5.

「いやァ、まさか本当に、牧野が月上さんを連れてきてくれるとはな」


 物集女もずめ部長は腕を組み、感極まった様子で何度もうなずいている。


 背が高く、がっしりした身体つき。浅黒い肌、彫りの深い精悍な顔立ちの快男児である。


 向き合う月上はやや緊張の面持ちだ。身体の前で両手をそろえて、やけにしおらしい。


「改めて、おれが部長の物集女 陶一とういちだ。三年A組。好きな小説はファンタジー全般だが、至高はやはりトールキンの『指輪物語』だな。よろしく頼むよ」

「よ、よろしくお願いします」

「まあ、とりあえず座ろう」


 部長の音頭で、一同は部室の真ん中に置かれた長テーブルに着く。


「史也。おまえなら、やってくれると思ってたぜ」


 隣に座った勇晴が、ひそひそ声で話しかけてきた。


「この調子で月上さんを入部させ、最終的にはおまえが彼女のハートもゲットするんだッ!」


 もはや否定するのも面倒くさくて、おれは曖昧な笑みを返す。


 当の月上はテーブルの向かいで、物珍しそうに室内を見回している。


 六畳ほどの狭い部屋の片側の壁を本棚が埋め、代々の部員たちが残してきた小説のコレクションがぎっしりと並ぶ。部誌である『報久ロア』のバックナンバーのかたわらに賞状が一枚飾られているのは、先代の百城部長が学外のコンテストで入賞した際のものだ。


「物語を楽しむというのは、言ってみれば別世界を旅する行為だ」


 奥に座った物集女部長が、厳かに口を開いた。


「そんな物語を伝える小説という媒体はさしずめ、おれたちを別世界にいざなってくれる船。この国の海運業を最前線で率いてきた月上郵船のご令嬢が、我らが文芸部に興味を持ってくれたのは運命――いや、必然としか言いようがない。うんうん」

「こら、ひとりで浸らないの。月上さんが反応に困ってるでしょ」


 斧谷おのや先輩が部長の頭をぺしっとはたき、振り返って月上に笑いかけた。


「ごめんね、月上さん、変にプレッシャーかけるようなこと言って。わたしは三年A組の斧谷 曜子ようこ。この文芸部の副部長をやってるわ。好きな作家は、恩田陸かな。月上さん、今日はぜひ、楽しんでいってね」

「は、はい。よろしくお願いします」


 座ったままぺこりと頭を下げる月上に、隣の席の斧谷先輩はやわらかく微笑む。


 ボブヘアでメガネをかけた、インドアタイプの優等生といった雰囲気の女子生徒である。実際に成績優秀で頭もよく、おれたち後輩に対しても篤く気を配ってくれる。ちなみに、クラスメイトでもある物集女部長とは、つき合い始めてからそろそろ半年だ。


「それじゃあ次は二年生ズ、自己紹介お願いね」


 斧谷先輩の優しい視線が、今度はおれと勇晴に向く。


「了解っス。おれは二年C組の片霧勇晴。ラノベならなんでも読んで、見てのとおりの二次元女子にしか興味のない男さ」

「どこが見てのとおりだ、むしろ逆だろ。……こほん。いまさらだが、同じく二年C組の牧野史也だ。ミステリが好きで、お気に入りはディクスン・カーと有栖川有栖。よろしくな、月上」

「……よろしくお願いします。あの、一年A組の月上嶺奈です。いまはいろいろ部活を見て回ってるところです。今日はお世話になります」


 再び、今度は座の面々に向かって月上が頭を下げ、自己紹介タイムはつつがなく終了した。


「月上さんはどんな本を読むんだ?」


 勇晴が声を弾ませて尋ねる。月上は恐縮した様子で、


「すみません、わたし、読書っていままでほとんどしたことなくて……」

「じゃあ、読んでみたい本とかある?」


 斧谷先輩の質問に、月上は気恥ずかしそうな目をおれに向ける。


「それが、さっき牧野先輩が読んでた本が、わたし……」

「ああ、これか」


 応えて、おれはカバンから『八十日間世界一周』を取り出した。


「よかったら、いま貸すよ。おれは再読してただけだしな。また感想を聞かせてくれ」

「ありがとうございます。では、お借りします」


 テーブル越しに本の受け渡しが済むと、物集女部長が改まって口を開いた。


「さて、見学に来てくれた月上さんには、まずはウチの部の活動について説明すべきかと思うが……もしかして牧野、すでに話してたりするか?」

「はい。今日まで勧誘してきたなかで、ひととおりは」

「一昨日なんか牧野くん、部室で遅くまでプレゼン資料作るの、がんばってたもんね」


 と、微笑ましげに斧谷先輩。


「牧野先輩の言うとおりです。わたし、こちらの部の活動について、だいたいのことは聞いたと思います」


 月上の申告に、物集女部長は満足げにひとつうなずいた。


「オッケーだ。それじゃあ退屈な説明は省いて、さっそく部活動体験に入ろう。我ら文芸部の日常を月上さんに味わっていただくために、本日は」


 ごくりと、一同が固唾を呑む。


「――ボドゲ大会を行う!」

「おおッ!」

「やったぜ!」

「いやなんでですか」


 呆れる顔つきの月上を尻目に、おれたちはいそいそと準備に入り始めた。


「文芸活動は基本、個人プレイだからな。読書会は前もって課題本を読んでこなくちゃいけないし、手っ取り早く親睦を深めるためにも、こいつが一番なんだ」


 本棚の片隅に積んであったボードゲームの箱を抱えてきながら、物集女部長が説明する。


「さァ、月上さん、まずはどれで遊ぶ? カタン、ドミニオン、人狼、なんでもそろってるぞ。オーソドックスなのがよかったら、将棋とかもある」

「月上は将棋けっこう指せるみたいですよ、部長」

「おォ、そうか! 実はおれも割と自信あるんだ。一局どうだ」

「……将棋なんか指すより、って言ってたのはどなたでしたっけ」


 湿った視線を向けてくる月上に、おれはことさら愛想よく笑いかける。


「ま、ま、そう言わずに。文芸部のみんなでやるボドゲは、またひと味違うと思うぜ。会話に読書ネタがいっぱい出てきたりしてさ。なあ、勇晴」

「ああ。伊達にオタク部と呼ばれちゃいないぜ、おれたちは」

「……わたし、オタクにされるんですか?」


 憮然とした様子の月上にさらに圧を加えていくように、テーブル上には着々と各種ゲームのボードが広げられていく。


 世間でどんなイメージを持たれているかは知らないが、これが読書人コミュニティの日常である。入部する以上は、いずれ月上にも馴染んでもらわなければならない。


 放課後の時間は流れ、午後の陽が西の空に傾きつつある。


 おれたちオタク部――もとい文芸部の青春は、ここからが本番だ。

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