彼より先に死なない
大野木
プロローグ 動機
こわい。
脳に酸素が行き届かなくなり、単純化していく思考がその言葉だけを繰り返していた。
未央は反射的に首元に手をやった。自分の首を圧迫している『それ』を掴み、投げ出していた足をばたつかせながら姿勢を戻していく。膝を立てて体を浮かすと、首にかかっていた力が一気に緩まり『それ』をはずした。
止まっていた血液が頭をめぐり眩暈と共に四つん這いに倒れ込む。大きく咳き込んだ後、短い呼吸が何度も繰り返されてなかなか落ち着いてくれない。無意識に溢れた涙が落ちて灰色のベランダの床を黒く濁した。
少しずつ呼吸が整っていくと振り返ってベランダの手すりを見つめた。今日ホームセンターで買ったロープが巻き付けられていて、そこからぶら下がった先端は輪っかに結ばれている。先ほどまで彼女の首にかかっていたものだ。
未央はそれをしばらく見つめてから、立ち上がって手すりから解いて束ねる。そのまま部屋に戻りロープの行き先を考えた。
洋服ダンスの方へ向かって一番下の段の一番奥にそれを押し込む。タンスを閉めると同時に大きくため息をついて立ち上がり、ふらふらとベッドに倒れ込んだ。
やっぱりダメだった。今日はロープまで買ったのに。
投げ出した手が枕もとに置いたままだった携帯電話に当たる。そのまま携帯を手にしてSNSを開いた。そこには顔も見たことのない人たちが挨拶のように「死にたい」という言葉を並べている。
どうせ死ぬ気なんかないだろう。あんたたちがその言葉を使うから私の「死にたい」が軽くなってしまうんだ。
未央はそう思いながら、ロープを入れたタンスを見つめた。自分だって同じだろう、と頭の中で誰かが言う。その言葉に首を振り、携帯を操作してSNSにメッセージを投稿した。
『女子高生です。死にたいです。誰か一緒に死んでくれる人いませんか』
何をやっているのだろうと思いながら、その馬鹿げた行動にわずかな希望を見出している自分もいることに気づく。
メッセージにはいくつも反応があった。
『自殺はいけないよ、生きていればいつかいいことがあるから』
『どうせ死なないだろ。面倒臭いやつ』
『さっさと死んでください』
それはそうだ。SNSなんてみんな自分のことばかりで共感してくれる人なんていない。わがままな人たちばかりだ。
いくつもの自分本位な返信が流れる中で、それが彼女の目に止まった。
『俺も一人で死ぬのが怖いんだ。よかったら一緒に死んでくれる?』
別に大した文面じゃない。でも未央は、この人も一人で死ぬのが怖いのだ、と思った。そのコメントに返信をする。
『私、本当に死にたいんです。一緒に死んでくれるって本当ですか?』
『うん、本当だよ。ただ、約束して欲しいことがあるんだ』
『わかりました。私ができることなら』
メッセージを送り少しして返信が来る。
文面を見た時、彼女はその意味をよく理解できなかった。それはこれから一緒に死ぬ相手に対するものとは思えなかったからだ。
『俺より先に、死なないでほしいんだ』
それは今後一緒に自殺試行を繰り返す男の多少矛盾を孕んだ、切実な願いであった。
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