Road ragE

長生明利

Against Road Rage

 ─── 盛夏。気持ちよく晴れ上がった朝の9時前。

 夜半の程よい涼しさが、既に路上から失われつつある。あと1時間もすれば、うだるような暑さが街を包むのだろう。着ているワイシャツの内側には、既に汗ばみを感じていた。


 免停講習、って奴を受けるために、とある地方の免許センターに訪れていた俺は、ある一室の扉の前で足を止める。その、随分と煤けた木製の扉は、免許センターの四階廊下の一番奥の突きあたり、部外者の視線を避けるような位置にあった。


 俺とは違い、免許の有効期限を更新するために免許センターに訪れていた他大勢の人々は、そこではなくもっと手前にあった、小ぎれいで大きな部屋にぞろぞろと入っていく。

 しかし違反者である俺が入るべきとされた部屋は、それとは全く異質なものに思えた。扉には簡素に、「免停講習」と印刷されたA4サイズの紙が貼ってある。その紙が貼ってなければ、誰もそこに入ってみたいとは思わないであろう、煤けた扉だ。


 俺は、先月に速度違反をやらかして捕まった。30km/hオーバーだ。

 それまでも1度、軽微な違反で捕まっており、今回の速度違反により累積で免停となってしまったんだ。

 今日この免停講習を受けることで、免停期間を30日から1日に短縮できる。面倒だが、そのメリットのために今日一日、合計6時間に及ぶ退屈な講習を、我慢して受ける次第だ。


 ただまあ、こういっちゃ何だが……免停講習自体は、実は2回目なので経験者でもある。免許取り立ての頃に1回、免停になり講習を受けたことがある。その時も随分と、面倒臭い講習だったと記憶している。


 腕時計でもうじき講習が始まる時刻であることを確認した俺は、煤けた扉を開いて室内に入る。

 部屋の中は、まるで学生の教室のような……いや、これから講習を受けるのだから教室なのは確かなのだが、扉の煤け具合に見合った、随分とくたびれた部屋だった。全部で10名分くらいの、小学生の席のように小さな机が並べてあるが、部屋の隅に積み重ねられている、雑多なダンボールや地球儀、背丈ほどもある長尺や三角コーンといった物から、ここは普段は物置に使っているのではないか、と思われた。

 以前に受けた免停講習の時とは、全く別の部屋だな、と俺は思う。


 部屋には既に、俺以外にも3名の人物が、講習を受けるためのせせこましい席に窮屈そうに座っていた。てんで勝手な位置に分かれて着席していた彼らはみな、入ってきた俺の顔を同時に見る。


 今時から外れた、リーゼントに革ジャンという伊達男、サバサバ系に見える、いかにも水商売風の女、ギラギラした喜平のネックレスを首から下げた、チンピラ風の男……まあどいつもこいつも、色々と交通違反をやらかしてそうな、不遜の面構えだった。

 俺も含めたこの4名が、今日の講習を受けるらしい。


 一瞬、室内に緊張感のようなものが流れたが、俺が室内に入り連中とバランスの取れた位置関係にある席に座ると、みなまた関心を無くしたようだった。ワイシャツにネクタイ姿の俺を、今日の講習の教官だと思ったのかもしれない。


 俺が席に座るとほぼ同時に、部屋の扉が再び開いた。

 今度は、明らかに警官とわかる、筋肉質と思しき制服姿の男だ。

 脇に書類の束を挟んだそいつは、部屋にいた俺たちの姿を確認すると、「全員いるな」と俺たちに言い聞かせるように言葉を発した。重い声質の、しかしよく通る声だ。


 その教官は、俺たちを見下ろす位置にある教壇まで歩き、脇に抱えていた書類を教壇の上に置くと、改めてひとりひとりの顔を視線でねめ回す。記憶の中にある、俺たちの顔写真と実物を精緻に照合している風に思われた。

 そして、確認が済むと、背後の黒板に大きく、免停講習、と書き、俺たちの方を向いた。


「お前らは今日、免停の講習をここで受ける


 今から約6時間、途中に昼休憩を挟んでの講習だ、

 まじめに受ければお前らは、今日の終わりには、

 講習を完了したというハンコを押してもらえる


 しかし、途中で居眠りをしたり不真面目な態度で受ける奴には、

 俺はハンコを押さないからな、

 そのまま30日なり60日なりの、拘束期間を我慢してろ」


 講習を受ける者への、毎度の教官の挨拶だ。

 しかし、俺はこれを聞いた時に少し、変だな、と思った。


 免許センターで違反者講習を受けたことは何度もあるし、前回の免停講習でもそうだっのだが、こんなにをする教官は今まで一度もいなかった。基本、言葉遣いは丁寧で、逆にこちらからナメられそうな柔らかさがあった。

 しかしこいつは、最初から暴力性を隠していない。

 その口調に、室内にはうっすらと、緊張感が漂う。


 教官が胸に付けた名札には「酒田」と書かれていた。彼の名前だろうか。

 彼は、その名札を指さしながら云う。


「俺の名前は、酒田さかただ、今回の講習を取り仕切る教官だ

 お前らもひとりずつ、自己紹介をしろ」


 そう云われた俺たちは、初めて互いの顔を見合わせる。

 みな、似たような違和感を抱いたようで、互いに目線を絡ませながら、どう反応したものか戸惑いを隠せないようだった。

 やがて、リーゼント革ジャンの男が、おもむろに教官の方を向き、俺たちが同時に感じたであろう疑問を問う。


「……あー、酒田サン?

 俺たちが誰か、ってのはあんた、わかってンだろ?

 個人情報の保護?つーの?

 そういうのは、バラしちゃダメなンじゃねーの?」


 初対面の人間にもタメ口をたたく、見た目通りの図太い語り口だ。

 リーゼントにそう云われた酒田は、ひとつため息をつくと机上の書類をぱらぱらと開き、田頭たがしらクン、と名を呼んだ。リーゼントの頬が、ぴくり、と動く。


「もちろん、俺は判っとるよ、田頭大作たがしらたいさくクン……

 米本彩子よねもとあやこ近藤清美こんどうきよみ長洲大都ながすだいと……みィィイイんな、ここに書いてある、

 お前らの名前、生年月日、年齢、住所、連絡先、学歴や職務歴、交友関係、

 主義思想、そしてお前らがこれまで犯した、道交法その他法令の違反行為……

 全ェェエン部、事細かく、子細も余さず、書いてある」


 書面を見ながら酒田が読み上げた、その書類に書いてあるという内容に、みな口をつぐんだ。それは、免許更新に必要な情報を遥かに超えた……いわば、身辺調査にも等しい内容にしか思えなかった。


 ちょっと、あんた、と水商売風の女が口を開く。


「これって、免停講習ちゃうの?

 なんか、ウチら凶悪犯みたいな扱いされてるんやけど?」

「似たようなもんだろが、スピード狂の米本サンよぉ?」


 酒田は水商売女を見て、ふんと鼻を鳴らす。

 米本と呼ばれた女は鼻白んで黙り込んだ。

 書類をぱらりとめくり、酒田は言葉を繋ぐ。


「お前、捕まってないだけで高速も下道も、ポルシェでぶっ飛ばしてるよな、

 夜中だけでなく、昼間にもよ……

 何考えてんだよてめえ、その勢いで渋滞に突っ込んだら、

 一体何人死ぬと思ってんだ?飛ばすにも程があるだろうがよ」


 米本は酒田の言葉を聞いて、顔を歪めてむっつりと黙り込んだ。

 折角の端正なツラが、随分と勿体ない。


「……で、お前もだ、近藤クン」


 今度は、喜平を下げたチンピラを見ながら酒田は云う。

 近藤と呼ばれたチンピラは、ふてぶてしい態度を崩さないまま、酒田を正面から見据える。


「お前、他の車を煽るのが趣味だよな?

 特に、追い越し車線からなかなかどかない、車やトラックが好きだろ?

 どこまでも追い回し、クラクションを鳴らして、どけどけ、ってな、

 何度通報を受けてると思ってんだ?」

「どかん方が悪いんじゃろうが、

 道交法、知らんのんか、ポリさんよお?」


 酒田の発言に近藤は、真っ向から反発する。


「……そうだな、どかん方が悪い」


 しかしあっさりと近藤の発言を認めた酒田に、近藤は鼻を膨らましてドヤ顔をする。が、酒田はさらに言葉を続けた。


「しかし、お前、年なんぼや、もう60だろうが

 相手が道を譲るまで、待つことすらできんのか、

 ええ年こいて餓鬼みたいな真似をしてんじゃねえよ、

 だから組が拾ってくれねえんだろうが」


 酒田の言葉に、近藤はどす黒い顔色になって黙り込んだ。どうやら、あの書類にはこのメンツのウィークポイントなどもみっちりと書き込まれているらしい。


「まあ、そういう意味じゃ、この中で一番まともなのはお前か、田頭クン」


 俺ではなく、リーゼントの名前を呼んだ。

 田頭は、またこめかみを、ひくり、と動かし教官を睨む。


「お前、特段に暴走行為をしたり、

 わが物顔で道路を占有したりとかはしてないな、

 普通ならただの単車好きで通る奴だ」


 田頭は、唇を尖らせたまま酒田を睨んでいる。

 けどなあ、と酒田が言葉を続けるのを分かっていたようだ。


「……お前、信号無視した自転車をこかして、

 乗ってたおっさんを殴ったよな?

 あと、電車で騒いでた高校生らを蹴り飛ばしもしてるな?

 なんだなあ……田頭クンはまるでアレだ、正義の味方、気どりだな?」


 教壇から自身を見下すような視線を下ろしてきた酒田に、田頭のこめかみに血管がくっきりと浮き上がった。田頭は酒田に向かって、ゆっくりと言葉を吐く。


「……酒田サンよお、とりあえず、アレだ、

 


 正面から自身を睨みつけてきた田頭に、酒田は軽く肩をすくめただけだった。

 そして最後に、俺を見る。


「最後は長洲、お前だ

 ……ある意味、お前が一番、最悪だな」


 酒田のその言葉に、俺は思わず視線を落とした。

 彼は書類を一枚、取り出しそれに目を落とす。


「……お前は、心底からのスピード狂だ、米本の比じゃねえ、

 覆面がいようとお構いなしで、いかなる場面でもアクセルを踏み抜く

 お前、10年以上も前、山陽道から中国道の一周を何時間で走破できるか

 挑戦して、ネットで晒してただろ、覚えてるか?」


 俺は酒田の言葉に、思い出したくもない記憶を掘り起こされた。

 そう、まだ若かりし頃だ、チューニングしたツインターボ車を所有していた俺は、中国地方の高速道路、一周約400kmを何時間で走破できるか、限界に挑戦していた。

 普通に走行すれは5時間前後で一周できる。休憩も挟めば6時間もあれば可能だが、俺はそれを2時間弱で走破していた、アベレージ220km/h以上だ。夜間の通行量が少ない時間帯なら、さらに10分~15分は短縮できた。


 匿名での書き込みが可能なネット掲示板で、俺は静かに「本日の記録」と称して俺の走りを公開していた。

 子供の頃からプロのラリードライバーに憧れていた俺だったが、結局はその夢も叶わず、ただこのまま年を経て朽ち果て死ぬ前に、「お前は速い」と、誰かに云ってほしかったんだ。今なら、正気の沙汰ではないと思うし、本当に馬鹿なことをしていたとも思う。


 やがて、俺の書き込みに刺激された連中が、夜な夜な中国地方の高速道路を疾走するようになった。

 俺と記録を競い合っていた中には、俺と同様に車好きな奴もいれば、免許を取り立てのヒヨコもいた。ヒヨコたちは、自分の腕前も、車の能力も知らないままに、ただ俺の記録を打ち破れるものと信じてアクセルを踏んでいた。


 何のチューニングもしていない車に乗っていたヒヨコなら、俺みたいな記録が出せるわけがないとすぐに諦めただろうが運が悪いことに、そのうちの一人のヒヨコが、金持ちの医者の息子だった。おまけに親がそのヒヨコを甘やかしていた。

 ヒヨコが求めるままに、親は高価なフェラーリを買い与えた。ヒヨコは狂喜乱舞でROSSO CORSAロッソ・コルサのボディカラーが映えるご自慢のフェラーリを公開し、俺の記録なんざこれで一瞬で打ち砕いてみせると豪語した。


 どうなったかって?

 奴はフェラーリで、派手に事故って死んだ。


 山陽道と違い中国道は、高速なのに道が曲がりくねっていてコーナリングの限界が低い。主に山陽道でタイムを稼ぐが、中国道では逆にアベレージを下げない努力を要する。特に中国道の岡山以西では、タイヤのグリップの限界に悩まされることになる。100km/hでギリギリ、というコーナもあるんだ。


 俺のアベレージがどれだけ厳しいものか、フェラーリといえどその区間はハイレベルなグリップコントロールが必要とされることを、奴は全く判ってなかった。フェラーリなら曲がれる、としか思っていなかったんだろう。


 中国道の下り線、東城から三次に向かう間のコーナーの連続区間。

 あの区間には、左右にくねるタイトなコーナーが数本続いた後にやや緩やかなコーナーに入り、しかしその直後、直線をほぼ挟まずにルート中一・二を争うスーパータイトコーナーに飛び込むポイントがある。不慣れだと、緩やかになったコーナーに油断しアクセルをぐいと踏むが、突如眼前に現れたスーパータイトコーナーに驚き、アクセルを戻すのが遅れてしまいがちだ。

 そこで奴は、コーナーを曲がり切れずにアウトへ膨らみ、ガードレールを突き破って対向車線に飛び出した。車体がくるくると回り粉みじんに破壊、奴はフェラーリの中で右に左にシェイクされた。何とも高価なミキサーだ。

 勿論、生きてはいられない。奴はROSSO CORSAロッソ・コルサのフェラーリの車内もロッソに染め上げた。


 夜の中国道でフェラーリが派手に起こした事故は、全国ニュースのトップにも躍り出た。そうして俺はそれを期に、チャレンジを公開するのを止めたんだ。


 酒田は、俺の表情を見ながら云う。


「あれからもお前、走り続けてるよな?」

「……さあ……」

「お前の真似をして死んだ奴もいるのに、どうして走ってんだ?

 お前……おかしいと思わないのか?」


 なぜ、俺は走り続けているのだろうか。

 そんな自問自答は、もう何度もしている。

 そして結論は常に同じだ。、だ。

 俺は言葉を濁して黙り込む。


「さあ……」


 俺の様子を観察した酒田は、ニヒルな微笑を浮かべる。

 再び、教壇の上から全員を見下ろしながら云った。


「結局、俺がお前らの自己紹介をしちまったな……

 まあ、自分の隣の席はそういう奴だと思えばいい

 お前らは、本当なら、牢屋に入っているべき連中だ……

 今日は、免停講習じゃなく拘留の手続きをする日でもおかしくない


 ……ところが、だ」


 酒田はそこで言葉を区切ると、何とも意味ありげな表情を浮かべる。

 口を閉じたまま、一人ひとりの顔を順に見据える。


「……お前らは、役に立つ、と判断された」


 全員が同時に、頭上にハテナマークを浮かべる。

 俺たちが、役に立つ?どういう意味だ?


「お前らには、2つの選択肢が与えられる


 ひとつは、今日はこのまま大人しく免停講習を受け、

 免停期間を短縮してもらったうえで明日からはまじめに、

 道交法を順守し交通弱者を尊重する運転を心がけること、

 もはや俺たちにマーキングされている現実におののきながら、

 次、逮捕されたらもう後は無い、という恐怖におびえながらな……


 ……もうひとつは、俺たちの犬になる、という選択肢だ」


 犬?……警察の、犬?


「犬、と云っても何か特権が与えられるとか金が貰えるとか、

 そんな好待遇をしてやろう、って話じゃねえぞ


 お前らは道具として、まだ利用価値がある、

 牢屋にぶち込むよりも使い道がある、ってことだ」


─────


 ……その後の酒田の説明は、にわかには信じがたいものだった。

 いわゆる煽り運転、海外ではROAD RAGEと呼ぶそうだが、俺たちに、と云うのだ。


 善良な一般車両を煽っている連中を俺たちで徹底的に煽り倒し、恐怖心を呼び起こし、二度と煽りをしようと思わせないようにする。

 もちろん、警察が俺たちの行為を見つければ逮捕せざるを得ないので、、と。


「今までろくでもないことばっかりやってきたお前らだが、

 不思議と警察には捕まることがなかった……

 要するに、俺たちに尻尾を掴ませないことにかけては、

 お前らは才覚があるようだからな」


 酒田は唇を歪めながらそう云う。褒めているつもりだろうか?

 こうして全員が、免停講習のため集められている時点で、俺たちをいつでも捕まえることができただろうに。


 酒田はさらに云う。


「俺たちは、お前らの現行犯は見逃さない

 だが、市民からの通報に関しては、可能な限り放置してやる

 だから、俺らの目の届かない所でやれ」


 チンピラの近藤が、ゆっくりと手を挙げる。


「……そりゃあ、おもろい話じゃけどのお、

 例えば、わしが煽って、相手を事故らせたらどうなるんや」

 

 酒田は、近藤の質問に対し、簡潔に答える。


「場合によっちゃ事件扱いになって、

 お前は逮捕されるだろうな」


 近藤はずっこけた。


「なんじゃい、見逃さんのんかい!」

「さっきも云っただろ、俺らの目の届かない所でやれ、と

 俺らがお前らを逮捕せざるを得なくなることは絶対にするな」


 近藤は、頭をぼりぼりと搔きながら軽く頷いた。

 リーゼントの田頭も手を挙げる。


「つまり、オレらはあくまで、日陰者として……

 ……クズを成敗しろ、ってことか?」

「おおむね、そういうことだ、

 そういうの、好きだろう、お前は」


 酒田にそう云われた田頭は、口角を上げながら「悪くねえな」と云う。

 この二人は、どうやら受け入れるつもりのようだ。


 水商売の米本は、あごに手を添え思案顔のまま動かない。すぐには乗るつもりがないのか。俺も、この話については、あまり乗り気には成れないのだが……


「……とりあえず、今日はこのまま、

 免停講習のハンコをもらえる、と考えていいのか?」


 俺は手を挙げ酒田に、そのことを確認する。

 わざわざ提案を拒否し6時間の講習を受けるよりも、酒田の提案を受け入れすぐさまハンコを貰い、後は平々凡々に生きるに越したことはない。そもそも俺は、他車を煽る趣味は全く無いし、煽り屋を煽るなんて無駄なことをする気もない。


「お前も、この話に乗るか?」

「ああ、いいだろう」


 俺は手を挙げ、賛意を示す。

 と同時に、女も手を挙げた。


「ウチも乗るわ」


 仏頂面で賛意を口にする米本。

 挙げた手には、免停の通知書がひらひらと舞う。


「ほら、免許証にハンコ、押してや」

「よし、全員OKだな、

 じゃあお前ら、通知書を提出してこの書面に、

 お前らに確実に連絡がつく電話番号を記入しろ、

 いいか、ウソ書くなよ、この場で電話して確認するからな」


 酒田は教壇の上に何かの書面を広げた。

 それぞれが通知書を教壇に提出して書面に電話番号を書き、その場で酒田が電話をかけ、間違いなくそれぞれに呼び出しができることを確認する。

 と、酒田はおもむろに全員の通知書を掴むと、あっさりと真っ二つに引き裂いた。


「えっ!」

「何してんだよ!」


 驚いて声を挙げる俺たちに、前田はニヤニヤと笑いながら云った。


「長洲以外はみな、嘘の通知書だ……

 今日お前らをここに集めるためだけに送ったんだよ、

 だが長洲だけはホンモノだ、ほら、免許証を出しな」


 完全に、してやられた、といった顔をする三人。

 「くっそ、なんで気付かんかったんや!」と頭をぼりぼりと掻く近藤。

 田頭は「ポリが騙しをするとか、普通思わねえよ」と不満そう。

 「最近、違反で捕まったわけちゃうのに、 って思ててんけど……」とは米本の談。


 俺は、苦虫を嚙み潰したような顔で免許証を取り出し、「お願いします」とだけ云って酒田に渡した。酒田はにっこりと笑いながらハンコを押し、俺に手渡す。


「ほら、今日一日は免停期間だからな、運転するんじゃないぞ?」

「わかってますよ」


 俺は免許を財布に収めながら、軽く頷いた。

 なにしろ俺は免停2回目だ、そのあたりはよく知っている。


─────


「……なあ、長洲、さん……やったっけ?」


 教室を出て長い廊下を歩いていると、俺は背後から呼び止められた。

 振り向けばそこには、水商売風の女、米本がいた。

 米本は、にやにやと笑いながら俺に語り掛けた。


「あんたが、あのドライバーやったん?」

「何の」

「記録、よ……中国道最速の」


 先ほどの、酒田にバラされた俺の過去についての話か。

 俺は、それについては誰とも話す気は無かった。


「知らん」


 俺はそれだけ云い残して去ろうとした。

 しかし女に腕をつかまれる。


「ねえあんた、覚えとらんの?

 掲示板の、ポルシェ乗りの……あれ、ウチよ?」

「……知らんよ」

「うっそ!めっちゃ、競り合っとったやん!」


 俺の返答に、女は目を丸くして驚く。


「あれあんた、車は何やったん?国産?」

「……」

「金持ちには見えへんし……たぶん国産車やろ?

 R32?NSX?まさかGTO?」


 薄ら笑いを浮かべながらの、いかにもヒトを小馬鹿にするような云い方。

 俺はひとつ、ため息をついた後に水商売女の安っぽい挑発に乗る。


「……インプレッサ」

「そうやろな、で、どノーマルちゃうやろ?」

「……S202」

「あー、やっぱりなぁ、

 そのへんの車やないと無理やろなって思てたわ、

 それベースに、いじっとったんやろ?」


 女はそう云いながら軽く頷く。

 生憎あいにく俺は、車自慢には全く興味が無かった。

 相手が乗っているというポルシェを自慢されそうな気配を感じ、俺はまた彼女に背を向ける。


「あー、なにその態度?

 ウチまだ話してる途中やんか」


 女は慌てて俺の前に回りこんだ。

 俺は、思い切り迷惑そうな顔を見せつける。

 しかし彼女は、それも気にかけずべらべらと喋り始めた。


「なに、もしかしてポルシェ自慢したいんか、インプ貶される思たん?

 ウチそんなん興味ないで?

 お互いクルマ好きで乗ってるんやから、いちいちケチなんかつけへんって

 ……それより、あんたの“走り”や、

 あれ、ホンマのタイムなん? ポルシェでもけっこうキツいで、あれは」


 自尊心を巧みにくすぐってくるな、この女……

 商売柄の特技なのか?


「……知らんよ」

「うっわ!

 マジ笑えるわ〜、ホンマやって顔してはるわ!」


 女は俺のぶっきらぼうな表情を覗き込みながら、けらけらと笑った。

 そして、今度は思い切り自慢そうな顔を、俺に見せつけてくる。


「でもな~、あいにくウチの山陽道最速もガチやねんで〜

 なあ、自分の記録、破られたときって、どんな気分やったん?」

「……知らんって云ってるだろ」

「うわ〜、めっちゃ悔しかったんやろ?

 わかるわ〜、その感じ〜」


 上目遣いで俺を挑発する、水商売の女。

 俺はしかめ面をしながら、彼女を避けて廊下を歩こうとするが、相手はその度に俺の前にすっ、すっと移動しながら、さらに楽しそうに語り掛けてくる。


「なあなあ、また勝負せえへん?

 あんた、まだ走っとるんやろ?

 ウチもな、一人で走ってても張り合いないねん

 でもあんたやったら安心できるし、ほんで、あんたかて

 相手おったほうが楽しいやろ?」

「……勝手に一人で走ってろ」

「またまた〜、ウキウキしてんの、丸わかりやで〜!」


 ああそうだ、うきうきしてるよ。


 俺の心の奥底で衝動が疼いているのを、俺は先ほどからずっと感じている。

 あのポルシェがこいつだったと知って、動悸が抑えきれない。

 滾る憤怒の魂が、こいつよりも俺の方が速い、と吠えている。

 こいつと勝負したい、こいつを負かしたい、そう訴えている。


 だが俺は、ずっと一人で走ることに決めたんだ。

 あのヒヨコが死んだ時から、俺はもう、誰も巻き込まないことにした。

 死ぬまで……独りで。


「もう俺は走ってないんだよ……関わるな」


 そう云い放った瞬間、女は正面から俺を、どん、と突き飛ばした。

 それまでの、茶化すような笑顔が消え、女の表情は真剣そのものになっていた。


「……今まで、生き延びてきたあんたが?

 めれるわけ、あらへんやん?」


 図星を突かれる。

 女は、俺の胸に人差し指を、ずん、と突き立てた。


「……ウチらはな、死ぬまで走り続けるしかあらへんねん

 そういうニンゲンや……わかっとるやろ?

 変われないんや、そう簡単には……」


 その言葉は、俺に対して、というよりは自身に対して云っているように聞こえる。

 ああ……分かっている。なんだ、俺たちは。

 でもな。


「……なぜ、俺にそんなに噛みつく」


 俺の言葉に、女は腕組みをして俺を睨んだ。


「言うたやろ、あんたとウチ、どっちがホンマに速いんか、

 ウチはハッキリさせたいねん……

 それにな、あんた……」

「何だ」

「……思ってたより、ええ男やから……かな?」


 視線を俺から逸らし、自問自答で呟く女。

 どう答えたらいいか、反応に困って押し黙る俺。

 と、女は突然、何かに気付いたようにパアッと表情を明るくした。


「あっ、せや!

 長洲さん、LINE交換しよか!」


 それまでの非日常の話の流れから、一気に横っ飛びして日常に飛び込んだ。

 俺は思わず、きょとん顔になった。


「……は?」

「そんくらいええやろ?

 こう見えてウチ、店で指名ナンバーワンやし?

 お友達に自慢できるで~?」

「いや、LINEは」

「やっとるやろ?

 今時、やってないおっさん、おらへんし!」


 どこまでも、自分のペースで喋る奴だ。

 女は、俺のズボンの尻ポケットからはみ出ていたスマホをスポッと抜くと、画面を指でつつきながら、これ認証どうやるん、やってや、と訊いてくる。

 俺は、小さくため息をつきながら女の手からスマホを取ると、認証を通しLINEを立ち上げる。互いに友だち登録をすると、俺のLINEに「さーちゃん☆No.1」が登場した。


「ウケる~、やっぱアイコン、インプなんや!」


 ちいかわアイコンの女に、また俺は茶化される。

 LINE登録をしたことで気が済んだのか、ほなまたな、と米本は云い、軽く手を振りながら俺を後に残した。


 ……煽り屋を、煽り倒せ?

 まあ、俺以外の連中は、勝手にやるならやればいいさ。

 俺は全く興味がない。

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