三章 あやかし探し(3)

「まずは一週間前に失踪事件が起こった椿山神社だ。まだ日が浅いから、痕跡が残っているかもしれない」

「ラジャーです」


 ぴし、と敬礼をして、翅はワンピースをふわりと翻して晴の隣に並ぶ。

 あやかしはこちら側に痕跡を残すこと自体がめずらしいし、それも時間の経過とともに薄れてしまう。最初に向かうのは、直近に事件が発生した場所がよかった。翅の目と耳なら、ふつうならわからないささいな変化にも気付ける可能性がある。


「むーう、お写真だけじゃ、わからないですねえ……」


 昼の電車内はすいていて、晴と翅以外に乗客もいない。水元さんから受け取った資料を念のため翅にも見せたが、反応は芳しくなかった。


「ぜんぜん、なにも?」

「はるちゃん。翅は探偵さんでも刑事さんでもないんですよ」


 ふあ、とあくびをして、翅はそのうちうとうとと居眠りをしてしまった。


 椿山神社のある最寄りの改札を出る。そこからは歩いて二十分ほどだ。急坂をしばらくのぼると、椿山と書かれた石碑が見えてきた。観光スポットでもない小さな神社は人気がまるでない。色の剥げた鳥居をくぐると、小さな拝殿とともに、鬱蒼と茂る大椿の樹が現れた。


「わああ、きれいな椿だねえ」


 晴にはグロテスクにすら見える大椿を翅は目を細めて見上げた。水元さんの言っていたとおり、現場検証は済んだあとらしく、テープのたぐいは残っていない。切り株のひとつに座って晴はさっき渡された資料をめくった。


 ――七月十五日。午後七時過ぎ。東山警察署に一本の電話が入る。

 東山第二小学校に通う三年生の葉山翔くんの母親からで、帰宅時間を過ぎても息子が帰ってこないという話だった。

 付近を捜索したが、翔くんに関連する遺物は見つからず。ただ出かけるときに腕に抱いていたという黄色のゴムボールが椿山神社の茂みから発見された。犯行を示唆するメッセージはほかの事件同様なし。


「茂みっていうと……、あのあたりか」


 大椿の根元は雑草が繁茂して暗がりを作っている。子どもなら全身が隠れてしまいそうだ。


「翅、どうだ?」

「そうだねえ……」


 あたりをぶらぶらと歩いていた翅は大椿の前で足を止めた。腰のあたりで後ろ手を組んで、ちょこんと首を傾げる。


「こんにちは。ちょっとおはなししてもいいですか?」


 晴の目には、艶やかな常緑の葉を茂らせた大椿しか見えないけれど、翅の目には別の姿が映っているらしい。色素の薄い灰色の目には、月のような果敢ない光が映りこんでいた。ふんふん、といくつか言葉を交わしあったあと、翅の表情がぱっと明るくなって両手を胸の前で組む。


「そうなんです! 今年のはやりは、編み上げサンダルなんですようー。えへへ、翅のは赤なんです。おそろいですね」


 白ワンピースを少し持ち上げると、編み上げのサンダルで数回地面を叩き、翅はくるんとうれしそうに一回転した。


「ねー、白と赤の組み合わせは鉄板ですよね。翅も好きだなあ。白ワンピースばっかり何着も持っているんです」


 話がなかなか核心にいかないのはいつものことだ。だって、翅はあやかしに聞き込みをしているわけではない。いつものように「お友だち」になっているだけなのだ。せかすのを諦めて、晴は切り株に座り直した。


 晴の翅との付き合いは、幼稚園の頃に遡る。夏になると、母親に連れられて、大きな麦わら帽子に白いワンピース姿で常野にやってくる女の子は、子どもたちの中でもちょっと異質な存在だった。お人形さんみたいに長い黒髪。病的に白い膚。色素の薄い、透き通った灰色の目。まるでひとり異界のものがこちらにまぎれこんでしまったみたいだった。

 それでも最初は近所の子たちとみんなで遊んでいたけれど、そのうち翅がひとの輪から遠のくようになった。敏感に察知した子どもたちも、特別翅をいじめるようなことはないけれど、少しずつ翅から離れていく。


 ――翅ちゃんってさあ、ちょっと……。

 ――ちょっと、変わってない?


 異質な容姿だけでは、たぶんこんなことにはならなかった。だけど、翅はときどき誰も目を留めない虚空をぼんやり眺めている。誰も話していないときに急に笑い出す。泣き出す。暴れる。翅が見ている世界を共有することが俺たちはできない。晴には見えないそこはきっと、豊かでうつくしい場所だと思うのに。


 ――翅、はるちゃん以外の子はきらいです。


 あざらしのぬいぐるみをぎゅっと抱き締め、翅は暗い目をして呟いた。


 ――はるちゃん以外はお友だちじゃない。


 瞬きをした晴に、翅はさらに言い募る。


 ――お友だちになりたくない。はるちゃん、翅はへんですか。きもちわるい? 


 灰色の眸にうっすらと水膜が張る。晴はあのときなんて答えただろう。学校でも居場所を失い始めていた翅。翅をひとりで産んで育てた母親の結子ゆいこさんがときどき照の前で泣いている姿を晴は見かけた。

 崩壊の足音を確かに晴は聞いていたはずだ。

 もしもあのとき、晴が幼馴染の心をもっとしっかり守ろうとしていれば。絶対に手を離さないようにしていれば。あの事件は起きなかったのだろうか……。


「はるちゃん?」


 目の前で手を振られて、晴は我に返る。足元にかがんだ翅が上目遣いに晴をのぞきこんでいた。


「お顔がまっさおだよ。暑くて気持ち悪くなっちゃった?」


 額に伸ばされた手を中途でつかんで下ろし、「話のほうは?」と晴は大椿を見上げて尋ねる。ううーん、と顎に指をあてる翅の返事は曖昧だ。


「あやかしは見ていないって」

「翔くんのことは?」

「覚えていないみたい。大椿さん、お年を召してらっしゃるから、今は眠っていることも多いの。さすがに別のあやかしが現れれば目を覚ますだろうけどって言ってたよ」

「ここにあやかしは現れなかったってことか」

「そういうことになるね」


 うなずいて、翅は晴の左手を握った。


「ほかの失踪場所も行ってみますか?」

「ああ」


 あやかしが現れなかった、というだけでは、今ひとつ根拠として弱い。翔くんの事件だけが人為的なものだったのかもしれないし、別の場所で神隠しにあったのかもしれないからだ。


「椿さん、またね」


 今は花をつけていない椿の樹に手を振って、翅は赤いサンダルを鳴らした。



 そのあと、数日かけて四件の失踪場所すべてを当たってみたけれど、結果はどれも「ほかのあやかしは見ていない」だった。


「やっぱりあやかしは関わっていないのか……?」


 朝から歩き通しはさすがに疲れてしまって、晴は通りかかったお茶処に入る。外に並べられたテラス席にデイバックを置いて腰掛けると、こぶりのみたらし団子が三本、冷たいお茶と一緒に運ばれてきた。隣では翅が晴のデイバックにぐったり突っ伏している。


「平気か」


 グラスの表面で冷たくした手を翅の頬にあてる。うう、と呻いて、翅はむずがるようにかぶりを振った。


「つかれました。もう歩くの、やぁです」

「ちょっと休んでろ」

「うん……」


 素直にうなずいて翅は目を瞑った。夏でも日焼けのない翅の膚は蒼く透け入りそうだ。ぺたぺたと二三度額に手をあててから、晴はみたらし団子を咥えた。


 あやかしの仕業ではないか――。


 そんな予感もしながら始めた調査だが、翅の話が確かなら、失踪場所にあやかしの出没はなかったようだ。あやかしたちは悪戯以外でむやみに嘘をついたりしないから、「あやかしがいなかった」というのは間違いないと考えていいだろう。


「あやかしの痕跡はなし、で報告するべきなのかなあ……」


 ただ気にかかるのは、翅が話したどのあやかしも、「失踪場所にほかのあやかしはいなかった」と答えるだけで、犯人らしき人間を見たという話が出てこないところだ。彼らはひととは異なる存在だ。ひとが野良猫の姿にいちいち目を留めないように、あやかしたちが逐一人間を注視しているとは限らない。不自然ではないようにも思えるけれど――。


「事件のほうも進展はなし、か」


 水元さんからのメールを確認して、晴は息をついた。もし人為による失踪事件であるなら、晴たち守役が介入する余地はない。神御寮に報告を上げ、速やかに常野へ戻るべきだ。


 考え込んで、晴はスマホのアドレス帳から「じいちゃん」を選んで通話ボタンを押そうとする。


「いや、でも、ううーん」


 明滅するのは査定の二文字だ。いつものように安易に照や蛇ノ井を頼ってしまってよいのか。「マーブル頭」と「じいちゃん」のアドレス帳の間で彷徨ってから、めったに使わない「常野磐」の連絡先にたどりつく。


「絶対ねえな」


 画面をオフにすると、晴は冷茶のグラスを空にした。それから、すやすやと肩を上下させる幼馴染を「翅」と呼んで起こす。

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