『俺のピンチを999人のヒーロー?が狙ってくるから休まる時がない!』

漣 

第1話 包丁がスポンジになった件について



 朝から妙な違和感があった。


「うわっ、危なっ……!」


 キッチンで母さんが手を滑らせて落とした包丁が、オレの足元に真っすぐ落ちてきた。けれど、落下音は“ガシャーン”じゃなくて“ポフッ”だった。足元に転がったのは、なんと黄色いスポンジ製の包丁だった。


「……ん?」


「えっ、あれ? 今、普通の包丁だったわよね?」


 母さんもオレも顔を見合わせる。


 ついさっきまでは、銀色に光る鋭い刃がついた料理用包丁だったはずなのに、なぜかそれが、まるでおもちゃ売り場にありそうな安全仕様のスポンジ包丁にすり替わっていた。


 おかしい。いや、おかしすぎる。


 でも、これが初めてじゃないというのがさらにおかしい。


 オレ、笹原涼介、二十一歳。悪運体質です。


 電車はよく止まるし、傘を忘れた日に限って台風並みの雨が降るし、自動販売機で買ったジュースが大抵炭酸じゃないし。とにかくツイてない。


 けれど、なぜか決定的な不幸には絶対に遭わない。これが問題だった。


 事故には遭いそうで遭わない。財布を落としても警察署に届いてる。ひどい風邪を引いたと思ったら、すでに薬が机に置いてある。


 今日みたいに、包丁がスポンジになるのも、その延長だ。


「なんなんだ、これ……」


 ぶつぶつ呟きながら、落ちたスポンジ包丁を拾ってみる。ふわふわしていて、本当に危険性ゼロ。どこからどう見てもただのおもちゃだ。


「涼介、もしかしてまた……?」


「うん。多分、まただ」


 母さんも、慣れたように溜め息をついた。


 ……って、なんだこの慣れた反応。普通もっとパニクるだろ。息子の周りで包丁がスポンジになるなんて現象、笑って済ませられることじゃない。


 オレの身に起こるこの不可解な現象。それが一体なんなのか、誰にも説明できない。けど――


 オレにはひとつだけ、確信していることがある。


 それは、


 誰かがオレをずっと見てる。


 朝起きてカーテンを開けたときも、大学へ向かう電車の中でも。どこかから――視線がある。物理的には感じないけれど、何かがピタリとオレに張り付いている感覚。


 背後に気配を感じるのに、振り返っても誰もいない。そういうのが、もう何年も続いている。


 自意識過剰? 考えすぎ?


 ……違う。絶対に、違う。


 なぜなら、オレが何かトラブルに巻き込まれそうになるたびに、不自然なまでにうまく助かってしまうからだ。


 


 たとえば昨日――


 


 踏切でスマホをいじってて、ふと気がついたら目の前に電車が迫ってた。でも、その瞬間、オレの身体が後ろから謎の腕に引っ張られて助けられた。


 振り返っても誰もいなかった。誰も、いなかったはずなのに。


「…………」


 思い返すたびに、寒気がする。


 けれどオレは幽霊とかじゃない“何か”を感じていた。強い意志で、オレの命を守ろうとしている誰かの存在を。


 そしてその「誰か」は――どうやら一人じゃない。


 


 大学に向かうバスの中。


 今日は事故に遭う気がする……とか思っていたら、バスのタイヤがパンクして、急きょ運転が中止された。


 図書館で天井の蛍光灯が落ちかけていたときも、偶然通りかかった整備員が「あっぶね~」とか言って、オレの頭上から外していった。


 日常のすべてが、オレの“死にそう”を先回りして防止している。


 包丁がスポンジになる? 全然ありえる。


 


「――絶対に、なんか裏があるよな」


 オレはぼそりと呟いた。


 この世界のどこかに、オレの人生を監視している奴らがいる。


 オレはただの一般大学生のはずだった。


 なのに、なぜか命を狙われて、なぜか命を守られまくっている。


 


 その答えを、オレはまだ知らない。


 けれど――その正体を突き止めてやるって、今日ちょっとだけ決意した。


 


 なぜならオレは、マジでそろそろ落ち着いて朝飯を食べたいだけだから。

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