第7話 君という星が、道を示したから

『明日は、お前だけのために歌う』


あの言葉を、お守りみたいに胸に抱いて、私はほとんど眠れない夜を明かした。

期待と、不安と、そして、今まで感じたことのない種類のドキドキで、心臓がずっとふわふわしているみたい。


そして、運命のパフォーマンス評価会、当日。


会場の第一ホールは、開演前から、とんでもない熱気に包まれていた。

きらりさんや、ゲリラライブをきっかけに仲良くなった子たちと合流する。


「紬っち! いよいよだね! 見てよ、この手作りの応援ボード!」

「小鳥遊さん、おはよう! 今日は、全力でファン力送るから!」


みんなの笑顔に、少しだけ緊張がほぐれる。

私はもう、一人じゃないんだ。


楽屋へと続く廊下を歩いていると、ちょうど、出番を終えたばかりの来栖ハヤトくんとすれ違った。

彼は、汗一つかいていない涼しい顔で、私に気づくと、にこりと微笑んだ。


「やあ。君のアイドルの出番は、もうすぐだね」

「……!」

「僕のステージ、どうだった? まあ、僕のファンたちが、最高に盛り上げてくれたからね。あの後じゃ、誰が出ても霞んじゃうかもしれないけど」


キラキラの笑顔で、さらりと言われた、痛烈な一言。

彼の周りにいるファン科の生徒たちが、くすくすと笑う。


ズキッ、と胸が痛む。

違う。神代くんだって、負けてない。

でも、その言葉を、私はうまく返すことができなかった。


楽屋のドアを開けると、神代くんは、壁に寄りかかって、静かに目を閉じていた。

ステージ衣装に着替えた彼は、黒を基調とした、シャープでクールな出で立ち。いつもより、ずっと大人びて見える。

その姿に、思わず息を飲んだ。


「……来たか」


彼は、ゆっくりと目を開けた。

その瞳は、静かな湖みたいに澄んでいるけど、奥の方では、青い炎が燃えているのが分かる。


「は、はい。あの、さっき、ハヤトくんのステージを……」

「見てた。……すげぇ、ステージだったな」


彼の声には、嫉妬や焦りじゃなくて、純粋な賞賛がこもっていた。

そして、彼は、私の目を真っ直ぐに見た。


「だが、俺は、俺のやり方で、あいつを超える」


その瞳には、私への、絶対的な信頼が宿っていた。

もう、言葉はいらない。

私たちは、二人で一つの、最強のチームなんだ。



『さあ、それでは、エントリーナンバー最後の出場者です! 先日のゲリラライブで、一躍、学園の注目の的となった、この男! アイドル科一年、神代玲!』


司会の声と共に、会場の照明が落ちる。

いよいよ、彼の出番だ。


舞台袖で、神代くんが、ふぅっと、細く息を吐いた。

その手が、ほんの少しだけ、震えているのに、私は気づいてしまった。

いつも自信満々で、不遜な彼が。

本当は、怖がってるんだ。

たった一人で、絶対王者(ハヤトくん)が生み出した、熱狂の海に飛び込もうとしているんだ。


(私が、支えなきゃ)


私は、彼の震える手に、自分の手を、そっと重ねた。

びくっ、と彼の肩が揺れる。


「大丈夫です」


私は、彼の瞳を、真っ直ぐに見上げた。


「神代くんは、一人じゃありません。きらりさんがいます。応援してくれる、みんながいます。そして……」


ぎゅっと、彼の手を握りしめる。


「私が、います。あなたの、世界で一番のファンが、ここにいます」


かつて、彼に言われた言葉を、今度は、私から、彼に送る。


神代くんは、驚いたように、大きく目を見開いた。

そして、やがて、その口元に、ふっと、柔らかい笑みが浮かんだ。


「……ああ、分かってる」


彼は、私の手を、強く、強く、握り返した。

その熱が、「信じてる」って、伝えてくれていた。


彼は、ステージへと歩き出す。

その背中は、もう、少しも震えてなんていなかった。



ステージの中央に、神代くんが立つ。

ハヤトくんのステージが終わったばかりの会場は、まだ興奮の余韻で、少しざわついていた。


やがて、静かなピアノのイントロが、会場に響き渡る。

私と彼が、二人で作り上げた、たった一つの曲。

『アルカトラズ・スター』。


神代くんが、ゆっくりと息を吸い込む。

そして。


『――硝子の箱庭で、偽物の空を見ていた』


その第一声が、放たれた瞬間。

会場の空気が、びりびりと震え、一瞬で、静まり返った。


ハヤトくんの、キラキラした王子様みたいなステージとは、全く違う。

聞く人の心の、一番柔らかい場所を、直接掴んで、揺さぶるような、切実で、力強い歌声。


(届け……届け、私のファン力!)


私は、客席の最前列で、祈るように両手を組む。

私の体から、ありったけの『好き』が、黄金色の光の粒子となって、ステージ上の彼に、降り注いでいく。

光のオーラを纏った彼は、まるで、神話の中の英雄みたいだった。


『届かない光だと、諦めていたのは、昨日までの僕だ』


歌いながら、彼は、ゆっくりと踊り出す。

それは、ハヤトくんみたいに、計算されたファンサービスのためのダンスじゃない。

彼の、魂の叫びそのものが、動きになったような、荒々しくて、美しいダンス。


『君という星が、僕の空に、道を示したから――』


その瞬間、彼が、私を、真っ直ぐに見た。

何百人もの観客がいる中で、彼の瞳は、確かに、私だけを捉えていた。


(……! お前だけのために歌う、って、そういう、意味……!)


顔が、カッと熱くなる。

心臓が、張り裂けそう。

でも、嬉しくて、誇らしくて、たまらない。


私は、涙で滲む視界の中、彼に、最高の笑顔と、世界で一番強いファン力を、送り続けた。


曲のクライマックス。

彼の歌声は、絶望の淵から、光に向かって手を伸ばす、力強い叫びへと変わる。


『――今、この牢獄(アルカトラズ)を壊して、君だけの星になる!』


すべての想いを解き放つように、彼が天に手を突き上げた、その瞬間。

彼の背中から、まるで、光の翼が生えたように見えた。



曲が、終わる。

神代くんは、肩で大きく息をしながら、天を仰いでいた。

その頬を、汗なのか、涙なのか分からない雫が、伝っていく。


会場は、水を打ったように、静まり返っていた。

誰も、声を発することができない。

それほどの、圧倒的な感動が、ホール全体を支配していた。


その、永遠にも思える静寂を破ったのは、一人の生徒の、嗚咽混じりの、小さな拍手だった。

それが、まるで合図だったかのように。

一人、また一人と、拍手が伝染していく。


やがて、それは、地鳴りのような、割れんばかりの拍手と、歓声の嵐に変わった。


ワァァァァァァッ!!


「すごい……! 神代、最高……!」

「泣いちゃった……こんなの、初めて……!」


会場の大型モニターに、観客から送られた『ファン力』の数値が表示される。

その数字が、ぐんぐん、ぐんぐんと、信じられない勢いで、上昇を始めた。


どんどん上がっていく数字。

会場の全員が、固唾を飲んで、そのモニターを見つめている。

私も、きらりさんも、応援してくれたみんなも、祈るように。


そして、先ほど、来栖ハヤトくんが叩き出した、学園史上最高記録の数値。

その、赤いラインに、神代くんの青いグラフが、迫っていく。


超えるか、超えないか。

超えて、超えて、お願い――!


誰もが、心の中で叫んでいた。

そして。


ピッ。


無情な電子音と共に、グラフの上昇が、止まった。


その結果に、会場にいる、誰もが、息を飲んだ。

私も、ステージ上の神代くんも。

そして、舞台袖で、静かにその光景を見ていた、来栖ハヤトくんも。


モニターに映し出された、二つの数字。

それは、私たちの、運命を告げる、光と影だった。

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