sideroad✦いやだ。

 衝動的に殺したくなったわけではない。


ただ傷つけたくなって、傷つけたら死ぬ程不愉快になって、そのクセ痛みに悶える姿にぞくぞくと愉悦を感じて、捕まえていた身体を取り上げられたら肌が逆立つ程に 震えて 目の前が真っ暗になって 自分を抑えつけるだけで必死になった。


あれはなんだったのだろう。



「おまえ、あそこにはよく行ってたのか」

「えぇ、まぁ。四六時中貴方の傍にいるわけでもないでしょう」

「そうだが、街にでも降りてるのかと思ってたわ」

「何しに」

「言い方」

わたくし自ら買い求めるものもございませんし、人間に興味もございませんよ」

「………おまえ、まだそう思ってたの」

「何がです」


主が苦笑とともに肩をすくめた。なんですか。

そういえばそろそろ…、いや別に疲れているわけではないのだが。


「…少しはずしても?」

「いいけど、どうした」

「休憩くらいはとってもよいのでは」

「…はいはい、好きなだけ昼寝してこい」


何なんですか。


含みのある物言いに何となくもやもやした不愉快な気分で、それでも主の為に紅茶を用意してから部屋を辞した。





「言いたい事があるならはっきり言えばいいだろうが」


独り言ひとりごちながらふわりと枝葉のひとつに降り立つ。

今日はとても穏やかないい天気で、風も涼やかに渡り、小鳥が遠くで心地良くさえずっていた。

昼寝にはもってこいだといつものように温かい幹にもたれ掛かって居場所を決め込むと何気なく視線を下に降ろす。


どうりで精霊が静かだと思った。


いつもなら楽しげに鳴いている花どもがさわさわと揺らぐだけなのでてっきり居ないものだと思ったのだ。


「…………、何して…」


しばらく考えた。

別に何もしなくてもいいのだ。知っている。放っておくのが正しい。

それでも手を出したくなって…、ぱちりと指を鳴らせば目の前にふわりと花だらけにされた亜麻色の髪が揺れる。


「起きろよ…」


言い訳のように呟いて、それでも宙に浮いたまますやすやと眠ったままの光の国の宰相様をゆっくりと降ろした。

片膝を立てて頬杖を付いていたそこにぴったりとおさめて寝息を確かめると意味もわからない程の満足感を覚える。何なんだこれは。

こと、と膝にもたれ掛かっていた頭が自分の胸元に寄り掛かると無性に腕に閉じ込めたくなった。

暫く自分でも分からないほどの満足感に手放したくなくて、起こさないようにゆらゆらと風に揺れる髪を弄んでいると、だんだん何で起きないんだ、と起こしたいような、起こしたくないような気分に駆られる。指の背で頬に触れると小さく吐息が漏れるのに無性に噛みつきたくなって我慢した。


…? この俺が『我慢』だと


血にまみれて歯を食いしばり痛みに耐えていた顔を思い出した。間違いなく自分の手で仕出かした事だと言うのに言いようもない苛つきを覚える。


あれが、もしも自分以外であったのなら…、考えた瞬間にざわりと全身が総毛立った。


「……ッ、え…」


膨れ上がった突然の殺気に驚いたのか膝で眠っていたキースがびくりと身体を震わせ目を覚ました。


「え…、ステラ様 え、ぇ なんで…ここは…?」

「起こしたか…、まだ寝てろ」


無茶を言う。

いや本当に無理だろうと内心だらだらと冷や汗を流しながらいきなりの状況に、まだ寝惚けた頭をフル回転させて考えた。


「…キース」

「で、でも…このままでは貴方が…」

「寝ろ、逃げるな」


ゆっくりと抱き込まれて髪に唇を寄せたかと思えば深くため息のような安堵のような息を吐かれた。髪に指を通し、目元に額にただ唇を這わせるだけで何もしない。

逃げない、はともかく寝るのは無理でしょう!


「に、逃げませんから…、一体どうされたのです」

「………? どうか…、? 何か変なのか俺は」

「今までは…このような事はなさらなかったでしょう…」

「あぁ、そうか…。そうだな。……わからんが、逃げられたら、多分 腹が立つ」

「…逃げません、から」

「落ち着く。このままでいろ」

「わかり、ました」


よくわからないが、この人はこの大陸で最も怒らせてはいけない人なのはようく知っていた。彼がいやだと言うなら逆らってはいけない。自分を殺したいと望まれてもその願いを叶えるしかないのだ。

まるで幼女がお気に入りの人形を愛でるように、可愛がるように、髪を撫でて腕に閉じ込められた。

不思議とあんな目に合わされた相手だと言うのに恐怖はない。無表情なのに満足げな顔が可愛らしくさえ見えた。


「ステラ様は…ここへ何をなさりに…?」

「うん…? 何を、昼寝…だな」

「だったらこれでは眠れないのでは」


思わず笑いが溢れる。何か不思議なものを見るような顔で見下ろされた。


「……本当に、もう痛くないのか」

「え…、肩ですか」

「全部だ。…他に虐められてないか」

「ふふ、私をですか ありませんよ」

「…そうか、何かあったら俺に言え」

「……は…?」


これはどう答えるのが正解なのだろうか。この人はどうしたのだろうか。

多分、自分を『虐め』られる人間は存在しない。

神でもない限り。

貴方でもない限り。


暫く真剣に悩んで、言葉の裏があるか考えて、抱きしめる彼のどう見ても言葉の通りにしか見えない顔を見上げてやっと「…わかりました」とだけ答えた。

その答えが正解だったのか、見たことも無い程満足げな顔をして自分を抱き込むと小さく「寝る」とだけ言って体勢を変えた。

ステラの身体の上で本格的に寝かしつけられている!


本気か。いやこれは本気だ。


「…もう、寝てる…?」


がっちりと抱きしめられたまま足の間に捕まえられて身動き取れない。頭の上では規則的な寝息が聞こえてきた。

もう何が何だかわからない。


あの夜、花達が酷く騒ぐから光の宮に赴けばすぐにこの人の悪戯な気配に気がついた。

その時はあんな衝動をぶつけられるなんて欠片も考えてはいなくて、見つかったかと肩をすくめて退散するだろう、それくらいの事だったのだ。

この方を怒らせたのだろうか、いやもともと自分の事は嫌いだったのだろうか、あの日いきなり 殺されてしまうのだろうか…、と。一晩中彼の事を考えていた。

眠れなくて、優しい花達に会いたくなって、次の日ここでこの人に会うまでは落ち着かなくて。


嫌われては、いないのだろうか。


だったらあの夜のあの狂気は何だったのだろう。

どれだけ考えてもわからなかった。


『気持ちいい…』


うと、と心音聞きながら急に眠気が襲ってくる。

いやいやこの世界で下手をしたら最も危険な人物の胸に抱かれて眠気だなどと。

正気の沙汰ではなかった。





❀❀❀





「うぉい、おまえ…持って帰ってくるって本気かよ…」

「…起きたらまだ寝てたから仕方ないだろう」

「素に戻ってるぞ」

「……これは失礼致しました主、これが起きてしまうのでお静かにお願いします」

「…つかすげぇな…、これで起きないのもお前の傍で寝られるのも」

「静かにしろ。一晩預かると伝えておいていただけますか」

「ちょっとイラッとすんのやめろ、ったく」


すぅすぅと胸元で聞こえる寝息が自分を満足させる。離したくなくてそのまま連れ帰ってきてしまった。家に帰さないといけないのはわかっているのだが我慢出来なかったのだから仕方がない。

ベリルは呆れた顔でガシガシと髪をかきながら仕方ない、と闇の鴉キャリアクロウ光の神殿サンクチュアリへ飛ばしてやった。


自分の部屋の扉を音もなく開ける。両手に抱いたまま中へ入るとまた音を立てないで扉は背中で閉まった。

ベッドの前まで来て立ち止まるとまたおきた問題に考え込む。

普通ならここに寝かせてやるのだろう。

柔らかいし、温かく、そもそもその為の家具だ。

だが離したくない。

大体離せるものなら連れ帰ってきていない。


離したら誰かがこれを壊すかもしれない、あんなに脆いのだ。簡単に壊れてしまう。

そんな事は絶対に許さない。


「俺の傍にいろ…」

「…………ん…、…?」


髪に顔を埋めて呟いた言葉に身体を強ばらせて腕の中で眠っていた青年が目を覚ました。


「起きたのか、まだ寝てればいいのに」

「これは、どういう…」

「…離れたら危ないだろう。壊れたらどうする」

「え、…壊れる…? ここ は何処ですか」

「俺の部屋だが」

「なんで!」


彼らしくない叫びと真剣にわからないと言う顔で今の自分の状況を把握しようときょろきょろと辺りを見渡していたが、暫くして愕然とした顔でそーっと見上げてくるまで待ってやる。


「落ち着いたか」

「降ろしていただけたりは…」

「いやだ」

「…いやだ……」


そのままベッドに腰掛けると膝の上に乗せたまま好き放題に撫で回し始めた。もはや諦めた顔で落ち着くと胸元へ寄りかかる。


「……本当に、どうなさったんですか」

「どうした?何がだ」

「ずっとこうしているわけにはいきませんよ」

「壊れたらどうするんだ」

「…先程も仰っていましたが…もしかして、それは私の事ですか」

「あんなに脆いのに、外に出たら危ないだろう」


本気で言っていた。

きょとんと見上げてくるのを撫でているとふいに吹き出して笑い始める。なんだ、なんで笑っている。


「あはははは、あは、ス、ステラさ、ま あはははッ」

「キース…?」

「あはは、は 一体どうなさったのかと思えば、あはは」

「おい、笑うな」


もたれ掛かっていた身体を正面から頭を押し付けて我慢出来ないと言うように身体を震わせて笑い転げている。何がそんなに可笑しいんだ。


「…はは、私はそんなに脆くはありませんよ」


やっと息を整えて、珍しくキースから背中に腕を回し安心させるように抱き締めてきた。


「私は壊れませんし、誰にも傷つけられません。貴方以外にはできません」

「……そうなのか」

「貴方だけですよ、そんな心配なさってたなんて、ははは」

「…笑うな」

「貴方でなければちゃんと逆らいますし、反撃もします。簡単に傷つけられたりしません」


あんな事貴方だけですから。と言い聞かせると撫でていた手が落ち着いた。


「誰にも壊されないのか」

「多分人間には無理です」

「俺の前から、消えないか」

「私は、クロード様に生涯お仕えいたします、そう簡単に消えたりしません」

「…だめだ、触らせるな」

「?……触らせる?」


そういえばあの時クロードが助けてくれたのだった。


「さ、触らないのは…難しいかと思うのですが…」

「駄目だ」

「えぇ……」


「俺だけにしろ」


今度はどう答えたら正解なのだろうか。

顔を上げて本意がわからないけれど本気で言っているらしい神様をどうなだめたらいいのか悩むのだった。




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