第10話 「お前がいい」なんて、最高の殺し文句

「え? ええええええええっ!?」

「わ、私が、ステージに……!? アイドルとして、歌って、踊る……!? 神代くんと、デュエットで……!?」


私の絶叫が、特別資料室の、古めかしいシャンデリアをビリビリと震わせた。


「む、無理です! 絶対に無理です! だって私、ファン科ですし! 運動音痴ですし! 人前に立つのも苦手なのに、歌って踊るなんて、地球がひっくり返ってもできません!」


首を、ちぎれんばかりに横に振る私。

そんな私を、月読先生は、にこにこと楽しそうに眺めている。


「残念ながら、これは決定事項です。『オリジン』の力は、ただ客席からファン力を送るだけでは、その真価を発揮しません。ステージ上で、パートナーである『アルカトラズ』の輝きに、直接触れることで……つまり、共に歌い、踊ることで、初めて二つの力は共鳴し、覚醒への道を歩み始めるのです」

「そんな、無茶苦茶です……!」


泣きそうになる私。

すると、今まで腕を組んで黙っていた神代くんが、ゆっくりと口を開いた。


「……いいだろう」

「へ?」

「俺が、こいつをステージに立たせる」


その声は、静かだけど、有無を言わさぬ力がこもっていた。

彼は、月読先生を、鋭い視線で射抜く。


「俺のプロデューサーは、俺がプロデュースする。……文句、あるか?」


ズキュン!!!


な、なんて、男前なセリフ……!

私の心臓が、とんでもない音を立てて跳ね上がった。

神代くんは、私の手を取ると、「行くぞ」とだけ言って、特別資料室をずんずんと出て行く。


「え、あ、ちょ、ちょっと、神代くん!?」


こうして、私の意思とは全く関係なく。

神代玲くんによる、私のための、地獄(ときどき天国)のアイドル特訓が、幕を開けてしまったのだった。



「声が小さい! 腹から声出せ!」

「音程がずれてる! 俺のピアノの音をよく聴け!」


音楽室に、神代くんの厳しい声が響き渡る。

私の歌は、蚊の鳴くような声で、音程もふらふら。自分でも、あまりのひどさに泣きたくなる。


「ご、ごめんなさい……」

「謝るな。もう一回だ」


でも。

彼が弾くピアノの音は、すごく優しかった。

私が歌いやすいように、何度も、何度も、同じフレーズを弾いてくれる。

その、真剣な横顔を見ていると、怒られているはずなのに、胸の奥が、きゅん、と温かくなる。


歌のレッスン以上に、絶望的だったのが、ダンスレッスンだった。


「なんで、手と足が一緒に出るんだ!」

「右って言ったら、右だろ!」


鏡の前で、神代くんが頭を抱えている。

私には、ダンスの才能が、壊滅的に、なかった。

簡単なステップすら、踏めない。


「……チッ、しょうがねぇな。こっち来い」


見かねた彼が、私の後ろに立った。

そして。


「こうだ、バカ」


彼の、骨張った手が、私の腰に、そっと回された。


「ひゃっ!?」

「うるさい。力を抜け」


背中から、彼の体温が伝わってくる。

耳元で、彼の低い声が響く。

彼の動きに合わせて、私の体が、ぎこちなく揺れる。

もう、何がなんだか分からない。心臓が、口から飛び出しそうで、ダンスどころじゃなかった。


「……おい、聞いてるのか。顔、赤いぞ」

「き、気のせいですっ!」


地獄の特訓の中に、時々、こんな風に、天国みたいな瞬間が訪れるから、私の心臓は、本当に、休まる時がなかった。


「もー! 紬っちをいじめないでよ、神代!」


そんな私たちを見かねて、助っ人に来てくれたのが、きらりさんだった。


「女の子には、もっと優しく教えるの! はい、紬っち、まずはストレッチからね! 体幹を鍛えないと、ダンスは踊れないんだから!」


きらりさんは、私に効果的なトレーニング方法を教えてくれたり、休憩時間には、面白い話で笑わせてくれたり。

それだけじゃない。


「デュエットの衣装、まかせときな! あんたたちが、宇宙で一番輝ける、最高のデザイン、考えといてあげるから!」


そう言って、ウインクしてくれた。

きらりさんの存在が、ボロボロになりかけていた私の心を、何度も、何度も、救ってくれたんだ。



だけど。

評価会が近づくにつれて、私の心は、どんどん追い詰められていった。

練習すればするほど、自分と神代くんとの、圧倒的な才能の差を、思い知らされるから。


(私じゃ、ダメだ……)

(私が、神代くんの足を、引っ張ってる……)


焦りと、プレッシャーと、申し訳なさで、胸が張り裂けそうだった。

そして、ついに、私の心の糸は、ぷつりと切れてしまった。


「……ごめんなさい。やっぱり、私には、無理です……!」


私は、音楽室を、飛び出してしまった。


「おい、待て!」


追いかけてくる彼の声も、聞こえないふりをした。

中庭まで走って、一人、膝を抱えてうずくまる。

どうして、私なんだろう。

私じゃなければ、神代くんは、もっと、楽に、勝てるはずなのに。


「……逃げるのか」


冷たい声が、頭上から降ってきた。

顔を上げると、神代くんが、私を、冷めた目で見下ろしていた。


「私じゃなくて、もっと、ダンスも歌も上手な、アイドル科の子と、組んだ方がいいです! 私じゃ、あなたの迷惑になるだけだから……!」


涙ながらに、そう訴える。

それが、彼のためなんだって、本気で思ってた。


「……俺は」


彼は、静かに言った。


「お前がいい」

「……え?」

「他のやつと歌う気はねぇ。お前の声じゃなきゃ、意味がないんだ」


彼の、真っ直ぐな瞳。

そこには、何の嘘もなかった。


「俺たちのデュエット曲の歌詞、忘れたのか。『君の声が、俺の孤独な世界に、初めて色をくれた』。……あれは、お前のことだ」


(……!)


「それに」


彼は、気まずそうに、ふいっと視線をそらした。


「……お前の一生懸命な顔、見てんのは……別に、嫌いじゃねぇ」


きゅぅぅぅん……!


それは、彼なりの、最大限の、不器用なエール。

私の、冷え切っていた心に、温かい光が、じんわりと、広がっていく。

もう、逃げちゃダメだ。

彼の、この想いに、応えたい。


「……ありがとう、神代くん」


私は、涙を拭って、立ち上がった。

もう、迷わない。



そして、デュエット評価会、前日。

私たちの特訓は、最後の仕上げに入っていた。

ぎこちなかった私のダンスと歌は、まだ完璧とは言えないけど、それでも、見違えるほど、形になっていた。

何より、私たちの間には、言葉なんていらない、パートナーとしての、強い信頼感が生まれていた。


そこへ、きらりさんが、大きな衣装ケースを抱えて、飛び込んできた。


「じゃじゃーん! できたよ、二人の、勝負服!」


ケースの中から現れたのは、夜空をイメージした、深い藍色の生地に、銀色の星屑が散りばめられた、お揃いのステージ衣装だった。

神代くんはクールなパンツスタイル、私は、ふわりと広がるスカート。

デザインは違うけど、同じ布地で、同じ星の刺繍がしてあって、一目で、ペアだって分かる。


「すごい……! きれい……!」

「でしょー! さ、着てみて、着てみて!」


試着室で着替えて、二人で、鏡の前に並んで立つ。

なんだか、すごく、照れくさい。

お互いの姿を見て、顔を見合わせることもできなくて、二人して、俯いてしまった。


そんな、甘酸っぱい空気の中。

月読先生が、ひょっこりと、音楽室に顔を出した。


「いい顔になりましたね、お二人さん」


先生は、にこりと微笑むと、一枚の楽譜を差し出した。


「これが、君たちが明日歌う、新曲のタイトルです」


そこに書かれていたのは、『オリジン・リンク』という文字だった。


「この曲は、ただのデュエットソングではありません。二つの力が完全に『リンク』した時、奇跡が起こると言われている……いわば、『魔法の呪文』です」

「魔法の、呪文……?」

「ただし、失敗すれば……」


月読先生の、笑顔が、少しだけ、深くなる。


「失敗すれば、どうなるんですか?」


私の問いに、彼は、にこやかな笑顔のまま、さらりと言った。


「小鳥遊さんの『オリジン』の力が暴走し、神代くんの『アルカトラズ』……彼の輝きそのものを、喰らい尽くしてしまうかもしれませんね」


ゾクッ……。


背筋を、氷水が伝うような、悪寒が走った。


成功すれば、奇跡。

失敗すれば、彼の存在が、消える……?


そんな、究極のハイリスク・ハイリターンなステージが、明日、私たちを待っているなんて。

私の顔から、さっと、血の気が引いていくのが、自分でも分かった。

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