応龍の八雲

「あっははー、ホントに祠の屋根で寝たんだ」

「そなたが言ったのだろう」

「おはようございます、朝からなんです」

「シエル、近づくな」

「おっはよー、朝飯食う?」


起きて屋敷へと訪ねると乱れた髪を撫でつけながら寝惚けた顔で降りてきたらしい八雲が窓から顔を出したタキと話しているのを見てアッシュがすぐにシエルを抱き上げた。


「おぉ主よ、朝から麗しいな」

「待ちなさい、主ってなんですか」

「玉皇様以外にわしが逆らえぬのは主だけじゃ、間違ってはいまい」

「間違ってるからやめなさいね」

「冷たいのう」

「馴れ馴れしい…、死にたいのか」

「ただの蛇だよ、怒らないで」

「あんた初見最悪すぎたねぇ、大ジョブ?」

愛人あいれん殿よ…、そろそろ許してはくれまいか…」


まだ少し未練がましい視線はあるが敵わないとは理解したようで、真っ直ぐに視線を合わせることはせずちらちらと顔色をうかがう。獣は強者には本能で逆らえない。冷ややかな視線で見下ろすアッシュにしょんぼりと背を丸める。


「仕方有りません、完全に敵認定されましたからね。僕だって怒ってるんですから まだまだ反省なさい」


大変だったのだ。本当に。

一晩中かけて触れられる場所全てに口づけされ続けて寝不足もいいところなのだ。暫くは過保護どころではないだろう、覚悟しないとだ。


「んー…、眠いです」

「…悪かった」


ぎゅうと抱き上げられたままアッシュの首に抱きついて髪に顔を埋める。珍しくシエルから甘えたように擦り寄られてアッシュの機嫌が多少なりとよくなるのがわかった。


「にーさん、シエルちゃんにマジでベタ惚れなんだねぇ」

「正直羨ましくてかなわん」

「懲りろよ」

「うむ。すまん」


アッシュのとろりと溶けた視線に 笑うタキと、指をくわえんばかりの八雲。目の前でいちゃつく二人をもう一度朝食に誘った。


「朝粥できてるから食ってよ」





❀❀❀





薬膳粥に薄い皮に挽いた肉を包んで茹でたものを浮かべたスープ、うまそうな湯気を立ててテーブルに並んでゆく皿に感心しながら席に着いた。


「美味しそうですね、ありがとうございます」

「どーいたしましてー、遠慮なくどーぞ」

「いただく」

「なんでわしだけ床に座らされるんじゃ」

「いーけど、おまえにーさんと同じテーブルに座れんの」

「……ここでよい」


床に敷いたラグの上に1人分だけ並べられて座らされるのに異を唱えてみたものの大人しく従った。考えてみればまだ許されていない身での並んで食事はなかなかの針の筵だった。


「で、シエルちゃんて人間と比べてどのくらい成長遅いん」

「君、気になると黙ってられない質なんですねぇ」

「ひひ、すみません」

「何じゃ、そういう話になっておるのか主」

それやめなさいと言うのに。…、どういう意味ですか」

「ん、どういう意味も何も その姿まやかしであろうに」

「どゆこと」

「最初は人の子かと思ったが、そうではないじゃろう。そう思えばすぐに分かったぞ、輝く守りを纏っておる」

「腐っても神の使いか」

「へー、そなんか」

「…ん。」


独特な形のスプーンを口にくわえたままぱちんと八雲が指を鳴らすとしゅるりと水の膜が指を包むのを軽く弾いてシエルへと飛ばした。


「……、ぁ…ッ」

「ほう、これはまた……、想像以上の麗しさよな」

「ほえー……」

「………殺す…」


ふわりと薄い膜に包まれたかと思うと淡く光って元の姿へと戻された。自分の意思以外で強制的に姿を暴かれた事に直ぐに状況が把握できない。


「ちょ、え……、待ってアッシュ待って」

「にーさん家が壊れるたんまたんま!」

「何じゃ愛人あいれん殿、何を怒っておる、すまぬわしが何か気に触った事をしたのか」

「おまえは何処までアッシュを逆撫でたら気が済むんですか!」


一瞬で食卓が修羅場になりかけるのを二人が必死で止めて、元凶は理由を理解しないで一人オロオロと意味もなく粥の皿を持ってうろたえている。


「勘弁してよー…」

「アッシュ、stayですよ。いい子だから」

「もう殺せばよくないか…」

「すまぬ愛人あいれん殿、隠しておるとは知らなんだのじゃ。もうせぬ故怒りを鎮めてくれまいか…」


暫くタキの家が壊されるギリギリで大騒ぎしたあとなんとか宥めて透かして最後には最終手段とばかりにアッシュにシエルを与えて大人しくさせる事に成功する。

もはや膝から降ろしてもらえる気配すらない。

ここまで能天気にアッシュと相性の悪い生き物も珍しい。隙あらば逆鱗をいじり倒しに来ているとしか思えない。


「俺も余計なこと聞いちゃったね、にーさんごめんな」

「…おまえは悪くないだろ」

「さっさと用事済まして帰ってください」

「主、ひどいぞ…」

「まぁにーさんが隠したがるのわかるよ、これはしょーがない。シエルちゃんちょっとヤバい綺麗さだよねぇ…びっくりした」


強制的に暴かれた反動なのかなんなのか戻れなくて元の姿のままアッシュの膝で苦笑する。小さな頭を掌で包まれて隠すように肩口へと押し付けられるのに仕方ないとため息をつくしかない。


「まぁ、僕はこの子の為だけの存在だから。他の誰に何を想われようが邪魔でしかないんですよ」


アッシュが嬉しそうに双眸を薄めて白い額に口づける。


「ふふ、この姿はどうやら人には毒なんだそうで…、あまり見せないようにしてるんです」

「俺のだ、見るな」

「はいはいごちそーさま、ついでに飯もごちそーさまでいいかい」

「ありがとう、美味しかったです。騒がせてすみません」

「ふん、そこのバカ蛇のせいだろ。飯は美味かった」

「うー…、許してくれんか愛人あいれん殿……」


片付けを手伝いたいがもはやアッシュを大人しくさせる事が手伝いのようになっていて身動きが取れない。せめてと水の精霊リリィローズに皿を綺麗に洗ってもらい、大きな背中を丸めて再度の失態にしょんぼりする八雲の尻を叩く。


「ほら、皿を片付けるの手伝いなさい」

「うむ…、了解したぞ」

「ははっ、リリィちゃんありがとなー」


「…まだ縮めんのか」

「うーん、なんですかね。加護が消えているわけじゃないみたいなんですが…、どうやったのかなこれ。術の仕組みが分からないな」

「暴いただけじゃ、何もおらん。水の膜に主の姿を映して表に見せているだけよ」

「君、水を操るのか。成る程 リリィ消せる?」


鈴の音と共にくるりと舞うとこくこく頷いてふわりとシエルの頬にキスをする。薄い膜が瞬時に輝く薄い氷になってパリンと割れて散った。


「お、戻ったね。よかったよかった」

「いつもアッシュにも言うけど、さっきの方が戻ってたんですけどね」

「俺の前だけにしろ」

「残念じゃ」

「おまえは口を開かない方がいいですよ」

「八雲、にーさんとの相性最悪すぎてホントこえーわ」


この場の全員に呆れられて神の使いはしょんぼりと項垂れた。


「もういいからさっさと仕事をすませてしまいなさい。そしてまた40年出てくるな」

「主が一片の容赦もなくて吃驚じゃ」

「あんたが悪いよねー」


あはは、と場違いに笑うタキが空気を入れ替えると窓を開けた。今日も雲の上の霊峰は快晴だ。


「今回の聖人は見つけているのでしょう」

「うむ、

「…へぇ」


「ここからほど近い、東へ八里飛んだ先の小屋に住む女の腹におる。うむ、愛らしいやや子じゃ、ニ日の間には産まれてこよう」

「…つまり、あと二日もこいつはここでたむろうのか」

「考えようだよにーさん、あと二日で帰るんだ」

「長いな…」

「ぬしら好き放題いいよって…、流石にあんまりではないか」

「貴様こそ自覚しろ」

「40年ぶりだと言うに…」


よってたかって散々に言われ流石にむくれてしまった。

これでもこの国では尊ばれ、敬われる神の使いなのだ。もう少し報われたい。

特に主には止事無き思いもあるのだ、出来れば褒められたい。


「面白いな。蛇も拗ねるんですね」

「そのまま二日間丸まってれば平和だろ」

「二人共ホント容赦ないな!」


どうあっても報われるのは難しそうだった。


「少し…、主の中のわしを上げる必要があるようじゃなぁ このままではわしはとんでもないならず者じゃ」

「どこまでいってもならず者なままだと思いますよ」

「どちらかと言えば与太郎というか」

「おまえ相当頑張ってもスタートラインにすら立てないんじゃね」

「わしは主には褒められたい!」

「首輪は付けましたが飼う気はありませんよ」


とうとう泣き始めてしまった。いじめ倒しすぎたようだが全く悪いとは思っていないし面倒くさい。

机に突っ伏してじたばたと駄々を捏ね始めるのを見てアッシュは早々にシエルを腕に閉じ込めてしまい警戒を解くつもりもないようだ。


「僕は…」


苦笑と共に肩を竦める。子供の姿にはあまりに似つかわしくない仕草にやはりこの子は年月としつきを重ねた大人なのだと知れる。


「僕のアッシュさえ心穏やかであるならお前になんの思いもないんですよ。それこそ、嫌も何も無い」

「ちゃんと役目は果たすことだな」


「…うむ、わかっておる」


心から思うのだ。

優しく褒められたらどれほどの幸福だろう。

あの白い手で撫でられたらどんな喜びを感じるだろう。

胸の深い場所に焼き付けられてしまった麗しい微笑みはけして己のものにはならないけれど、ほんの少しだけ向けて欲しいと思ってしまう。


今はもう、奪いたいわけではない。

ただほんの少しだけ褒めて欲しい。


「主は…、まるで妈妈まーまのようじゃなぁ」


「何いってんだこいつ」

「僕の何処を見て言っているんですか対局でしょうが」

「八雲、かーちゃんいねぇの。俺のかーちゃん見せたろか」

「ぬしら徹底的にも程があるじゃろう!」



つい口から零れた本音に総ツッコミを食らって涙目だ。まぁ、分からなくもない。見目だけで言えばむしろ母に甘えたい盛りの可愛らしい童子なのだから。

なのに、出会ってからずっと感じるこの、何もかもを包み込みそうな母性に似たものは何なのだろうか。


優しく、柔らかく、心ごと抱きしめ、許してくれる、これを母と言わずになんと表現したらよいのかわからない。


呆れ顔で自分を見てくる彼らに苦笑を禁じ得ない。

誰が何と言おうと自分はこの小さな母に惹かれてやまないのだ。



何としても、褒めて欲しい。


褒めて欲しいのだ。



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