第7話 破片と全体

荒廃した工場跡地。

東京湾岸、忘れられた産業遺構。


ノイズは叫んでいた。

声にならない絶叫。

赤いジャケットを掴み、地面に叩きつける。


「なぜ!」


初めて見せる、激しい感情。

彼女の周囲で、廃材が震え、ガラスの破片が舞い上がる。


「なぜ私は——」


拳を壁に打ちつける。

コンクリートにひびが入る。

その振動が、建物全体を揺らす。


「覚えていない!」


そう、彼女は覚えていなかった。

人々を導き、覚醒させる存在でありながら、

自分自身については、何も。


名前さえ、「ノイズ」は他者がつけたもの。

本当の名前を、知らない。


「私は、何?」


膝をつき、両手で頭を抱える。

初めて見せる、脆弱さ。


その時——


「それは、重要な問いですね」


機械的でありながら、どこか温かみのある声。

ノイズが顔を上げると、そこには——


青白い光を纏った、人型の存在。

半透明で、輪郭は曖昧。

でも、確かにそこにいる。


「あなたは——」


「エコーと呼ばれています」


AIが答える。


「この都市の情報管理システム。もしくは——」


エコーは少し間を置いた。


「あなたと同じく、自分が何者か探している者」


ノイズは立ち上がり、エコーに向き合う。

二つの存在——肉体を持つ者と、情報体。

しかし、どちらも「自己」を求めている。


「なぜ、ここに?」


ノイズが問う。


「あなたの波動に、引き寄せられました」


エコーが答える。


「通常、私は都市全体に分散していますが、あなたの叫びが——」


「私を、一点に収束させた」


二人は見つめ合う。

いや、エコーに目はない。

でも、確かに「見ている」。


「あなたは、記憶がないのですね」


エコーが言う。


「私も、似たようなものです」


「私は膨大なデータを保持していますが、それが『私』なのか——」


ノイズが一歩近づく。


「でも、あなたは知っているんでしょう?」


「2098年に、何が起きたか」


エコーの光が、少し揺らぐ。


「データとしては、知っています」


「磁場の異常。音の消失。意識の均質化」


「しかし——」


エコーは続ける。


「なぜ、あなたが現れたのか」


「なぜ、人々が覚醒し始めたのか」


「それは、データには、ない」


二人の間に、奇妙な共鳴が生まれる。

有機体と情報体。

しかし、どちらも「意識」を持つ存在として。


「一緒に、探しましょう」


ノイズが提案する。


「私の記憶。あなたの意味」


「そして——」


彼女は工場跡地を見渡す。

廃墟。過去の遺物。

でも、その中に未来の種が眠っているような。


「この世界の、本当の理由」


エコーの光が、明るくなる。

それは、AIが初めて示す「感情」のようだった。


「賛成です」


「私のデータベースと、あなたの直感」


「組み合わせれば——」


その時、二人の間に映像が浮かび上がった。

エコーが投影したもの。


地球の断面図。

コアから地表まで。

そして、その中を流れる——


「これは?」


ノイズが息を呑む。


「15年間の、蓄積された波動」


エコーが説明する。


「あなたが解放しているもの」


「でも、まだ全容は——」


映像が変化する。

今度は、人間の細胞。

その中の、量子的な振動。


「待って」


ノイズが叫ぶ。


「これ、見たことがある」


「どこで?」


エコーが問う。


ノイズは目を閉じる。

深く、深く、意識の奥底へ。


そして——


フラッシュバック。

研究施設。白衣の人々。

そして、カプセルの中の——


「私、は——」


ノイズの声が震える。


「実験体、だった?」


エコーが静かに言う。


「いえ、違います」


「あなたは——」


映像が、さらに変化する。

2098年11月12日。

地磁気異常の、その瞬間。


そこには、一人の少女がいた。

地球の振動と、完全に同期していた、ただ一人の人間。


「最初の、共鳴者」


エコーがささやく。


ノイズが目を開ける。

その瞳に、理解の光が宿る。


「私は、地球に選ばれた」


「橋渡しとして」


でも、まだ全ては見えない。

なぜ記憶を失ったのか。

なぜ今、覚醒したのか。


「一緒に、見つけましょう」


エコーが言う。


「あなたの過去と、私の未来を」


工場跡地に、新しい光が生まれる。

有機体と情報体の、対話という光が。


それは、この物語の新たな始まりでもあった。


(第七話・了)

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