第13話 誰かの記憶から、俺が消えていく



 世界が静かだった。


 いや、静かすぎた。


 構造キーを握って、作者に真っ向から宣戦布告したあの瞬間から、空気が変わった。


 いや、“空気”だけじゃない。


 景色も、街も、人々も――微妙に、ずれている。


 色味。音の反響。道路のカーブ。看板のフォント。

 どれも明らかに“今までと違うのに”、オレ以外は誰も気づいていない。


 


 そして、それ以上に――一番おかしいのは。


 


 403号が、オレのことを忘れかけていた。


 


 ※ ※ ※


 


「……えっと、どなたでしたっけ?」


 その言葉を、オレは本気で信じたくなかった。


 南町防災センターの屋上に再び現れた403号は、赤いスーツを着ていた。

 声も仕草も、服装もまったく同じ。間違いなく、403号本人だった。


 なのに――


 オレのことを、“知らない人”として扱っている。


「403号……だよな?」


「はい、それは僕の識別コードですけど……任務中でしょうか? 僕は今、“次期シナリオ待機中”なので、住民の方とは基本的に接触を避けていて……」


「おい、やめろよ、冗談だろ……」


「申し訳ありません、何かお困りで?」


 目は真っ直ぐで、演技の気配はない。


 オレの存在そのものが、彼の“記憶から消えかけている”。


 


 心臓がドクンと音を立てた。


 まさか、これは――


 構造キーで物語を“書き換えた”反動か?


 いや、もっと正確に言えば――オレが「物語から逸脱した」ことによって、“物語内の登場人物の認識”が乱れている?


 つまり、“今のオレ”は、物語のフォーマットに存在しないから――


 登場人物たちからは、「認識されにくい存在」になっている……?


 


「は……ははっ、マジかよ……」


 笑った。笑うしかなかった。


 ようやく物語の操り人形から抜け出したと思ったら、今度は**“存在の定義そのもの”が崩れていく**なんて。


 


 403号は、オレが完全に“ただの通行人”だと確信しているらしく、敬礼して去っていこうとした。


「待てよ!!」


 オレは彼の腕を掴んだ。が、その手応えは――薄かった。


 掴んだはずの袖が、指をすり抜けた。


「なっ……」


 403号は振り返ったが、もう一度オレの顔を見ると、なぜか少しだけ眉をひそめた。


「……不思議だ。今、一瞬だけ、懐かしいような……」


「そうだよ、思い出せ! オレだよ! 笹原涼介!」


「……その名前、聞き覚えが……」


 403号が、こめかみを押さえた。


 何かが、内部で“せめぎ合ってる”。


 物語に従う論理と、“記憶として残る感情”。


 そして今、物語の構造が崩れ始めたせいで、彼の中の“記憶”がバグってるんだ。


 


 そこへ、もうひとつの声が割り込んだ。


 


 「構造のゆがみが始まったわね。覚悟しなさい、涼介くん」


 


 振り返ると、No.001が立っていた。


 白いコート。揺れない足取り。感情の揺れを見せない眼差し。


 


「“作者”は、あなたを削除できない。

 でも、“あなたを知っていた人間”たちを“再構成”することはできる」


「再構成……って、記憶の消去かよ……」


「ええ。あなたの存在は、物語にない“ノイズ”となった。

 ノイズは、物語にとって“異物”でしかない。だから、“他者の物語”からは削除される」


 


 403号が、再び顔をしかめる。


 そして一歩、オレから距離を取った。


「……すみません。本当に、あなたのことを思い出せません。僕は……」


「……もういいよ」


 オレは静かに言った。


 


 忘れられたことが悲しいんじゃない。


 物語が“人の心”すら上書きする力を持ってるって事実が、悔しいんだ。


 


「これが、構造に逆らうってことなのね」


 No.001が続けた。


「でも、ここから先はあなたの選択よ。

 誰にも認識されず、記憶からも消され、それでもなお歩き続ける覚悟があるのかどうか」


 


 その問いに、オレは答えた。


 即答だった。


 


「……あるよ」


 少なくともオレは、書かれた死をなぞるくらいなら、“世界の誰からも忘れられて”でも、生きてやる。


 それが物語の外に立つってことなら、望むところだ。


 


 「俺はもう、“登場人物”じゃない。

  これからは、“物語を壊す存在”として、生きてやるよ」

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