余命365日のセカイで、きみと最後のラブソングを鳴らす。

☆ほしい

第1話 終わる世界の、プロローグ

「――以上で、今日のホームルームは終わり。気を付けて帰るように」


気怠げな先生の声が、チョークの粉がキラキラと舞う、ありふれた放課後の教室に響く。

その瞬間、今まで静かに息を潜めていたクラスメイトたちが、まるで堰を切ったように騒がしくなった。


「ねぇねぇ、この後カラオケ行かない? 最新の“終末ソング”入ったんだって!」

「ごめん、私今日バイトだ。最後の思い出に、推しの限定グッズ買い占めなきゃ」

「わかるー! どうせお金なんて持ってても意味ないもんね!」


きゃらきゃらと笑い合う声。

そのどれもが、妙に甲高くて、現実感がない。


――うるさい。


私は、誰にも聞こえないように心の中で小さく悪態をついて、そっと席を立った。

机の上に置きっぱなしだった文庫本の角を、意味もなく指でなぞる。


一年後、巨大彗星レクイエムが地球に衝突する。

科学者たちがそう発表してから、世界は一変した。

暴動、略奪、そして絶望。ありとあらゆる負の感情が世界を覆い尽くしたあと、なぜだか今は、おかしなほどの平穏が訪れている。


『どうせ終わるなら、楽しく生きなきゃ損!』


テレビの中のインフルエンサーが叫んだその言葉は、まるで魔法みたいに世界中に広まった。人々は最後の時を刹那的な快楽で埋め尽くそうと、必死になっている。

まるで、そうでもしていないと、心の奥底にある巨大な恐怖に飲み込まれてしまいそうだから、とでも言うように。


ここ、「市立見届け学園」も、そんな世界の流れに逆らえない場所の一つ。

名前だけは立派だけど、やってることは他の学校と大差ない。ただ一つ、違うことがあるとすれば。

私たちは『人類最後の文化や記録を後世(かもしれないどこか)に残す』っていう、壮大で、ちょっと滑稽な使命を帯びていることくらい。


(後世なんて、あるわけないのに)


そんなの、みんな心のどこかで分かってる。

だから、カラオケに行くし、推しに最後の財産を注ぎ込む。

それが、私たちの世界の、当たり前の日常。


「――七瀬さん、今日も図書委員の仕事、お願いね」

「…はい」


先生に声をかけられて、現実に引き戻される。

私は、七瀬 詠(ななせ よみ)。この学園の、しがない図書委員。

騒がしい教室も、終わらないお喋りも苦手。だから、静かな図書室にいる時間は、私にとって唯一のシェルターだった。


誰もいない廊下を一人で歩く。

窓の外からは、運動部の掛け声と、吹奏楽部が練習しているであろう、どこか気の抜けたメロディーが聞こえてきた。

みんな、最後の瞬間まで「いつも通り」を演じている。すごいな、と思う。私には、そんな器用な真似はできそうにない。


図書室の重い扉を開けると、古い紙とインクの匂いが、ふわりと私を包んだ。

やっぱり、ここが一番落ち着く。

カウンターに自分のバッグを置いて、返却された本を棚に戻していく。歴史書、科学雑誌、そして物語。

たくさんの知識と、たくさんの想いが詰まったこの場所も、あと一年で宇宙の塵になる。


(ばかみたい)


指先で、背表紙をなぞる。

ここにある物語は、どれもちゃんと「結末」があるのに。私たちの世界には、ハッピーエンドなんて用意されてないなんて、不公平だ。

ズキッ、と胸の奥が小さく痛んだ。

感傷的になるのはやめよう。ただでさえ、世界はこんなにもやるせないことで満ちているんだから。


作業を終えて、カウンター席でいつものように本を開く。でも、今日はなぜか、一行も頭に入ってこない。

クラスメイトたちの浮かれた声、気の抜けた吹奏楽の音、そして、心の奥底にこびりついた諦め。全部が混ざり合って、息が詰まりそうになる。


(どこか、静かな場所に行きたい)


そう思った瞬間、私の足は勝手に動き出していた。

向かった先は、いつもは鍵がかかっているはずの、屋上へと続く階段。

『立入禁止』のプレートがぶら下がった鉄の扉は、なぜか少しだけ開いていた。錆びた蝶番が、ギィ、と小さな悲鳴をあげる。


隙間から吹き込んできた、生ぬるい風が私の髪をさらりと撫でた。

その風に乗って、何かの音が、私の耳に届いた。


――ギターの、音?


それは、吹奏楽部の練習なんかじゃなかった。

たどたどしいけれど、切実で、どこか泣いているような音色。

まるで、その音に引き寄せられるみたいに、私はそっと扉を開けた。


夕焼けが、世界を茜色に染め上げていた。

フェンスに囲まれただけの殺風景な屋上の真ん中に、一人の男子が座っていた。

うちの学園の制服を着た、知らない人。夕日を背にして、その輪郭がキラキラと滲んで見える。


彼は、白いエレキギターを抱えて、俯きながら弦を弾いていた。

アンプには繋がれていない、生音。

でも、その頼りない音色は、なぜか私の心臓を直接揺さぶるみたいに、強く、強く響いた。


そして、彼が、歌い始めた。


掠れた、少年特有の声。

上手いのか下手なのか、そんなことは分からなかった。

ただ、彼の声には、全てが詰まっていた。


終わってしまう世界への怒り。

どうしようもない運命への諦め。

それでも、今、ここに「生きている」っていう、魂の叫び。


私がずっと、見て見ぬふりをして、心の奥底に閉じ込めていた感情の全部。

それを、彼はたった一人で、空っぽの空に向かって掻き鳴らしていた。


(――あ)


心臓を、鷲掴みにされたみたいだった。

息が、できない。

一瞬も目が離せない。

彼の指が、白いギターのネックの上を滑る。夕日に照らされた髪が、風に揺れてキラキラ光る。伏せられた長い睫毛が、たまに小さく震える。

その全部が、一枚の絵みたいに、私の目に焼き付いて離れない。


ドクン、ドクン、と自分の心臓の音がうるさい。

どうしよう。見ちゃいけないものを、見つけてしまった気がする。


歌が、終わる。

最後の音が、夕焼けに溶けて消えていく。

長い、長い沈黙。


彼が、ゆっくりと顔を上げた。

そして、その目が、まっすぐに私を捉えた。


「――っ!?」


ドキッ、と心臓が跳ねる。

射抜くような、鋭い瞳。でも、その奥には、さっきまでの叫びの残響みたいな、深い哀しみが滲んでいた。

やばい、見つかった。

気まずさで、顔にブワッと熱が集まるのが分かる。


「……いつからいた」

「え、あ、ご、ごめんなさい! すぐに、出ていきま――」

「別に」


慌てて踵を返そうとした私を、彼の低い声が引き留めた。

短く、ぶっきらぼうな言葉。

彼はギターを抱え直すと、ふい、と私から視線を逸らした。


「……盗み聞きなんて、趣味悪いな」

「ち、違う! 私は、ただ……その、音が聞こえたから……」


しどろもどろな私の言い訳なんて、聞こえていないみたいだった。

彼は、何も言わない。

ただ、そこにある夕焼けを、まるで睨みつけるかのように見つめている。


気まずい。気まずすぎる。

でも、なぜか、ここから立ち去ることができなかった。

さっきの歌が、彼の横顔が、頭にこびりついて離れない。


「……あの、」

「なに」

「……すごく、綺麗な、歌、でした」


自分でも何を言っているのか分からない。でも、そう思ったのは本当だったから。

私の言葉に、彼がピクリと肩を揺らす。

そして、ゆっくりと、もう一度私の方を向いた。


「……あんたには、関係ない」

「……っ」


冷たい言葉。

ちくり、と胸が痛む。

分かってる。分かってるよ、そんなこと。

赤の他人の私に、そんなことを言われる筋合いなんてないよね。


俯いて、ぎゅっとスカートの裾を握りしめる。

早く、ここからいなくならなくちゃ。

この人は、私みたいな空っぽの人間とは違う。ちゃんと、世界の終わりに対して、自分の感情をぶつけられる人だ。


「……じゃあ、」


さよなら、を言おうとした、その時だった。


「あんた、」


彼が、私を呼び止めた。

見上げると、彼の真っ直ぐな瞳が、また私を射抜いていた。

その瞳には、さっきまでの冷たさとは違う、何かを探るような色が浮かんでいる。


「あんた、いつも図書室にいるやつだろ」

「え……?」


なんで、私のことを?

驚いて目を丸くする私に、彼は構わず言葉を続けた。

それは、まるで独り言のようでもあり、確信に満ちた問いかけのようでもあった。


「世界の終わりなんて、嘘だって顔して、毎日毎日、本ばっか読んでる」

「……!」

「どうせ全部消えるってのに。滑稽だよな、あんたも、俺も」


自嘲するような、小さな笑み。

その笑顔が、なぜかすごく、切なく見えた。

なんで、この人は、私のことをそんな風に言うんだろう。まるで、心の中を見透かされているみたいで、居心地が悪い。

でも、それ以上に――。


(なんで、この人の言葉は、こんなに胸に響くんだろう)


今まで誰も、私のことなんて気にも留めなかったのに。

私が何を感じて、何を考えてるかなんて、誰も知ろうとしなかったのに。


彼が、ゆっくりと立ち上がる。

夕日を背負って、私の前に影が落ちる。

不意に伸びてきた、骨張って綺麗な指先が、私のすぐそばを指した。


「あんた、いつもそんな顔してる。世界の全部を、諦めたような顔」


「――だけど、本当は違うんだろ」


え?

彼の言葉の意味が、分からない。

心臓が、さっきよりもっと、うるさく鳴り始める。


彼は、私から目を逸らさない。

その真剣な瞳に吸い込まれそうで、私は後ずさりもできないまま、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


「俺とバンドを組まないか」


「――え?」


静寂を破ったのは、あまりにも唐突で、信じられない言葉だった。

彼の声は、夕焼けの空気に溶けることなく、真っ直ぐに私の鼓膜を震わせる。


「世界の最期に、最高の音を遺すために」


月代 湊(つきしろ みなと)。

これが、私の灰色だった日常に、突然鳴り響いた不協和音――ううん、もしかしたら、始まりのメロディーだったのかもしれない、彼との出会い。


世界の終わりまで、あと364日。

私の止まっていた時間が、今、動き出した気がした。

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