怒らないで
「あれ、どしたん」
場違いな声と共にロックハートと共にベルを送って帰ってきたらしいタキが、妙な空気に首をかしげる。また新たに増えた客人をみとめて少し考えたかと思えばあぁ、と小さく声を上げた。
「ん、そなたは…匂いが似ているな。番人か?」
「あー、アンタは何となくわかったわ。おつとめごくろーさん、応龍さんだろ」
「相変わらず無礼な一族よ。いかにも わしが四霊が筆頭、応龍の八雲じゃ」
「タキ、ちょうどいい。この山を更地にしたくなかったらその
「ほへ?何かあったの」
「黙って言うことを聞いて。僕でも今ギリギリなんです、本当に霊峰 地図から消えますよ」
「童よ、いっ…」
「黙って失せて」
一言もしゃべらせないというように本当に塵芥を見る目で睨みつけられた。
「よく、わかんねーけど やばい感じ…?」
「正直、今その蛇が一言間違えたら終わりです」
「りょー、かい。ほらこっち来て」
「一体なんなのだ、わしはただ…」
「はいはい、黙って言う事聞いてくださーい。あっちで茶でも飲もっか」
此処まで来て状況を理解しない男はずるずるとロックハートに引っ張られて岩屋敷の方へ引きずられていった。取り敢えずは胸を撫で下ろす。さて勝負はこれからだった。
「黒、落ち着いた?」
答えの代わりに抱き締める腕がじわりと強くなった。小さかった身体がいつの間にか青年のそれになっている。
「お前に誰かが下劣な想いを向けるだけで全部消したくなる」
「誰が僕に何をするの、大丈夫だから。君は僕だけを見て」
「ん…」
しばらくアッシュの好きにさせてやるしか無かった。指が肌を辿り、撫でられ、顔中にキスを降らされるがままに腕に収まった。
あの蛇、本当にどうしてくれようか。
❀❀❀
「あー、星が見えてきたなー。にーさん達大丈夫かな」
「おい番人、茶菓子がきれたぞ。何故わしがこうも待たされねばならん、早くかの童を連れてこんか」
「…俺もそんなに空気とか読める方じゃねーけどさぁ、あれ大分やばかったぜ ほんとになんもしてねーの」
「何をじゃ、愛らしい童がいたから話をしていただk…………………」
「…ん、どしたー?ぱくぱくしてっぞ」
「ただいま、ちょっと霊峰の危機なのでその蛇黙らせました タキありがとう。助かりましたよ」
「お、おかえりー いいけど距離感おかしいおかしい」
シエルを抱き上げたままゆっくり扉を潜ってきた男はずっと小さな肩口に顔を埋めたままだ。ピッタリと抱き締めて離す気がないのが分かる。
「これでもやっとで宥めたんですから、褒めてくださいよ」
ため息をつきながらも胸元の頭をずっと撫で続けている。空いている長椅子に腰掛けるがアッシュがシエルを離す様子はない。
のんびり菓子を頬張っていた八雲と名乗った男は風の壁に阻まれ声も届かないまま見えない空間を叩いていた。
「あとすみません、先程の足場はもう使わない方がいいでしょう。横の足場から吊り橋を直接繋ぎ直してください。何もしなければ崩れないとは思いますが、何処まで亀裂が入っているか分かりませんし、あの高さから岩塊の一つも落ちたら下でどんな事故が起きるか、いえもう起きてるかも…」
「えぇぇ…あそこ割れてんの。仕方ない椅子も移動すっかぁ」
「…足場ひとつで治まったのが正直奇跡です、瑞獣を消されてうっかり天帝でも出てきたら神殺しもあり得たんですから」
「………一体何があったのさ」
「蛇、僕の声は聞こえていますね」
なにやらひとりでおかしな踊りを踊っていた八雲が自分への語りがけにまだ少し首を傾げながらもこくりと首を縦に振った。こちらの音が届いているなら空気を断絶しているわけではないらしい。
「先程口にしていた戯言は忘れます。二度と僕に邪に触れないと約束しなさい。出来ないならこの先蓬莱から一歩も外へ出さない」
またなにやら見えない壁を叩き始めた。わかっているのかいないのかわからない。
「約束なさい、お前の為です」
『お前の為』と言うワードにアッシュの肩がピクリと跳ねる。あわてて頬を包むと瞼に口づけた。
「すみませんアッシュ、言い方が悪かった。怒らないで」
「うわぁ、すっげぇこんな全力のご機嫌取り初めて見た。にーさんどうしたのさ」
「アッシュを怒らせるなんて正気の沙汰ではありません。貴方も気を付けなさい、こう言ってはなんですが僕以外の命など虫ほどにも意に介されませんよ」
「そんなにシエルちゃん大事なん?兄弟…にしても度が過ぎてるよなー…」
「僕の恋人ですよ」
「…へ」
いつものように『ペット』だとは言わないのに溜飲が下がったのか、ふぃと顔を上げると両の目を薄めていつもはこの姿のシエルには恋人のようには触れないのに優しく唇へと口づける。
「…、ん…… 仕方ないな」
「マジかー、じゃ当たり前か」
「ふふ、君はいい子ですねぇ」
「……少し、落ち着いた」
「それはよかった、よく我慢できましたね」
ちゅ、と目元にキスをするとアッシュの頭を胸に抱きしめて笑ってみせる。
「こんなスリルいらないんですよ。何なんですかこの蛇」
「こいつらみんな地上に降りてくる時って久しぶりだからかはしゃぎすぎるんだよなぁ」
「まったく無礼な奴め。というか何なのだ、よくわからぬ術で閉じ込めたかと思えば今度はなにやら見えぬ力で拘束するとは」
「いい加減今国ひとつ消しかけた自覚持ってくれませんか」
「何のことだ」
「バカなんですかこいつ」
「シエル、口」
シエルを膝に乗せたまま背中から抱きしめて離さない姿勢でやっと落ち着いたようだ。悪さを出来ないように椅子に固定してまたバカなことを言い出さないように話をする事にする。
「そなた、愛らしい容貌に反してなかなか辛辣よな」
「相手によります。この子は僕の最愛の恋人で僕の為なら神でも殺しますよ。これで分からないならもういっそ消えてしまえ」
「シエル、言い方」
「シエルちゃんも怒るんだなぁあはは」
「人にその様な力があるとは思えぬが…」
「僕のアッシュにはありますよ」
まだちゃんと理解しないのにシエルがため息をつく。仕方ないなと宙にくるりと指を回すと薄い光の輪をつくった。
「この姿なら安全なんて先読みが浅いなぁあの人も…、わからない愚か者には首輪を付けます。自業自得と理解しなさい」
つい、と光の輪を弾くと八雲の首へとはまりふわりと光が広がった。
とん、と自分を抱きしめている腕を促しアッシュが渋々といった顔で解放する。すとりと膝から降りて何やら杭のようなものを取り出し八雲の前でニッコリと笑った。
「どうせ生殖する必要もないのだから切り落としてもいいが、まぁ勘弁します。代わりに僕に邪に触れようとしたらその首が落ちると思いなさい」
何をする気かと八雲がきょとりと見ていると躊躇無く手にした杭を笑顔のまま喉元の真ん中に思い切り打ち込んだ。突然の思わぬ行動に小さく呻き声を出すだけで身を固くして驚いていると、それを包むように光の輪がフワリと光って首筋へ集まりゆっくりと溶け込むように消えた。
「…ッ…ぐ……、は、……は?」
「痛くはないでしょう?
首を深々と突き刺す杭だけが痛々しく残るが血の一滴も流れていない。
「そこが『逆鱗』でしょう?お前も龍だと言うならわかるだろう、アッシュにとっての僕がそれなんです。二度と軽々しく触れるんじゃない」
「うわ、痛そー…何それ」
「痛くはないはずですよ、逆鱗を封じました。もう僕には逆らうことはできません、月の光で固定しましたから」
「シエルの意に反したら首が飛ぶぞ、…シエル」
戻ってこいと言うように手を広げてすぐに小さな身体を取り戻した。今は片時も離したくないといった様子で身体全体で抱き締める。
「理解できましたか」
「……分かった」
理解するしか無かった。言霊が楔と共に自分の体に打ち込まれたからだ。全て真実だ、理屈も何も無く
「まったく…、仕事をしたらさっさと帰れ」
「あはは、シエルちゃんキャラ変わってる」
「大変だったんですから、察してくださいよ」
「一体そなたらは何者だ、人ではないことは分かったが神でもあるまい。その力はなんなんだ」
「エルフ…?ってわけでもなさそ」
「何でしょうねぇ…、僕達にもよくわかりません」
「ちょっと、愛らしい侍童を連れ帰りたかっただけなんだが…」
「他を当たれ」
「…わかった」
しょんぼりと大きな身体を丸めるのにタキが可笑しそうに笑う。
「こいつら毎回我が儘なんだよ、今回は大人しくしてくれそーで助かるわー」
「何よりです」
「つか、よく怒んないね。こんなの隷属みたいなもんデショ」
「それはそうですよ、逆鱗を封じたって言ったでしょう?僕にはもう怒りの感情すら湧きません」
「こわいこわい」
「仕方ありません、よりにもよってアッシュを怒らせるなんて…、僕ですら一度もしたことない」
「なんかにーさんすげーね…、つかまさか恋人同士だと思わなかったよ、悪かったね。シエルちゃん一体いくつなのさ」
「いくつでしたっけ。取り敢えずアッシュとは同い年のはずですよ。一緒に育ちましたしね」
「マージーかーぁ」
人として生まれ落ちてからは。
このタキと言う少年はなかなか不思議だ。普段なら話さないようなことをいとも簡単に引き出されてしまう。
「童はシエルというのか、愛らしい名だ。しかし既に人のものであったとは残念よな」
「人のものでなくとも意思を無視して攫おうとするんじゃない」
「神の使いの侍童じゃ、何が不満か」
「やっぱりこいつ消してやろうか」
「この何とも言えないさじ加減、
「クロードさんて光の王様?最古の神様じゃん、知り合いなんか」
「不本意ながら」
茶と菓子を口にしながら窓の外に目をやる。
「墓参りをしたら山を降りようと思ってたんですがね、思いのほか時間がかかりました」
「さすがに明日にしなよ、昔じー様がいた頃俺が使ってた別棟あるから使って」
「すみません、助かります」
「ベッドひとつだけど、シエルちゃんとならまぁ大丈夫だと思う」
「あぁ借りる」
「わしは…」
「祠の屋根ででも寝なよ」
「そなたわしらの番人だろう!」
今日は疲れた。
思い掛けずアッシュの狂気の欠片を見せられて心の臓が冷えた。此処まで怒らせたことはこの180年の間一度もなかったから。案内された棟で一息つくとまだ自分を抱きしめて離さないアッシュにくすりと笑う。
「困ったな、少し緩めてくれないとキスも出来ないじゃないか」
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