Op.25 回想部 6/7 - F.F.C. 怯え恐れた

【フレデリカ視点】


 ユリウスと出会ったのは、ピアノを作り始めてから半年が経った頃だった。マレックの言ってることが半分ぐらいわかってきて、いよいよちゃんとパーツを削り出し始めた時期だった。塗装の練習をしすぎた結果、いよいよ塗料の在庫が少なくなってきたのだ。微妙に木材も不足してきている。


『どっかいくの?』


『ちょっと塗料買ってくる! あんまり下手にイジんないでよ!』


 溜め込んだ小遣いを握りしめて、地下室を飛び出す。ルーが何か言ってたような気がするけど、気にしなかった。


 生憎、その日は大雨だった。神父に許可を取っていなかったな、と内心反省しながら街中を駆け足気味に進む。塗料の詰め込まれた缶を背負い、弾かれる雨粒の音を聞き、先ほど買ったばかりのパンを一口齧る。そして路地を曲がったときに、そこに彼はいたのだ。雨の中で蹲るユリウスが。


 三年前の自分をふと思い出す。すれ違う人と互いに無視を決め込み、路傍で膝から崩れ落ちたあの日のことだ。あの日の自分と、今の彼が重なった気がした。こういうとき、英雄ヒーローならどうするのだろうか。自分はそうじゃないと分かっているのに、そんなことを考えてしまった。


『大丈夫……じゃないか』


 気がついたら、背中が濡れることも厭わずに、自分の傘を傾けていた。


 すっかりと気絶してしまった彼を抱え、雨の街を駆ける。助けると決めたのだ。もう大丈夫と、任せてと宣言したのだ。だから、一刻も早く孤児院へと。


『……久々に使うなぁ』


 三年ぶりに使った不思議な力トゥーナは、驚くほど速やかに馴染んだ。ぐんぐんと加速しながら、誰もいない灰色の街中を突き進む。やがて建物の代わりに木々が林立し始めた。森のどこかからか視線を感じたけれど、そんなものは気にしていられなかった。


 遠方に見慣れた建物が見える。安堵を覚えたところで、ふと、建物の前に誰かが立っていることに気がついた。よく目を凝らすと、それは見慣れた老人だった。


『うわぁっ!?』


 一瞬真っ白になった思考が、不思議な力を何処かへと消し去ってしまう。無理やりブレーキをかけるために、ぬかるんだ地面へと足を突き出した。


『ふぅ……』


 ゴリゴリと泥を削り、なんとか止まれたあたしは安堵の息を吐く。あとはユリウスを建物の中に入れれば良いのだ。……何か忘れている気がする。


『……フレデリカくん』


『……あ』


 顔を挙げると、見事に泥をおっ被った神父が仁王立ちしていた。雷鳴が響くとともに、そのメガネが閃光を反射した。




「……そっから先は、一応ユリウスから聞いたんだっけ」


「はい。あと、フレデリカさんとルイーゼさんが毛布で縛られたっていうのも」


「盛大に泥かぶせておいて、ほんとよくあれだけで済んだよね。あたしのせいで孤児院の財政がちょっと危ういってのに、あまつさえ新しい子まで連れてきちゃってさ。しかも結局神父やマレックがユリウスの面倒見てたんだよ? 後先考えずに助けておいて、あとは全部丸投げとか最悪じゃん」


「でも、ユリウスさんはずっと恩を感じているそうですよ。あそこでフレデリカさんが助けていなかったら……」


「あたしは英雄ヒーローの真似事をしただけだから。誰かを助けたいっていうそんな高尚な想いじゃなくて、ただ憧れを捨てられなかったから助けたんだ。綺麗さっぱり諦めてたら、きっと無視して帰ってたんじゃない?」


「でも……」


「結局、あたしはそういう器じゃないんだよ。一見善いことをすれば、そのときはみんな褒めてくれたり感謝したりしてくれるでしょ? それで自己満足したいだけだった。生憎、この頃はまだ自覚してなかったけど」

 

「……ほら、とっとと次いくよ。あんたが見たいって言ったんだから、最後まで付き合ってもらわないとね」




 それから一年と四半期。ピアノが着々と完成に向かうにつれて、不審者の……不審者どもの現れる頻度は増えていくばかりだった。数回ほど夜中に侵入されたこともある。あたしも、一回ばったりと出くわしたことがあった。地下室に忘れ物を取りに行った、その帰りのときだった。へんてこな仮面を被った男だった。


『うわっ……?!』

 

 目が合ったとき、驚きで思わず固まってしまった。けれど、数秒後に響いた鈍い金属音二発が、その男を一瞬で気絶させる。その背後から現れたのは、バットを持った少年二人。


『またこいつらかよ! ったく、不寝番ってのは辛いぜ』


『もう少し威力が出ると早く済むんだけどな』


『……ありがと』


 サイモンとアダムが、どうやら勝手に夜間警備をしているらしかった。神父もこのことは知っていて苦々しい顔をしていたけれど。しかし、どういうわけか警察が動いてくれないのだ。最初はそうじゃなかったのに、今では一人も様子を見にさえ来なくなってしまった。短く感謝の言葉を告げて、そそくさとあたしは自室へと戻った。


『……なるほど、分かりました。君に怪我がなくてひとまず安心しましたよ』


 後日神父にそのことを報告すると、彼はどこか苦々しい表情を浮かべた。過激になってきている不審者に動かない警察、挙句には子供が自ら警備しているという事実。それらがのしかかってきているのだろう。しばし雑談したのち神父の部屋を出る。扉を閉める直前、なんとなく振り返ったとき。


『……』


 いつもとは違う、えらく真剣な横顔が見えた。僅かに左右へ動く瞳孔は、彼が何かを読んでいるということを暗に伝えていた。あたしが見つめていることに気が付いた彼は、いつも通りの優し気な笑みをこちらへと浮かべた。


 その日から神父は、ずいぶんと忙しそうな様子を見せるようになった。食堂にて調理を終えたらすぐに自室へと籠り、絶対に不審者が現れないタイミングを見計らっては街へと降りていく。あたしも含めて、みんな不思議に思っていた。


 そんなある日、食事の時間にはまだ早いのに、あたしたちは食堂に集められた。最初はガヤガヤとしていたけれど、遅れてやってきた神父を見て、皆が驚くほど静まり返る。


『みなさんにお話があります』


 苦々しさ、深刻さ、決心。酷い隈の目立つその顔に、そんないくつもの感情が入り乱れているのが分かった。


『……みなさんを、友人に引き取ってもらうことになりました』


『……は?』


 神父の言葉に、誰かが声を漏らした。それを皮切りに、食堂はどよめきに包まれた。あたしだって狼狽せざるを得なかった。


『ねぇ、どうしていきなり……』


 アリツィアの問いかけに、神父は小さなため息混じりに答えた。


『不審者たちが何度もここに侵入していると聞きます。アダム君とサイモン君が深夜警備を買って出てくれているようですが……それでも、君たちみたいな子供を危ない目に合わせるわけにはいきません。けれど、警察は動いてくれませんし、私もこんな老ぼれです』


『……だから、信頼できる友人に?』


 マレックの確認に、神父はゆっくりと、重苦しく頷いた。


『でも、神父の友達なら同じくらいヨボヨボなんじゃないの?』


『そ、そうだぞ! ジジババだったら結局そんな意味ねーじゃねーか!』


 ルーの言葉に便乗して、サイモンが叫ぶ。普段であれば彼を咎めるアダムも、この時ばかりは口を閉じていた。


『彼女は少々、珍しい経歴の持ち主でして。私の口から説明するには、少し難しいですが……来年には来てくれると言います。私もこのような判断をしたくはありませんでしたが……本当に、申し訳ない』


 彼の拳は力強く握り締められていて、ぶるぶると震えていた。今にでもそこから血が垂れてしまいそうに思えた。


『……』


 ユリウスは不安そうに俯いている。ミレナはマレックにしがみつくようにして、その体を震わせていた。あたしは、なんとか言葉を吐き出そうとしたけれど、上手いことできなかった。何かを言いたいという気持ちだけがあって、けれどその内容を整理できるほどの余裕は、あたしの心には無かった。


『……これからの一年は、みなさんがここで過ごす最後の日々になります。一日一日、良い思い出としていきましょう』


 あっという間に憂鬱な空気に包まれた中で、今日は解散となった。抗議の声を上げる元気も、たった数十分の集会で、全員分削がれてしまった。普段柔和な神父が、あそこまで暗く固い表情を浮かべたことがなかったから。それだけ彼が強く決意しているということを、みんなすぐに理解したのだ。


 まあ、だからと言って、みんなの日々の送り方が酷く変わったわけではなかった。マレックとアリツィアは相変わらず図書室でユリウスに勉強を教えていたし、アダムとサイモンは遊戯室でトランプ遊びに興じていた。ミレナはみんなに手作りのお菓子を振る舞っている。


 あたしとルーも相変わらず、地下室に半ば引き篭もった状態だった。


『ねぇ、もうちょっとゆっくりやってもいいんじゃない……?』


 でも、今までとの違いがあるとすれば。あたしの大工作に、実質的な期限が生じてしまったことだった。ここから離れることになるのは、きっと覆せないことだ。ならばせめて、このピアノだけでも完成させたい。そんな思いがあたしを焦らせていた。


 ルーの言葉を無視して、作業に没頭する。細かいパーツの削り出し、研磨、もろもろの計算。ありとあらゆることが忙しくて、夜通しここにいることも多くなった。それでも、なかなか作業は進まない。はやる気持ちが何度も手を滑らせたのもある。


 けれど実は、ルーがいることが原因でもあった。


『……』


 夜中、ルーがいないタイミングを見計らって、あの不思議な力トゥーナを行使する。ピアノの側板となる合板を作り、曲げるために。流石にプレス機を置けるようなお金もスペースもなかったから。


 ルーにこの力を見られたら、あの日のコヴァルスキさんみたいに、酷く怯えられるに違いない。そう思っていた。だから、あの子の前では使えなかったのだ。


『ねぇ、これどうやって曲げたの?』


『秘密』


 けち、とぶーたれるルーを一瞥する。この子なら寧ろ、目をキラキラとさせながら質問攻めにしてくるのかもしれない。けれど、もしも怖がられて、距離を置かれたら。そんなこと考えたくもなかった。


 結局、みんなの前でとっととこの力を使ってみれば良かったのだ。怖がられたら前の日々に戻るだけ。受け入れてもらえたら今の日々が続くだけ。でも、そこまで割り切れるほどあたしの心は強くなかった。


 もう少し早く勇気を振り絞れていたら、みんなと離れ離れになることはなかったのかもしれない。あたしにとって、一番大きな後悔だ。

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