第10話

 僕は冷静に飛び降りた人間の状況はこういうものかと考えていた。同じ様な考えを持つのかどうか分からないが、観察するように見ている生徒もいる。またそれを写真に収める生徒もいた。でもその死体が誰なのかは、周りもまだ分からないようだった。

 喉の渇きが満たされたように満足した僕は、当たりを見まわした。ちょうど右斜め前に岳の姿を見つけた。すこし人にぶつかりながら僕は彼を呼んだ。


「岳」

「――」

「岳!」


 体を揺さぶってやっと僕の事に気付いたらしい。あの惨状には仕方が無い事だろう。


「……あ、ああ……大野か」

「向こうに行こうか」

「ああ」


 校舎にそって歩きだしたが、途中しゃがみ込む込む生徒がところどころいて、それを避けながらの移動だった。

 岳は魂が抜けた様に歩いている。さっきまで走っていたせいか、息が荒く肩が定位置におさまらず、熱気と汗臭い香りが風に運ばれてくる。

 正面の辺りまで来るとほとんど人の姿が無くなり、適当な所で僕達は座る事にした。


「岳、大丈夫かい?」

「ああ」


 顔を覆いながらアレを見た事を後悔しているのだろう。僕は岳の背中をそっと撫でてやった。背中にはまだ熱気が籠っている。若干、気持ちは悪かったが直ぐに慣れた。


「あれ、誰なんだろうな」

「……佐伯」

「え?」

「あれ佐伯だよ」


 佐伯はクラスメイトだ。そしてあの三人の内の一人だった。


「そうか、彼だったのか。僕には分からなかったよ」


 一瞬、彼の全ての機能が停止したように感じたが直ぐに、何も無かったように話し出した。


「あいつが持っていたキーホルダーが落ちてたから」

「そうだったんだ」


 僕は死体が作った芸術に目を奪われていたので、それには気付かなかったのかもしれない。仮にそれを見たとしても、僕にはそれが佐伯の持ち物だとは分からなかっただろう。岳とは違い、彼以外とはほとんど付き合いがないからだ。


 遠くからサイレンの音が重なり合っている。赤いランプがくるくるとおもちゃの様に見えた。校内から生徒は直ちに帰宅するようにと放送が流れている。岳が落ち着いたので無言のまま立ち上がり、僕は図書室へ荷物を取りに行った。


 カバンを持つと、岳がいる部室の前で待つ事にした。そう言えばなぜ、岳は今日自分を誘ったのか理由を聞いていなことに気付く。彼が何処に住みどういう経路で通学しているのかも知らない。岳とはお互いの詳しい話をした事が無かった。

 壁に凭れ岳の事を考えながらも、図書室から見た風景を思い出していた。向き合っていた二人は何をしていたんだろうか。何か話をしていたのか。でも飛び降りたのは佐伯自らだった。もう一人の彼はただ見ていただけだ。


「大野」


 疲弊した岳が部室から出てきた。その顔色は良くはない。


「大丈夫かい?」

「ああ」


 ここからあの現場は目には入らないが、部室が並ぶ通路をでるとその様子は直ぐに目に飛び込んできた。警察の黄色いテープが遠目でも分かる様に、風でヒラヒラと揺れている。さっきまで野ざらしにされていた場所には青いビニールが簡易テントのように張られ、すでに死体の様子を見る事は出来なくなっていた。


 パトカーに並んで救急車が止まっていたが、運ぶのは少なからず生きている人間。飛び降り自殺などをした時どうして救急車が駆けつけるのか、実際に現場にいて初めて違和感を覚えた。くるなら霊柩車を率いた葬儀屋じゃないのかと。


「どうした大野?」

「いや、なんでもない。それより今日誘われた理由を聞いてないなと思って」

「ああ……ああ、そうだよな。いや、駅にショッピングモールがあるだろ? 久々にゲーセンにでも行きたいと思ってさ」


 でも岳の顔は、傾きだした陽に当たっている中でさえ、青く死人のように色がない。


「今日は帰った方がいいんじゃないか? 顔色が悪い。親も心配するだろうし」

「あ、俺一人暮らしなんだ」

「え?」

「家庭の事情ってやつ。だからそのショッピングモールでバイトもしてる」

「そっか」


 僕は、それ以上は何も聞かなかった。話したければ本人から言ってくるだろう。


「これからどうする? ゲーセンに行くなら別にいいけど」


 岳は考え込んでいた。今日の事を少しでも記憶から消したいと思っているのかもしれない。反対に自分は、あの光景を写真の様に脳裏に焼きつけたいと思っている。本当はその余韻に独りでゆっくりと浸りたかった。反面、岳と一緒に時間を共有し、彼を観察してみたいという欲求もある。結果は、岳の返事で決まった。


「ごめん。今日はやっぱり帰りたい……待たせておいて悪いけど」

「構わないよ。途中まで一緒に帰ろうか」

「ああ」


 事故現場は正門の横にある校舎のため、どうしても横切らなくてはならない。僕は平気だったが、岳の顔色を失ったままで、明後日の方向を見ながら歩いていた。僕は岳がこちらを気にしていないことをいいことに、その様子を網膜に焼き付けるように横切った。門を出たところで岳はやっと首を正常な位置に戻すと、静かに口を動かし始めた。


「いつもは自転車で通学してるんだ。でも今日はバスできた。大野を誘うつもりだったから」


 日常を手繰り寄せようとしているのかもしれないが、少し空気が振動しているような気もする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る