おにぎり高校登山部

ポチョムキン卿

第1話 おにぎりの味がする学校

 新学期の朝、霧が晴れるように静かな町に、電車がカーブを曲がるときの警笛がこだました。


 春野はるのむすびは、鬼切おにきり駅前からの坂道を登りきって着いた「おにぎり高校」の正門を見上げた。瓦屋根の木造校舎、どこか懐かしくも古びた外観。けれど、校名の看板だけがちょっぴり新しい文字で書き直されていた。


 「……ほんとに“おにぎり”って書いてあるんだ」


「カバンの中とおんなじ」 鞄の中では、祖母ばあちゃんが今朝握ってくれたおにぎりがほんのりとぬくもりを残している。


 新しい制服のスカートのすそを気にしながら、むすびは体育館脇のコンクリート縁に腰を下ろした。教室に入る勇気が、まだ半分も湧いてこない。


 「……あー、緊張してお腹すいた」


 鞄を開け、包みをそっとほどいた。ふっくらとした三角形。白いご飯の中から、ほんの少しだけ梅干しの赤が透けて見える。


 「ばあちゃん……やっぱり、うまいよ」


 一口噛んだ瞬間、塩と梅と、ふっくらした米の甘さが舌に広がる。心のなかのもやが、少しずつ晴れていくようだった。


 「——あら?」


 ふいに、ななめ背後から明るい声がかかった。


「あらぁ、見ない顔ね?こんなところで朝食、それともお昼?」おどけた風に声をかけて来たのは二年生の海苔川ちまきだ。



 振り返ると、ポニーテールの女子生徒が立っていた。笑顔で、体ごとこちらに向かってくる。


 「ああ、どうも……2年に転入してきた”春野むすび”です」

 「春野さん、うちとおんなじ学年だね。うち、”海苔川のりかわちまき”よそれ、おにぎり? 美味しそうだね」言いながらちまきは目を輝かせる。


 むすびはちょっと戸惑いながらも、ひとつ残ったおにぎりを差し出した。


 「……食べる?」もったいなさそうに言った。


 「えっ、いいの? やった!」ちまきは両手を前で合わせて拝むように喜んだ。


 まさか本当に食べるとは思ってなかった。ちまきと名乗ったその女子は、嬉しそうに大きな口を開けて、おにぎりにかぶりついた。


 「……あ、あはは……」


 むすびは唖然としながらも、何だか少しおかしくなった。まさかこんな風に、おにぎりで会話が始まるとは。


 ちまきは、口の端についたご飯粒をぺろっと舌でとりながら言った。


 「ん〜〜、やっぱおにぎりっていいよね。うち、おにぎり屋なんだよ。だからあたしも握るの得意でさ。食べてみる?」


 「えっ?」


 気がつけば、ちまきが小さな包みを開けていた。中には、ほんのり緑がかった高菜混ぜのおにぎり。ゴマが散らされていて、見るからに手がこんでいる。


 「……いいの?」


 「もちろん。交換ってことで!」


 むすびはそれを受け取り、おそるおそる口に運んだ。


 「……なにこれ、おいしい……うちのばあちゃんのおにぎりに負けてない……!」


 「ふふっ、それ、あたしが握ったんだよ」


 「えっ……」


 思わずむすびは目を見開いた。


 「すごい……ほんとにおいしいよ」


 その瞬間、なにかがふっと軽くなった。まだ慣れないこの町も、この学校も、少しだけ優しく見えてきた。


 ——それから数日後。


 むすびとちまきは、すっかり仲良くなっていた。昼休みには一緒におにぎりを食べ、授業が終われば並んで下校する。


 そんなある日。


 「ねえ、クラブ活動ってもう決めた?」


 「うーん……まだ、なにも……」


 「じゃあ、ちょっと付き合って! 絶対、春野さんに合うと思う!」


 引っ張られるままに、むすびは校舎裏手の一角へ連れて行かれる。


 軋む階段を上がると、小さな木造の部室棟があった。ドアの上には、手書きの看板。


 《おにぎり高校登山部》


 「……え、なに、これ。“おにぎり”なの? “登山”なの?」


 むすびはきょとんとしたまま、看板を見上げた。


 「うん、両方! 山登って、山頂でおにぎり食べるの。最高だよ〜!」


 「……へ、変な部活」しょうもないって顔をしてぼそっと言った。


 「でしょ? でもさ、人生も登山も、おにぎりで乗り越えるんだよ?」と、意気高々気にいう。


 きらきらした目で言われて、むすびは思わず笑ってしまった。


 「……なんか、ちょっと面白そうかも」


 そしてその日、春野むすびの“おにぎりと山”の日々が、ゆっくりと始まったのだった。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る