第18話:想い

「ねぇ、どういう気持ちになった?」


冷静に、まっすぐ彼の目を見て、凪咲は言った。彼は、何も言わず最初の内は目を逸らさなかったが次第にその目線は少しずつ遠くを見つめるようになり、下の方に視線を移す形となった。


またか。また、向き合おうとしないのか。

冷静だけれどもその感情は冷たく冷えていくのを感じる。


凪咲はいつだって誠実に相手に精一杯寄り添おうとした。人は変われどもその時々で大切にしたいと思う相手には、例えどんな状況だろうとも支えたいと思っていたし、お互い幸せになるためにはどうしたらいいかを頭一杯にして考えた。だからこそ、凪咲がいくら誠実に対応しても逃げたり沈黙を続けたり、真正面から向き合わない相手は嫌いになっていった。


この時、彼とはお約束の都合のいい関係だった。付き合うという言葉なくして恋人と同じような関係性。連絡も取っていたし身体の関係もあったし、いつかちゃんとお互いが未来を見据えて付き合うという関係性に、形としても安定したいと思っていた。だがその望みも虚しく、過去のどの男とも同様に結局付き合うという言葉ややり取りは出ないままで、中々連絡が取りづらくなった。やはり心配性の凪咲のこと、体調崩してるとか仕事でなにか切羽詰まってるのかとか、何か問題が起きたのかと毎日毎日不安でたまらなかった。既読にもならないLINE。状況が判れば対応のしようもあるのに、待つ時間は本当に永遠で、一日一日をやり過ごすのはとても辛かった。

だが凪咲もここで何も行動を起こさないということではなかった。数日、既読がつかなければ「大丈夫?体調崩してない?」「心配してるんだよ」といったLINEを球に送った。だが、それは何週間経っても、一か月以上経っても未読のまま。次第に、あ、私は大切にされてないからこそのこの対応なんだなと実感した。


この彼、優翔はその時の凪咲の好きな人であった。だからこそ身体も許せたし、心と身体の両方を繋がりとして求める凪咲はずっと一緒に居たいと思える相手だった。


ただ…いつだって、凪咲と関わった男たちは例外なく、凪咲の精一杯の優しさや思いやりや、大切に想う気持ちを一人残らず踏みにじってきた経験があって、その度に「この彼は違う。きっと解りあえる」と信じてきたのだがやはり皆裏切って凪咲の心も体もズタボロにしたのであった。


優翔に会うのは約三か月振りだった。それまでずっと連絡が来ず、凪咲は既に諦めていた。また裏切られた、と。

ところがある日、辛くて見れなかったLINEを久々に見ると優翔からのLINEが一週間前位に来ていたことに気づいたが、その時にはだいぶ気持ちも冷めていたので既読すらつけずに放置していた。その傍ら、今後この曖昧な関係をどうしようと考える隙はあったがまた辛い目に遭うだろうなと思っていたのでなるべく脳内に優翔の存在を表せないようにしていた。


勝手なことに、優翔は凪咲から三、四日ぐらい連絡や既読がないとすぐに追いLINEしてきて様子伺いをしてきた。スタンプ一個とか、くだらない内容。それも、暫く放置していた。すると一週間が丁度過ぎたあたり、怒っているんだろうなという空気感を孕ませて「何で返信せんの?待ってるんやけど」と絵文字もスタンプもないLINEが返ってきた。


なんと自分勝手な。


これが凪咲の脳内にひしめいた。


凪咲が数日おきに送っていた、優翔を心配するLINEは全て無視し続け放置し続けていた期間は一か月以上。その間、凪咲は心配でたまらなかったし夜もあまり眠れず翌日仕事にも関わらず睡眠がとれていなかった。昼間仕事をしている時も、副業で夜に作業を行っている時も愛情からくる心配の念は中々収まらず、既読もつかないから対処のしようもないから本当に苦しかった。


なのに、いざ自分が同じことをされると自分勝手な言い分を押し付ける彼に怒りを通り越して呆れた。自分勝手すぎるし、思想が幼稚すぎる、と。相手の立場に立って気持ちや苦労を理解していない者の台詞だな、と。



何も言わず、凪咲は取り敢えず近々話したいことがあるといい、会えないかと打診した。優翔は割とスムーズにこの時やり取りができたので、その週の週末に短時間だけ会うことになった。

その、第一声が冒頭の一言だったのだ。


「どんなって?」

少し俯いた優翔は小さい声で尋ねた。この反応は、察しているなと凪咲は感じた。


「私さ、優翔が連絡つかない間、ずっと心配してた。既読つかないし何の返信もない。何も言われない。もしかしたら倒れてる?仕事でなんかあった?とか。その期間、どのぐらいか覚えてる?一か月以上だよ。毎日不安で仕方なかったし、状況判らないままだと色々悪いことばかり想像してしまって何も手につかなかった」


そのまま、凪咲は続けて言う。優翔に口を挟む隙を与えさせなかった。


「心配するのは大切に想っている証なの。それを、一か月以上連絡も取れないで、やっと来たかと思ったらくだらない内容。もっと他にいうことあるでしょう。人に沢山心配かけておいて、どうして平気なの?私はその間、どんな気持ちで日常を過ごさないといけなかったか想像したことある?」


アイコスに手を伸ばした。ストレスで一日二箱は吸ってしまう。ただでさえ、月経不順でピルを飲んでいて血栓症のリスクが高まるのにストレスが半端なくて減らせなくなっていた。


「なのに、貴方はわずか一週間ぐらいで私に返事の催促してきたよね。それ、どういうことか考えたことある?私は貴方に心配の連絡を、返信もないし既読もつかない状態でずっと待ってた。でも貴方は自分勝手に、都合のいいように放置してた。同じことされたら、自分は怒るってどういうこと?俺はいいけど、お前はするなっていう自分本位な考え方を持ってたってことだと理解したの」


「いや、心配かけさせたくなかったから…」

「心配?連絡なかったら余計心配になるってなんでわからないの?しかも自分は同じことされて、どうしたんだろうって不安になって私に催促してきたんでしょう。この矛盾、まず理解できる?」


伝えながら、凪咲は胃の左側がキリキリと痛むのを感じた。ここのところ優翔のことが不安で、心配しすぎて体調をずっと崩していた。食欲はわかないのに何故か激辛のものを食べたくてしょうがなくなる。昨日は、夜中に起きだしてまた激辛ラーメンを思い切り食べたのだった。それが原因の一つだとわかっていた。しかも辛さに満足できず、またハバネロソースを大量に足して。舌が麻痺しているのか、どれだけ辛い物を食べても胃腸は痛むのに辛いと感じることができないまでにもなっていた。


優翔は何も言わない。

凪咲が関わってきた男たちは、都合が悪いときには黙り込むか、話している内容とは全く別の角度から話を持ってきてマウントを取ろうとするかのどちらかだった。何が何でも勝ちたい、という意識の表れだと解っていたが、お互いを理解し合う為に関りあう人間関係では平行線どころか、どんどん溝が深まるばかりなのにどうしてこうなるんだろうと何度も挫折してきた凪咲は悔しく思う。


お互いを理解し合おうとできない人は嫌いだった。特に、付き合いたいと思っている相手だったり深く関わりたいと思っている人ほど、その意識はとても強く、だからこそ凪咲は価値観の違いによるすれ違いが起きた時は相手の話を聞いて理解に努めた。ただ、今まで年下の彼が多かったせいなのか、ただ精神年齢が低いだけなのか、そうやって対等な関係性を築けた試しがない。そして、歩み寄りができないと悟ったときの凪咲の気持ちの冷め具合は急激だった。こちらがいくら努力しても歩み寄る姿勢がないのであれば、もう話しをする時間さえ無駄だと思っていたし、これ以上関わる必要性はないと思った。


聞けば、優翔にも言い分はあるということだった。連絡しなかったのは既読をつけてしまえば返事をすぐにしないといけないから中々つけられなかった、心配させてはいけないと思った、気を遣わせたくなかった、もっといい話をできるように、自分がちゃんと落ち着いてから話をしたいと思っていた、などなど。


それこそ、自分本位だった。相手のことを考えているように見えて、全て優翔目線。優翔の都合のいいように言われているようにしか思えなかった。実際、凪咲は「状況が見えないから不安になる、だからせめてスタンプ一個でもいいから送ってほしい」とどうしたら安心するかを伝えていたのだった。優翔は、それすら無視したのだった。


凪咲には、私の大切に想う気持ちを無視された、踏みにじられた、蔑ろにされたという気分だった。何をしたらいいかは既に伝えてあるのに、そして負担がないようにこちらも考えて伝えていた内容を、平気で無視する行動は信頼を一気に失ったのだ。こうなると、どんなに大切な相手でももう元には戻らなかった。これ以上歩み寄る努力をするつもりもなかったし、今会って話をしていることでさえ、“終わり”という決着をつけるためのものだった。


何か言いたげな優翔だったが、もう何を言われても受け入れられなくなっていた凪咲ははぁ…と一つため息と煙を同時に吐き出し、固く閉じられた心の壁の高さを改めて自分で感じ取ったのだった。早く、帰ろう。



「もういいよ、何も話すことないから。今日会いたいって言ったのは、貴方との曖昧な関係を終わらせるためだけだったし。時間取らせてごめんねー。今までありがとね。…本当の意味で、貴方が大切にしたいって思える彼女ができるといいね」



丁度吸い終わったアイコスをしまい込み、早々と帰る準備を始める。話をしていたのは、彼の車の中だった。さて、これからどこに行こっかな。


待って、と制止する優翔の声は聞こえないふりをし、そのままドアを開けて外に出る。彼の表情は窓越しだが見えない。いや、見るつもりがなかったという方が適切か。


いつも同じパターン。もう、流石に飽き飽きしていたし、優翔との関わりでもう人と関わることは諦めるつもりだった。凪咲がいくら大切にしたいと、行動に移し相手にも分かり易く表現しているのに、必ず相手はその優しさに甘んじておんぶにだっこ状態になる。


(私だって、頼りたい…)


切実だった。年上だからなのか。でも、年は関係ないのかも。

何でも許してくれる、どんなに雑に扱っても許容してくれると勘違いされるのだろう。遺憾だった。確かに、自分の許容範囲が一般の女性よりもかなり広いことはよく言われていたから自覚していた。「よく我慢できるねー、それ、怒っていいと思うよ!」と何度言われたことか。ただ、凪咲は人って完璧じゃないから、と口癖のように返していたし、守るべきところさえ最低限守ってくれさえいれば、ちゃんと仲良くやっていけると信じていた。

きっと、限度を知らない男たちでこの世の中は溢れているのだ。どこまで許してくれる?と試す行動ばかり体験してきて、でも浮気だったり他の女の影をしょっちゅうだしてきたり、付き合ってるのかな、と思っていた矢先に「最近男、できた?」とか言われ、じゃあこの関係性はなんなの、と何度腹が立ったことか。


成功体験が一つもなかった。小さい頃からもそうだし、一生懸命やってもやっても、失敗しないで平坦になったことはあれども成功を遂げたことがない。苦しみの先には成功ではなく、いつもの日常、いつもの、頑張らないといけない日常を送り、その内にまた苦しみがやってくる。


何のために生きているのかが本当にわからなかった。人生は修行、でも、その修行の先には幸せが待っていると思うからこそ耐えられる修行なのではないだろうか。だけど、どんなに苦労しても傷つけられても、大切にしたいという愛を踏みにじられても次こそは幸せになれると信じて頑張っていたが、数えきれない挫折ばかりに「前世で私は大罪を犯したのかな。その罪を償うためだけに産まれてきたのかも」としか思えなくなっていた。


それならいっそ、もう人生、終わりにしてもいいよね?


人気の居ないところに座り、改めてアイコスを手に取る。もう、健康すら意識しなくなった。表面的なところはまだ気を遣う余地はあったが内臓部分には手が回らない。だから、毎日のように身体の悪いものを摂取してしまう。それこそがストレス解消になった。着色料たっぷりのお菓子が主食だったり、毎日激辛のものを食べたり。胃の痛みが酷くなったことには気づいていたけれど、病院に行く気もなかった。無理矢理闘病させられて、この苦悩しかない人生を歩むぐらいなら気づかない内に病気に侵されとっとと死の世界に旅立ちたかった。



誰も理解してくれない。誰も寄り添ってくれない。誰も大切にしてくれない。



三年前、通勤中に骨折して誰も助けてくれない現実に毎日涙を流していた日々の記憶が蘇る。家族がいれば、ちょっとご飯買ってきてほしいとか、少し歩くの手伝ってほしいとか頼めるのに。実家には、幼い頃からずっと虐待を続けていた母と、凪咲のことを変な目で見る気持ちの悪い叔父しかいなかった。



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