第24話
「大野」
「岳」
「全く……二限目からは教室にいろよ」
「はいはい。それより、先生から何か状況説明はあった?」
「いや、何もない。でもこのままって訳でも無いだろう」
「そうだね」
教室から外を覗くと、青空がなりを潜めた空の下、まだ車は止まったままだ。教室は佐伯の話題で持ち切りのようだ。
もう直ぐ雨が降り、学校からの説明で同じ様な曇天に取り込まれるだろう。
「岳、学校で案外、楽しいものだね」
「何言ってんだ? 急に。当たり前だろ。貴重な青春の一ページだからな。大人になれば味わえない、貴重な年齢だと俺は思う」
彼らしい回答だった。そしてまさに今、自分もその青春とやらを味わっているのだろうか。青い春と言うのであれば、自分の場合は赤(せき)秋(しゅう)とでもいうのか。
「岳は、青春をしている?」
「ああ。俺は青春真っ只中さ」
しかし岳の顔は春には似つかわしくない表情だ。それでも彼は青春を謳歌しているという。
「そうだね。岳は青春を謳歌してそうだ」
「――ああ、謳歌してる。自分の青春を」
本鈴が鳴る。灰色の空からの滴が、教室の窓に点々とぶつかり次第にそれは形状が無いほどに大きくなっていった。教室には担任と副担任、校長と教頭が入ってきた。担任と副担任は肩を寄せ合うように出入口で固まっている。校長が教壇に立ち、教頭は二歩程離れ壁に密着するように立ち位置を決めていた。教室は只ならぬ状況にざわつき始める。
「特進クラスのみなさん」
小柄で白髪混じりの校長の低い声が教室の四隅まで伝わる。その一声で静かになった教室は、緊張の糸が張り詰めた。
「この年の特進は、中等部から上がる時に、そして少し前に不幸がありました。私はこれ以上、クラスにそのような事が起きないと信じていました。ですが神様は私のささやかなその願いを、砕いてしまった。今朝、ショッピングモールの近くの公園で、宮川くんが遺体で発見されました」
緊張が一気に恐怖へと変化し、喧騒、泣き始める生徒もいた。
「落ち着いて下さい。大丈夫です。警察の皆さんが、きっと犯人を見つけて下さいます」
すかさず僕は手を挙げた。
「犯人ということは、宮川くんは殺されたんですよね? どんな風に殺されたんですか?」
「それは……」
校長の口は、言葉を口内で噛み砕様に動いている。その動きは意味もなく口を動かしている老人を彷彿させた。波打つ口が止まると、校長は決意したように教卓を掌で抱え込んだ。その腕に力を入れているのが見て取れた。
「ニュースや新聞でいずれ知る事になるでしょうから、君の質問に答えましょう。宮川くんは身体を数か所、鋭利な刃物で刺されていました。警察は恨みを持った者の犯行かもしれないと考えているようです。ですが中津川先生から聞いた範囲では、彼がそのような人物ではなかったと信じています。が、人というのは些細なことで憎悪を抱きます。ですからもし、彼に関する情報を知っている生徒がいたら、惜しみなく協力をお願いします」
教室に蔓延していた畏怖が、薄れた気がした。まだ少し名残はあるがそこに、安堵が新しく芽生えたようだ。
特進クラスは皆が、素直な心を持った人間らしい集団。殺したのは野元海人ではなく、生きた人間だったからだ。確かに宮川を殺したのは、野元海人ではない。このクラスは常に、野元海人が用意した食卓の上でいつ自分が食われるのかと、ビクビクしながら過ごしてきた。
だが死んだ彼ではなく、この世に体を置き心臓を動かし、脳で考えその電気信号で体を動かす。その生者が物質を使って宮川を殺した。用意されたテーブルが実は無かったことに気が付いたのかもしれない。
クラスメイト達はその安堵感から、重要な事を今は忘れている。幽霊は刃物で人間を刺せない。佐伯、宮川とイジメに関係し、自分たちもその一員であったことを。そして今度は物質的な本当の恐怖が背後に迫っている事に気づいていない。
「早く気付けばいいのに……」
「大野?」
「え? ああ、何でもない」
期待で膨らむ胸から許容範囲を超え、つい言葉がこぼれ出てしまった。
学校責任者が出ていき、担任と副担任が、先ほどの校長と教頭と同じ立ち位置になっている。
「明日、全校集会があります。また今晩には、緊急に保護者を集めての説明も行われます。今から配るプリントを必ず保護者に渡してください。宮川くんのお葬式は三日後になります。出席希望者は、職員室で詳細が書かれた用紙を渡します。今日は色々と立て込んでいますので、午前中の授業は自習の予定です。午後は通常の授業をしますので、各自先生に従うようにしてください」
担任なりに声を張っているつもりだろうが、覇気がなく声を出すほど外の湿っぽさを教室に呼び込んでいるのを、本人も気付いていなかった。
外は灰色の空に覆われ、日中とは思えないほど暗い。教室の明りが妙に眩しく感じた。
担任副担任に入れ換わり、自習担当の教師が入ってきた。手にはプリントの束がある。僕はもう一度逃げる事を企てたが、岳の強い視線が僕を縛りつけ、諦める事にした。
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