蓬莱の遣い
「基本、同時に繋いでおけるのは俺だと3ヵ所が限界、これは
タキがお茶の準備をしながら彼の言う『扉』の説明をしてくれる。なかなか興味深い。
「わたくしの為にそんなものを繋いでは危ないのでは…」
「まーそーなんだけどさ、実は鍵がかけられる。誰か個人を鍵にしちゃえばその人と俺しか通れない」
「誰かを鍵に?と言う事はベル自身が鍵になるんですか」
「そー、一応手とか繋いで一緒に潜れば他人も通れるけど、あぶねーから相手が一方的にさわってるだけとかじゃ通れなくするわ」
「器用だな」
「そぉ?意思の有無を付随するだけだからそうでも無いデショ」
ちょいちょいとロックハートに手招きすると片手同士と額を合わせて笑う。もう片方の手をベルへと伸ばして『ほら』と促せば、きょとんとしながらもそっと手を重ねておずおずと視線を合わせた。
「ちょっとじっとしててね」
「は、はい…ッ」
その手を頬へと引き寄せられぎゅっと掴まれると、ゆっくりと空気が変わりふわりとベルの手の甲になにか紋様が浮かんで静かに溶けて消えた。
「ほい、おっしまい」
「な、なんですの今のは」
「鍵をね、君に埋め込んだよ。あとは扉を何処にしよっか。出入りを見られない方がいいんだけど、どっかいいとこあるー?」
「ベルは常時警護がついていますから、なかなか難しいですねぇ」
「傍にはいても覗かれないとなると、私室くらいですわ」
「そだなー…、部屋の中にも扉あるー?」
「ございますわ、衣装小部屋とか、手水とか」
「んじゃその扉の裏側にでも貼り付けよっかー、ハーティちょっと覗いておいてよ、後で繋ぐよ」
こくこくと頷いてみせると、くるりと宙をまわってラインと一緒に消えた。
「お、君ンとこのコに案内してもらうみたいだ、ちょっと借りるねー」
「…なんだか凄いですわ…。わたくしは守ってもらうだけでそんな風に精霊を使ったことがありません…」
「そうなん?まぁ俺んちの場合は特殊でさ、ここにある瑞獣達の結界石を守ってるからさぁ、ある程度ハーティを使いこなせないとここで生活する事もままならないからねぇ」
「あぁ、そんな話を昔何となく聞いたような」
ちょいと茶器の蓋をはずして指先で持ち上げると こちらの作法だろうか、取手のないティカップを口元で傾ける。堅苦しい皇室では見られない仕草に物珍しそうにベルがこうだろうかと真似をしてみるのが愛らしい。
「ここに平然と来るくらいだからそうだとは思ってたけど、あんたらじー様と仲良かったんだなー」
「まぁ、よくしていただいてました」
「ありがとなー」
嬉しそうに、礼とともに笑う少年。なるほどと思う、心根優しく見事に育て上げたかつての仙人の自慢だろう。
「瑞獣達の結界石はさぁ、10年に一度 順番に現れる霊獣達が住んでる蓬莱の宮の入り口なんだよね。実際俺達が向こうに行けるわけじゃないから、あいつらが現れる出口って言う方が正解かな」
「僕達がお邪魔した時はその周期とははずれていたのでお目にかかったことはないですね」
「俺もガキん頃に1回だけだなー、そん時は亀だったっけか」
「…亀……、ですの」
「うん、ここには応龍、鳳凰、麒麟、霊亀の結界石があるぜ。そーいや今年は龍が現れる年かも、気紛れだからいつ現れるかわかんないんだけどさ」
ほら、と岩の壁にかけられた不思議な画風で描かれた長く伸びる身体をくねらせた蛇のような生き物を指して続けた。
「神様とは違うんだけど瑞獣ってのが住んでる蓬莱っていう霊山がここから更に高みにあってさ。そこの玄関みたいなもんがここっていうかー、まぁ普段はのんびり暮らしてるだけなんだけどな」
「ふわっとしてますねぇ」
あはは、と笑ってしまう。
吉兆の象徴と言われる霊獣の事だろう。
「良いことが起こる前触れとして現れるといいますから、運が良ければ貴女も見られるかもしれませんね」
「まぁ、そうなんですの 見る事ができたら素敵ですわ」
❀❀❀
「では僕達は墓参りをしてから戻りますから、ベルは彼に送って貰いなさい」
「わかりましたわ!」
「んじゃ試運転してみよっか。此処はあっちの小屋に繋ぐから、来た時はベルちゃんが好きに使っていーよ」
「まぁ!」
どうやるの、どうなるのとわくわくが勝ったらしい、素直にタキの手を取って飛び地の一つへ走ってゆく。あれはなかなか興味深い力ではあるから一度自分も潜らせてもらおう。
「ッ…ぁ…」
二人を見送ってひと息ついたところで不意に小さな風が被っていた帽子をシエルの頭から剥ぎ取った。咄嗟に手を伸ばしたがひらりと崖下へと落ちていく。ひらひらと少しの間視界に見えたがすぐに雲海へ消えた。
「まぁ、いいか。仕方有りません」
「取ってくる、待ってろ」
「いいのに」
軽く止めたが、風に落ち着かない白金の髪を指に絡めて撫でてやると、ひょいと階段を一段二段降りるような気安さで崖から足を踏み出した。
「気を付けて」
いらぬ心配ではあるが自分に心を砕いてくれる行動には自然と出る言葉だ。後ろ手にひらりと手を振るのが見えたかと思えばその姿は雲海に消えた。
「さて、すぐ戻ってくるか。少し待ちますか」
ロックハートの結界で攫われるような、突風はないはずだが思いがけず一人になってまぁ大人しくしていようと休憩スペースの長椅子に腰を掛ける。ソファのようなものではなく、木材だけで出来た背もたれのない椅子だ。硬い感触とはだかの木の感触が何気なく気に入っていた。ぶらぶらと足を揺らして気持ちの良い風に目を細めていると…
「…おや、こんな場所に童子とは…思いがけぬ事じゃ」
「………、こんにちわ」
にっこりと微笑んで背後からかけられた声に何でもないことのように応える。
唐突に現れた生き物の気配。それだけでこの場所では『異常』だ。気取られない様に然りげ無く距離をはかりながら振り返ると、長い黒髪を高く結い上げた精悍な男が一人立っていた。
「ふむ、今の番人の子か…?まさかそなたが
「遊びに来ただけのただの客ですよ、貴方はガンジー様のお知り合いでしょうか、今はここの主は席を外しております…」
「それは少し前に天へ還ったと聞いたが、まぁそうだな。そなたは…、こんなところでひとりなにをしておる。愛らしい童よ」
「人を待っています」
この場所に、気配もなく現れた。
結いあげた髪を、風にゆらゆらなびかせ着物に汚れの一つもない。
神ならばすぐにわかる。だが目の前のこれは神でもない。
では何者だ。男はなめ回すように無遠慮にシエルを眺めていたかと思えばぽんと手を打ち一人何かを決めたという顔をする。
「うむ、よいな 見れば見るほど愛らしい。これ程の美形はわしも初めて見るわ。来い、そなたをわしの侍童にしよう」
「何を言っている…、戯れは…な、離せ…ッ…」
「否やは無い、決めた もうわしのものじゃ。長ずれば更に美しくなろう。愛でてやる」
一瞬で距離を詰められたかと思えば腕をつかまれ、小さな体をすくい取られそうになりまずいと思った。連れ去られるなどという心配ではない。
これは『まずい』のだ。
「ダメだ、多分おまえは消えてはいけない存在だろう」
「…?何を言っている。拒絶は無駄じゃ、その身体で逆らえようもない、諦めよ。それともわしが怖いのか、愛い事よ」
片手で腕を拘束し、ちいさな顎をすくい取って自分へと上向かせると両目を薄めて満足そうに笑う と、一瞬の隙に抱き上げられた。視界が高くなり体の自由を奪われる。
「…ッやめろ……お願いです、降ろして」
「今はまだ幼いが人は10年もしたら成人するのだったな、すぐじゃ。楽しみはどれだけでも待とう。思いがけぬ拾い物よ、児戯から絶技まで教え込むのも楽しみな事だ」
「今すぐ離せ、降ろしてと言ってる!存在ごと消されたいのか!」
「連れて行くと申したろう、大人しくせよ。あぁ…まこと麗しいな…、もっとよく
優しく頬を撫ぜられ顔が近づくのにぞくりと背中が泡立つ。バチンと何かが小さな身体を弾いて抱きしめていた腕から逃れられた。
軽い音を立てて束縛されていた身体が自由になり地へと落ちる、が ふわりと視界が傾き足場の端の岩が削れて重力が身体を引っ張る。
「童よ!」
『落ち、る』
思った時には小さな身体は雲海の見える宙空へと放り出されていた。
直ぐに風が包む。『まずい』
一瞬で重力に引かれる感覚は消え、優しく自分を
同時に男の後ろで岩がひび割れる音がする。白銀の髪が舞い、ゆっくりと怒りを滲ませた月色の瞳が男を射た。
「アッシュ、ダメ!」
「庇うのか…」
「そうじゃありません、アッシュいい子だから」
「なんじゃ何者ぞ、その童はわしのものじゃ無礼な」
「なんで火に油をまき散らすんだ!」
風が巻いてシエルの小さな身体を絡め取り、帽子を片手に持って現れたアッシュの腕へと運ぶ。強く抱き締められて身動きがとれない中必死でなだめるが聞こえていない。バキン、と足元で破壊音がすると根に向かって深いヒビが走る。
『まずい』のだ。
「……来い」
感情のない声で呟くと風を纏って大剣がアッシュの手に現れる。鈍く輝く宝剣は噂に高い神殺しの剣だ。何気ない動作で一振すると何の音もなく足場が欠けてゆっくりとずれると、人間の体よりも大きな塊がごそりと雲海へと落ちていった。
「アッシュ!ここではダメなんだ、霊峰が消し飛ぶ」
「お前以外要らん」
「黒、お願いだから言う事を聞いて」
「な、なんなのじゃ貴様は、突然現れたかと思えばわしの楽しみの邪魔をしおって。それはわしの
「貴様は黙れ!」
あまりの怒りからか普段はおっとりと話すシエルが男に向かって叫ぶ。思いがけなかった愛らしい子供の強い声に飄々としていた男がビクリと動きを止めた。
「落ち着いて、他の誰の声も聞かないで、僕だけを見て」
「……お前を奪おうとしたのにか」
「奪えないだろ。君は奪われた僕を想像できるの」
のろりと視線を腕の中に落とすと甘えるように小さな身体を腕に閉じ込めた。ぐりぐりと顔をこすりつけるのに優しく撫でて宥める。頬を撫で、目元に口づけ、大切に抱き締めてやる。
「君だけが僕を愛していい」
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