第2話 《 隔離と観測 名もなき灯 》


研究所の扉が重厚な音を立てて閉まると、

自然に囲まれた先ほどまでの雰囲気とはうって変わって、

そこは科学の最前線だった。


無機質で冷ややか。白銀のパネル、淡緑に光る導光板、

そして足音がやけに響く静寂な廊下。

それらすべてが、この場所が“普通の建物”ではないことを告げていた。


「案内するわ。まずは観測棟。ここでは異能発現者ツィールキントたちの生理的反応、

 精神波形、そして干渉性の兆候を記録・解析している」


ミーナは慣れた様子で足を進めた。だが、言葉の端にわずかな硬さが滲んでいる。研究者としての職務的な口調──それは恐らく、これから向かう先にいるのが、

単なる“研究対象”ではないことを彼女自身が理解しているからだろう。


ヴェインは彼女の背を見ながら、自分の内にある落ち着きに気づいた。

── 異能とは、異端か。奇跡か。それとも……


人間という存在の、深層に眠る何かの顕れなのか。


首都から遠く足を運びここに着任してから、ようやく本質に触れる機会が訪れた。


そして、それは思った以上に早く、思った以上に重い扉の向こうに待っていた。


ミーナが端末を操作している。施設の稼働推移を確認しているようだ。


「他の異能発現者たちは出払っていてね…、

 あぁでも、そろそろ定時の個別観測があるから、ちょうどいいわね。」


ミーナが立ち止まった先にあったのは、観察室を隔てる分厚い防音扉。

その中央に取り付けられた“片道鏡”の奥に、ひとりの少女がいた。


ノア・フェーアリヒト ── “Z-17”


ヴェインの胸が、微かに高鳴る。


ミラー越しに見るその姿は、儚さの中に確かな輪郭を持っていた。

白みがかった薄銀色の髪は軽く跳ね、肩口で揺れている。


椅子の背にもたれ、両手で包み込むように水晶のような球体を手にしながら、

脚をぶらつかせている。


何かを願うように、あるいは対話するように、

手元の球体を優しく握りしめる様子は無防備だが、どこか優雅だった。


「……あれが、先ほど話に出た『ノア』ですか」


「そう。歳は14ね。出自は鉱山都市オルデンバルクの孤児院。

 エスツェット男爵家が運営していた施設よ」


ミーナの声に、淡い憐憫が混じる。


「夫妻には子ができなかった。

 だから孤児院は“育成”という名の選別の場でもあった。

 素養のある子どもを見つけ、貴族家に迎えるための。

 ノアもその候補の一人だった。でも ──」


言葉が一瞬、そこで途切れる。


途切れた言葉を、ヴェインは自らの推測でつなぎとめた。


「でも、異能を発現した途端、彼女は『排除』の対象になった…ですか?」


「えぇ、エスツェット夫妻は体面を崩さぬよう、

 ISAARに正式な『引き渡し』という形で彼女を “手放した” のよ」


ヴェインは無言で耳を傾けていた。冷たい現実。

しかし、その裏には何重にも複雑な感情の層があった。


「彼女自身は……その事実に?」


「どうなのかしら…彼女の中では、エスツェット家にも “何かが” 起きていて、

 それが落ち着いたら、“家に帰れる”と今も信じているようだわ。

 愚かではない。でも……すこし、気の毒に思うわね」


ミラーの向こう。


ノアは変わらず球体を握りしめながら会話する様子を見せている。

つぶやきが小さいのか内容は全く聞こえないが、

うわの空でつぶやいているようではない。


「彼女の異能が発現してから長らく経つけど、まだ完全には分類されていない。

 “揺らぎ”、“共振”、“同調”……観察者によって感じ方が違う。

 けれど、ある種の“気配”を読み取る能力があるのは確か。だからかしら……」


ミーナの声が細くなる。


「……私たちは“見られている”のよ」


「見られている?」


ヴェインは思わず問い返した。


「ええ。極偏光窓マジックミラーだから、彼女からは見えるはずがない。

 音も聞こえない。でも──見ている。まるで知っているみたいに」


ヴェインがもう一度窓越しに視線を向けたその時だった。


球体と何か会話していたように見えたノアの動きが止まり、

ふ、とこちらへ顔を向けた。


そして、まるで鏡の奥に誰かがいると知っているかのように、

彼女の瞳がまっすぐ、ヴェインを射抜いた。


── それは、確かに“目が合った”瞬間だった。


彼は思わず息を呑んだ。その視線には拒絶も怯えもなく、

ただ純粋に「確かめる」ような意志が宿っていた。


ヴェインは確かに、自分の理論では測れない領域に踏み込んだことを自覚した。

そしてその瞬間、彼の中に奇妙な感覚が生まれていた。


名もなき灯がともるような、小さな確信 ──


「……不思議な子、ですね」


彼が呟くと、ミーナは静かに頷いた。


「ええ。不思議で……そして美しいわ。あの子はどこか、

 “人間の未来” そのものみたいに感じる時があるの」


ヴェインは最後にもう一度、ミラーの奥を見つめた。


ノアは軽くスカートの裾を摘んでお辞儀をする。

そこには気品があり、遊び心があり、“少女らしさ” が宿っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る