかもしれぬ」
ゆっくりと瞼を起こす。獣が言葉を発する力も感情を見せる力も無く、ただ目の前の光景を見ていた。
何が起きたのかまだ理解できない。
圧倒的な力でねじ伏せられた。自分はこれでも神の端くれなのにだ。いつものように蓬莱へ遊びに行ったらおもちゃがいなかった、ただそれだけだ。
そうしたら常世でそれが別の奴の首輪をつけて喜んでいやがったから壊してやった。それだけなのだ。
あぁ、そうだ。あの美しい女は何処へ行ったのだろう。美しい女、欲しい…、傍に…。哭かせて、犯して…、狂わせたい…。
とめどなく考えながらぼんやりと目の前で何かを話す奴らの雑音を煩わしく聞いていた。煩い。
「……埋めるのは、ステラを呼ぶ事になるから正直送り返したい」
「あぁ…そうなるか」
簡単に埋めると言ってもそのままの話ではない。深淵へと封印することになるのだ。それも、端くれとは言え神をだ。
アッシュは術式はあまり得意ではないし、シエルもある程度使えるとは言えギリギリ人の範疇は超えていない。
つまり、一番簡単なのは 常世の 魔術を得意とする 神に 来てもらう のが最善なのである。
そう考えたところでアッシュがこの上なく苦い顔をした。
「確か手紙があったから後腐れはないが…、こんな事で使うのもな」
「今は使うところじゃありませんね。他に選択肢がある」
「うむ。主殿の言いようはよくわからぬが、つまりは天帝に送り返すのか」
「普段過ごしているのは何処なんですか」
「あちこちふらふらしておるようだが…、拠点の一つは泰山かのう…」
「治します」
「よいのか」
つい、と小さな手を掲げるとふわりと魔力を集中させる。
「ただし、
『痛いですよ』と前置きをしてから今にも途切れそうになっている命に癒しの術式を施すが、瘴気の強い神には聖魔術よりも水の方が良いだろう。馴染む力を探しながらゆるりと呼び起こす。うめき声のようなものは零すが叫ぶ力はないようだ。
どさりと肉塊が吊るされていた布袋ごと足元へ落ちた。リリィが掴んでいた心の臓を身体の中へと戻して綺麗に切り離されていた胸から下を、転がっていたそれと繋げてやる。
「数年はかかるけど、此の位回復させれば自己再生で戻れるでしょう。リリィに治させれば早いですが治してあげません、罰ですよ」
血流が繋がるにはまだ時間がかかるだろう。骨が見え、傷跡も消えていない。ざっくりと胴を横切る切断跡はまだ生々しい。だが重要な臓器と管は繋いだ、あとは自分で治せとばかりにぱちんと魔力を断つ。
「お帰り、おまえの巣へ。自分の足で」
シエルの声に、ゆっくりと獣が瞼を起こした。
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