少年よ我に帰れ

猫柳蝉丸

本編

 最近、弟の隆司が冷たい。

 声を掛けても生返事だし、中学校から帰って来ても部屋に閉じこもってご飯の時にしか出てこない。

 ゲームにハマってるわけではないみたいだし、悪い友達と付き合ってるわけでもないみたいだから、余計に部屋に閉じこもる理由が分からない。

 反抗期ってやつなのだろうかとお姉ちゃんは考える。

 素直で優しい弟だったけれど、中学二年生にもなると色々と気に食わないことも増えるんだろう。

 もしかしたら空が青いことにすら怒っているのかもしれない。中学二年生とはそういう時期だ。お姉ちゃんにも色々あったから分かる。

 それにしたってもう少し懐いてくれてもいいのになあ、と思わなくもない。

 隆司が小学生を卒業するまでは、一緒にお風呂に入ってた仲良し姉弟なんだもんね。思春期なんかで仲違いなんてしてたらもったいない。

 漫画の趣味も同じなんだし、前みたいにテニプリの新刊の話なんかで盛り上がりたい。二人で自分だけの最強チームを考えるのなんて最高に楽しかったからね。

 大丈夫、お姉ちゃんは分かってる。年頃の姉弟はそんなに上手くはいかない。この前読んだBL漫画でもそうだった。姉弟ってのはどうしてもギクシャクするものなんだ。


 それはそうとそのBL漫画はどこに置いたんだったっけ。

 ああ、そうだ、一階のリビングに置いたままだったんだ。

 我が家の両親は理解があるから私がBL漫画を読んでも笑ってくれるけど、隆司が見たら嫌がるかもしれない。中学二年生の男の子なんだもんね。BLは刺激が強いよね。お姉ちゃんはその辺理解があるんだからね。

 よし、そうと決まったら早速リビングまでBL漫画を取りに行こう。途中までしか読んでないから続きが気になるからじゃないよ、ホントだよ。隆司のことを思っての行動だよ、ホントだよ。

 夜の十二時は過ぎているけど、パッと取ってパッと戻ればお母さんたちも隆司も気付かないに違いない。


「……あっ」


「……うっ」


 自室の扉を開いたら、いきなり隣の部屋に入ろうとしている隆司と鉢合わせした。

 これは姉弟の運命的なシンクロ? ……なんて下らないことを考えても仕方ない。単に隆司がトイレから帰って来ただけだった。

 お姉ちゃんから目を逸らして自分の部屋に戻ろうとする隆司。何となくイラっとしてお姉ちゃんは隆司の手首を掴む。


「ねえ隆司」


「何だよ、離せよ」


「お姉ちゃんの質問に答えたら離してあげるわよ」


「何だよ、急に……」


「あんた最近お姉ちゃんのこと避けてるでしょ?」


「……避けてねえよ」


「避けてないんだったらこっち見なさいよ」


 視線をお姉ちゃんの方に向けようとする隆司。

 でも、何か抵抗があるのかすぐ逸らして俯いてしまった。

 こんなところだけ昔から変わってない。身長なんてずっと前にお姉ちゃんを追い越したくせに、やましいことがあると隆司はすぐ俯くんだよね。

 せっかくだ、この機会にもやもやした気持ちを終わらせてしまおう。お姉ちゃんは両手で隆司の顔を掴んでお互いの視線を合わせる。


「ねえ隆司、お姉ちゃんたち仲の良い姉弟だったじゃない?」


「そう……だったか? 普通だろ……?」


「まあ普通なら普通でいいわよ。だけどね、最近のあんたの態度が普通じゃないのは自分でも分かってるでしょ?」


「……そう、かな」


「そうなのよ。別にあんたが思春期なのはいいの。何かに反抗しても別にいいのよ。中学二年生なんだもの。仕方ないのよ。でも、だからってお姉ちゃんを避けようとしなくてもいいんじゃないの? 二人きりの姉弟じゃないの。仲良くとまでは言わないけど、ちょっとくらい話をしたっていいんじゃない?」


「いや、でも……、姉ちゃんが……」


「お姉ちゃんが何よ? お姉ちゃんと仲良しだったら友達にからかわれるとでも言いたいの?」


「そうじゃねえよ……。だって姉ちゃんが……、姉ちゃんがさ……」


「何よ? お姉ちゃんに悪いところがあるんだったら聞いてあげるわよ? 怒らないから言ってごらんなさいよ」


 お姉ちゃんがそう言うと隆司は黙り込んだ。

 黙り込んで視線をさまよわせて息を何度も飲み込んで……、でも、最終的にはお姉ちゃんと視線を合わせて言ってくれた。


「だったら姉ちゃん服着てくれよ!」


「えっ?」


「えっ? じゃねえよ! 何で家に帰った途端、服脱いで裸で生活してるんだよ、姉ちゃんは!」


「何言ってるのよ、あんたも小学生までは裸で暮らしてたじゃないの」


「小学生の時は気にしてなかったけど、やっぱおかしいよ! クラスメイトは家では服着て過ごしてるって言ってたぞ!」


「そういう家があるのは知ってるけど、よそはよそ、うちはうちでしょ?」


「その言葉を今聞きたくなかったよ!」


「別に隆司が服を着るのはお父さんもお母さんも認めてるんだからいいじゃないの」


「俺だけ服着てたら違和感凄いんだよ!」


「だったら隆司も昔みたいに脱げばいいじゃない」


「そういうわけでもないんだよ!」


 隠していた気持ちを口に出したせいか、隆司の表情はいつもより明るくなっていた。あれ? 明るいのかな、これ。まあいいか。とにかくイキイキしてる。それがお姉ちゃんには嬉しい。

 でも、隆司がそんなことで悩んでたなんて思ってもみなかった。家では服を着たいって言ってたのは単なる反抗期かと思ってたんだけど。でも、家では服を着たいって隆司も変わってるわよね。人間は家でこそ裸で解放されるのが気持ちいいのに。


「とにかく姉ちゃん、家では服着てくれよ、頼むよ。俺、友達を家に呼ぶこともできないんだよ……」


「あんたの友達が来る時には着てあげるわよ。それくらいはマナーだもんね」


「できれば普段から着ててくれよ……」


「何でよ? それはお姉ちゃんの自由じゃないのよ」


「俺が困るんだよ!」


「……何で?」


「歳の近い女が裸でうろうろしてたら、気になってしょうがないからだよ!」


 最後に叫ぶと、隆司はお姉ちゃんの手から逃れて自室に戻ってしまった。

 ノックしても部屋に入れてはくれなさそうだ。お姉ちゃんは諦めて自室に戻ることにする。

 隆司がまさかお姉ちゃんの裸を気にしてるなんて思ってなかった。小学生の頃は二人で裸で寝てたのに、変われば変わるものなんだなあ……。

 とりあえず隆司が素っ気ない理由が分かったのは収穫だった。隆司は冷たくなったんじゃない。お姉ちゃんの裸に照れてただけだったんだ。

 隆司ったらクールな顔してごまかしてたなんて、昔と変わらない可愛さがあるじゃないの。隆司から人間味が失われてなくてお姉ちゃんも嬉しいよ。


 それはそうと。

 隆司、キッショ!

 お姉ちゃんの裸が気になってしょうがないってどうかしてるんじゃないの?

 いや、お姉ちゃんだって自分が目を見張るような美女だったら、我ながらこんなこと思わないわよ?

 自分で言うのもなんだけど、お姉ちゃんちんちくりんよ?

 身長は小学六年生女子の平均より低いし、胸だって平たいし眼鏡のショートヘアよ?

 こんなお姉ちゃんの裸が気になるなんて、お姉ちゃんドン引きだよ!

 さあて、これからどうしようか……。家で服を着るのは絶対嫌だけど、隆司を刺激するのも申し訳ないし気持ち悪いし……。

 うんうん唸ってみても答えは出ない。一つの悩みは終わりを告げ、もっと大きな悩みが始まってしまった。

 まあ、そんなにすぐ答えが出るものでもないに違いない。幸い、とりあえずこれからするべきことだけは分かっている。

 お姉ちゃんは大きな深呼吸をして、最初の一歩を踏み出してから呟いた。


「BL漫画回収しよ……」

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